3

 双魚学園生徒会副会長、養田(ようだ)亜子(あこ)が不機嫌なのはいつものことだった。
 頼りにならない生徒会長に代わって、生徒会の実務を一手に引き受けているのが彼女であり、日夜、目の回る忙しさに見舞われている。
 9月に開催される学園祭の準備と平行しつつ、生徒から上がってくる要望やクレームに対処しなければならない。ソフトボール部で使用しているネットが壊れたので新品を購入する予算は下りないか、東館1階トイレの個室が2週間前から詰まって水が流れないので直してくれ、中庭の水路に大きなカエルがいるから駆除して欲しい──。
 本来ならば生徒会全体の仕事であるはずの雑務が、なぜか亜子個人に集中するのだ。

「それはねえ、亜子ちゃんが頼りになるから、みんな甘えちゃうのよ」
 生徒会室の会長席でのんびりとお茶を飲みながら、野口(のぐち)奈帆(なほ)が言った。
 この会長、自分はお飾りであると大っぴらに公言して憚らない。
 うちには優秀な役員が大勢いるから、会長がこのような体たらくでも問題ないのだ、と。
 確かに、生徒会役員には副会長の養田亜子、書記の八島(やしま)満智(まち)を筆頭に、優秀な生徒が顔を揃えていた。生徒会の活動は潤滑に行われているし、生徒たちの評判もすこぶる良い。
 しかし勘違いしてもらっては困るのである。
 その功績に関して、生徒会長はただの1パーセントも貢献してないのだ。毎日毎日、フラフラと遅れて生徒会室にやって来ては、すでに亜子がチェック済みの事務書類に目を通すだけ。残りの大部分の時間は、ただお茶と雑談に費やしているだけなのだから。
 にもかかわらず、生徒会が安泰なのは会長の役員掌握術が見事だからという、でたらめな噂が実しやかに囁かれていたりする。彼女が2期連続で会長選挙に当選したのも、そういった噂を信奉した一部生徒の力添えによるところが大きかった。

「人から頼られるのは嬉しいことよお? わたしなんか、生まれてこの方、他人から悩み事の相談を受けたこと一度もないもの」
 それは自慢して言うことじゃない。
「分かってますよ、ええ。お互い、役割分担があるのは理解してますから」
 亜子は投げやり気味に言った。
 仕事はとことんできないが、奈帆には他人にはない華がある。
 緩やかにウェーブがかかった薄茶色の髪。触ることすら躊躇われるような、一点の曇りのない白肌。日本人にしては目鼻立ちがはっきりとしていて、常に笑顔を絶やさない。そこにいるだけで、周囲の空気を和やかにさせる。それが野口奈帆という少女だった。

「あのー、会長。転入生の噂聞きました?」
 書記の満智が話題を振った。
 髪の両サイドを三つ編みにした、童顔の眼鏡っ子である。非常に小柄な体格で、リスみたいにちょこまかとよく動く。頭の回転が早く、こちらが一を言うと十を理解してくれる優秀さがある。亜子にとっては会長よりもはるかに頼りになるパートナーであった。
「あらあ、転入生って、今日到着だったかしら?」
「そうですよ。何でもすごい美人だそうです」
「この学園はさ、お嬢様育ちの、ルックスが秀でた子には事欠かないからさ。おそらく普通の高校よりも、要求されるレベルが格段に高いと思うよ。それでも美人と評判になるくらいだから、相当なもんなんだろうね」
 と、亜子が相槌を打つ。
「それだけじゃないみたいです。何でも超難関の編入試験を、歴代トップの成績で合格したとか。世の中には、すごい人がまだまだいるもんですねえ」
「そうね。優秀な生徒が我が校のランクを上げてくれるのは大歓迎と言いたいところだけど、ちょっと変じゃない? なんで今頃になって転入して来たんだろう。ここに来る前は、別の宮にいたってことないよね?」
 別の宮とは、双魚学園と姉妹校提携を結んでいる他の十一校を指す言葉である。それぞれの高校が黄道十二宮の名前を冠していることから、こう呼ぶことがある。
「編入試験を受けたんですから、外部から来た生徒ですね。トレードの場合は、面接だけで試験はありませんし」

 十二の姉妹校の間では、年に三度、生徒のトレードが行われている。学業面やスポーツ面での成績向上のために、自分たちの高校に欲しい人材を他校から引っ張って来ることができるシステムだ。
 学期が始まる前、学園単位で欲しい生徒のリストが作成される。そのリストに沿って、学校間での協議が行われる。そして本人の意思確認と、最終的な面接を経て、生徒のトレードが成立するわけだ。
 十二の学園は基本的に平等な位置づけである。が、年度の初めに学業、スポーツ、芸術、地域福祉の四分野でランキングが発表される。ちなみに双魚学園は今年、学業4位、スポーツ10位、芸術5位、地域福祉11位で総合ランクでは9位という結果だった。

「うちの学長が呼んだのかしら?」
「誰かしらの斡旋があったのは間違いないですよ。でなければ十二宮には入学できませんから」
「ふぉのこ、もう岩水寮に入ったのお?」
 奈帆がお茶請けの饅頭をぱくつきながら質問した。
「みたいですよ。今朝の食堂で、わたしも転入生の姿を探したんですけど、食べには来なかったですね。朝は抜くタイプなんでしょうか」
「誰と同室?」
「3年の近藤先輩ですね。彼女の部屋だけ、ベッドが一つ余ってましたから」
「ほほー、それはそれは。心中穏やかでない子も多そうね」
 特に1,2年生に、彼女と同室を希望する生徒が多いのだ。そのあまりの過熱ぶりに危惧した寮長が、特別措置として彼女を独り部屋にした経緯がある。全員と平等な距離を保つことでひとまず沈静化を見ているものの、その特等席を外からやって来た人間が占有するとあっては、納得しない連中も出て来るだろう。
「その転入生、近藤さんの取り巻きに目を付けられるんじゃない?」
「彼女たち、過激ですもんね。すごく心配です」
「よーし、それじゃあわたしが、生徒会を代表して挨拶して来ようかなあ。困ってる生徒には力になってあげないといけないものね」
 立ち上がりかけた奈帆を、亜子が恐ろしい形相で睨みつけた。
「はい、ストップ。逃がさないわよ。目安箱に入ってた今週分の要望書、まだ目を通してないじゃない。議題に上げるかどうか、生徒会長の判断が必要なんだから、とっとと確認しちゃってよ」
「ええ~~っ?」
「甘え声出したって、許しません」
「だってさあ、どうせわたしが選んでも、副会長が却下するじゃなーい。この前だって、寮の脱衣所にフルーツ牛乳を置こうって提案したのに」
「そんなのダメに決まってるでしょうが。常識で考えなさいよ」
「お風呂上りのフルーツ牛乳は格別なのよお? 裸のままで腰にこう手を当てて、ゴクゴクと一気に喉に流し込んだときの至福感ときたら、そりゃあもう……」
「うっとり声を出したって、ダメなものはダメよ」
 亜子は取り付く島もない。
 奈帆は渋々と椅子に座り直すと、生徒からの要望が書かれたメモをトランプ占いのように一枚ずつ机の上に並べ始めた。
「亜子ちゃんの、意地悪。見ればいいんでしょ」
 恨めしそうにブツブツと呟く彼女の手が、ある一枚のメモのところでピタリと止まった。

「あらあ? このメモまた来てる」
「あ、本当ですね。これで4枚目ですよ」
 満智が手元を覗き込んだ。
 メモ用紙には赤いマジックで『西の池に全身が青白く光る幽霊が出る。調査されたし』と書かれていた。同一人物によるものと思われるが、1ヶ月ほど前から毎週一通ずつ目安箱に投下されているのだ。
「タチの悪いイタズラよ。放っておきなさいよ」
「それが一概に嘘と言えないんですよ。わたしの学年でも、夜中に光る幽霊を見たって子が何人かいるんです。寮の窓から、その光る女の幽霊が西の池のほうに歩いて行くのを見たとか、その、夜遊び帰りに数人の生徒が光る物体が森の中を浮遊しているのを目撃したとか。生徒たちの間で、密かに噂になってます」
「バカバカしい。大方、夜回りの警備員さんを見間違えたんでしょ」
 亜子が一笑に付した。
「西の池って、わたしもよく行くのよねえ。あそこの錦鯉にエサをあげるのが日課なの。もしかしたら、その幽霊も鯉にエサあげてたのかしら」
「一部では、あの池で入水自殺した生徒じゃないかって」
「深さ50センチもない池で? 有り得ないって」
 だいたいこの学園が開校して、まだ20年と経ってないのである。その間に生徒の自殺があったとなれば、簡単に記録が見つかるはずだろう。
「会長、それとこれは内密の情報ですが、その幽霊騒動の真相を突き止めるために新聞部が動いているみたいです。近々、西の池で張り込みを敢行するとか言ってますよ」
 満知が告げ口をした。どこから情報を持ってくるのか知らないが、彼女の耳聡さといったら大変なものだ。
「それが事実なら、見過ごせないな。ね、会長?」
「放っておけばあ? それで生徒たちの不安が解消されるのなら、やらせてあげましょうよ」
 意外と冷めた口調で、奈帆は答える。
「知ってて放置したとなると、後で問題になるかもよ?」
「その時はほらあ、亜子ちゃんが反省文を提出してくれれば」
「あんたねえ」
 やってられないという風に、彼女は荷物を鞄に詰め始めた。生徒会と掛け持ちで弓道部の副部長をしている彼女の放課後は忙しい。

「もう行っちゃうのー?」
「生徒会ばかりにかまけている暇はないのよ。じゃあ、目安箱の要望書お願いね」
「善処するわ」
 にこやかに手を振る奈帆に溜め息をついて、亜子は生徒会室を後にした。
 すると、そのすぐ後から満智が慌てて飛び出してくる。彼女は亜子に駆け寄ると、廊下の片隅まで引っ張っていった。
「どうかしたの?」
「いえ、さっきの幽霊の話ですけど、ご本人の前だとちょっと言い出し難くて」
「ご本人て、会長のこと?」
「はい。実は目撃した生徒の話だと、その幽霊……会長に似ていたって言うんです」
 と、小声で囁いた。亜子はうんざりしたように、
「じゃあ、会長本人じゃないの?」
「茶化さないで下さいよ」
「どうでもいいってことよ。構わないから、本人に直接聞いてみれば? あの会長のことだから、ひょっとしたら全身に蛍光塗料塗って夜の散歩をしてるのかもよ?」
「うわ、酷い言い草ですね」
 満智は苦笑する。
「それよりほら、ちゃんと彼女を監視してなさい。今頃、仕事を放棄して逃げようと考えてるに違いないわ」
 言い終わらないうちだった。生徒会室のドアがそっと開いて、奈帆がこそこそと這い出して来たのである。そして廊下いた二人と目が合うと、気まずそうに微笑んで再び室内に戻っていったのだった。
「会長が幽霊なんて、地球がひっくり返ってもないから」
 亜子は断言した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?