魔術人形コーネリア 2

『赤の節、16日。
 父さんが剣王軍の奴らに連れ去られて、一年が経つ。
 あの日から、すべてが変わった。悪い方に。
 父さんはもう、あいつらに殺されてしまったかも知れない。
 許せない。いつか、絶対復讐してやる』
『赤の節、23日。
 ラナイの体調は、相変わらず良くない。
 本人は強がってるけれど、絶対に無理してる。
 まともなものを食べさせていないせいだ。
 僕が不甲斐ないばかりに、情けない』
『赤の節、30日。
 お金が無い。どうすればいい。
 売れるものは、ほとんど売ってしまった。
 働きに出たいけれど、ラナイを放っておけない。
 仕方ないから、父さんの本を売って来よう。ごめん、父さん』
『赤の節、38日。
 炎を使った魔術の練習をしている。僕が使える唯一の魔術だ。
 剣王軍の連中を焼き殺して、父さんを連れて帰る。いつか、きっと。
 でも、僕にあいつらを殺せるだろうか?』
『赤の節、40日。
 やるしかない。やるしかないんだ。
 もうお金が無い。食べるものも少なくなった。
 ラナイはとうとう、ベッドから動けなくなった。絶望的だ』
『青の節、3日。
 ウッシュの森にいた樹人が、何者かに殺されたらしい。
 様子を見に行って来よう。
 もし危険な奴らだったら、どこかに逃げなくちゃ』
『青の節、4日。
 樹人を殺したのは、見たことのない奴らだった。
 強そうだったけれど、数は少なかった。珍しい服や武器を持っていた。
 すごく悪い考えが、僕の頭を支配している』
『青の節、8日。
 とうとう蓄えが尽きてしまった。食べるものも、もって5日くらい。
 ラナイの体調は、ますます悪い。
 僕がやるしかない。迷ってる場合じゃない』
『青の節、13日。
 樹人が飼育していた大蟻が、巣を出てこの辺りまで現れるようになった。
 もしかしたら、使えるかも知れない。
 僕は大蟻の誘い方を知ってる。父さんが教えてくれたから。
 試してみよう』
『青の月、15日。
 偶然、奴らの仲間を殺した。殺してしまったんだ。
 もう後戻りはできない。こうなったら、やるしかない。
 明日決行する。ラナイには黙っておく。
 お金が手に入ったら、ラナイの病気だって治してやれる。腕のいい魔術師に見せれば、絶対に治るはずなんだ。
 大蟻の準備もできている。すべてがいい方向に動いている。
 僕はやれる。僕はやれる。
 幸運を。幸運を』

 日記が書かれていた期間は短かった。
 殴り書きのような字面は、普段から文字を書き慣れている人物とは思えなかった。切羽詰まって、誰に頼ることができず、どうしようもなくて、ひとまず現状の把握と、考えをまとめるために日記を書き始めた。他に窮状を訴える手段が無かった。
 そんなところだろう。

(これ、ミーナが殺しちゃったあの子ですね)
(そうみたいね)
(可哀相なことしました)
(どの口で言うの? あなただったら、嬉々として殺したでしょうに)

 ミーナは罪悪感を覚えなかった。
 むしろこちらは盗賊に襲われた被害者だったのだから。
 一つだけ気になるのは、ラナイという存在だ。ミーナがここを訪れた時、すでに屋敷はもぬけの殻で、そこにいたのは一体の魔術人形だけだった。
 彼女は再び呼び鈴を鳴らし、コーネリアを呼び付けた。
「何か御用ですか?」
「質問がある。メサフ・ナホジクという男を知ってる?」
 一瞬、答えに間があった。
「いえ、知りません」
「ではラナイという名前を知ってる?」
「いえ、知りません」
「こんな日記を見つけたの。メサフって男が書いた日記。これを見たことがある?」
「いえ、知りません」
「それはおかしいわね。この家に住んでいたはずなんだけど」
 ミーナは考え込むふりをした。だが、コーネリアからそれ以上の反応は引き出せない。
 そもそもこの魔術人形は、どこまで自立思考しているのだろう。人の顔を判別したり、記憶したりできるのだろうか。
 単純な命令に従うように作られているだけで、実際はこの家の主とミーナの区別さえ出来ていないのかも知れない。
「まあ、いいわ。ありがとう」
 ミーナはそう言って、コーネリアを引き下がらせた。
 彼女の頭にはとある推察があったが、今はそれを確認すべき時ではない。
 この書斎にある書物を網羅するまでおよそ1ヵ月は掛かるだろう。
 それまでに考えをまとめればいい。
 まずは蓄えなければならない知識を優先させよう。
 ミーナはこの世界について知ることが、魔術を習得するための近道だと信じている。
 なぜなら、この世界の住人にとって、魔術はとても身近なものだから。
 日記にも書いてあった。魔術師がラナイの病気を治してくれると。つまりこの世界では、医学よりも魔術が一般的なのである。人々の生活に魔術が密着している。ならば魔術を知るための手がかりは、この世界のいたるところに見つかるはずである。

(ミーナ、次はこの本を読みましょう)
(分かったわ)

 彼女が手にしたのは、フェスベラルダの歴史を子供に教えるための教科書だった。

 フェスベラルダは1000年おきに生まれ変わります。
 1000年おきに、それまで大陸全土を統治していた王が倒れ、混沌の隙間と呼ばれる王のいない期間が数十年続くのです。
 各地で争いが起こり、強い者が領土を広げてゆきます。
 そして強者のなかから、次なる王が現れ、再び1000年の統治時代が幕を開けます。
 フェスベラルダは1000年周期の歴史を刻んできました。
 始まりは、知の王パルナンドスの時代。
 彼の眷属たちは、大陸にあらゆる文明の利器と、生活様式をもたらしました。車輪も船も、かまどのある家も、この時代にやって来たのです。
 次の1000年は、凍える姫エク・ピリの時代。
 彼女は大陸全土を氷の世界に変えました。彼女の眷属たちは、氷に閉ざされた大地の下で、息をひそめるように暮らしました。
 次の1000年は、花姫トゥーミアーの時代。
 彼女は自然を愛し、大陸全土を植物の楽園へと導きました。彼女の眷属は植物から生まれ、種を植え、花を咲かせました。大陸は緑に包まれました。
 次の1000年は、剣王オストボウの時代。
 彼の眷属は16人いて、16本の聖剣が与えられました。聖剣の名前を冠した英雄たちは、大陸各地に巨大な城塞都市を建築しました。
 フェスベラルダの歴史は、安定と混沌の繰り返しです。
 1000年に渡る王の統治時代が、必ずしも平穏とは言えません。
 実際には、王や王の眷属たちに逆らう者は容赦なく粛清されました。
 しかし、混沌の隙間に比べれば、それでも良い時代なのです。
 王に従っている限りは、繁栄が約束されるのですから。
 王の統治する1000年が繁栄だとすれば、混沌の隙間は破壊です。
 それまで王が築き上げたものが、ことごとく破壊されます。
 大陸各地で戦争が始まり、弱い者は生き残れません。
 もとから大陸に暮らしていた者たちに加え、外界からの来訪者もまた、戦に加わるのです。
 混沌の隙間が訪れると、大陸のあちこちに異世界への扉が開きます。
 その扉からは、今まで見たこともない生き物たちが、フェスベラルダへとやって来るのです。
 歴代の王たちも、外の世界からやって来ました。彼らは圧倒的な武力によって、それまで大陸に暮らしていた者たちを駆逐し、新しい王として君臨したのです。

「1000年周期の世界ね。とても興味深い」
 ミーナは辞書を引きながら、教科書の概要を翻訳した。
 非常にざっくりとした大陸の歴史だ。
 しかしそれも仕方ない。1000年おきに世界が生まれ変わるのであれば、前の時代から残っていた遺物や書物、歴史を知る眷属(?)たちも、次の王によって滅ぼされてしまったに違いない。
 歴史の断絶である。
 そんな状況にあって、民衆の口伝によってかろうじて歴史は語り継がれてゆく。わずかに残された歴史書をもとに、次の時代の歴史書が編纂されてゆく。
 もちろんこの本の著者が、すべて真実を語っているとは限らない。
 想像で補う部分も多いだろう。
 まるっきりフィクションかも知れない。
 けれど、実に好奇心をくすぐられる内容だった。
 混沌の隙間と呼ばれる時代、大陸の各地に異世界へと繋がるポータルが開く。この本の著者は確かにそう記しているのである。

(これが真実なら)
(今は、混沌の隙間になりますね)
(そういうこと)

 ミーナたちがフェスベラルダにやって来たように、今頃、大陸各地で異世界へのポータルが開き、そこから異世界の者たちが続々とこちらの世界へやって来ている。
 まさに混沌だ。
 想像以上に面白い世界であった。胸が高鳴って仕方ない。
 一つの世界の行く末が、この何十年かで決定される。そんな楽しいイベントへの参加券をわたしは手に入れた。何て幸運なことだろう。

(ねえ、ミーナ)
(どうしたの?)
(あなた、この世界の女王になってみる気はないのですか?)
(わたしが? 嫌よ)
(どうしてです?)
(だって1000年も大陸を統治しなくちゃならないのでしょ。面倒だわ)
(1000年経ったら、王は必ず滅ぶそうですよ)
(そう書いてある)
(つまり)
(つまり?)
(鈍いですね。あと1000年我慢すれば、わたしたち、死ねますよ)

 わたしたちが死ねる。
 考えもしなかった。そんなことがあり得るのだろうか。
 1000年といっても、こちらの世界(1日18時間。1年280日)でのことなので、ミーナの感覚でいうとおよそ600年である。
 1000年生きた王たちはことごとく、この世界の摂理によって滅びている。どんなに強大な力を有していても、その運命には抗えなかったのだ。
 ならば、わたしが王になったらどうなるのだろう。1000年の後、わたしに仕掛けられた不死の呪いは、それを上回る世界の摂理によって解除されるのだろうか。
 その結果、わたしは死ねるのだろうか。
「魅惑的な提案ではあるけれど、1000年は遠いわ」
 この世界で孤独に、大陸を統治し続ける。自由を奪われ、権力の座という牢獄に縛り付けられたまま。
 不死の呪いを解くための、それは呪いの重ね掛けに他ならなかった。

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