聖剣狩り(後編) 1

 黒煙による薄いもやの掛かった上空に、異様な物体が浮かんでいた。
 白い雲のようだが、質感ははるかにリアルである。
 形はきれいな楕円をしている。しかし大きさが馬鹿げていた。
 その物体のせいで人口70万の人々が暮らしていた城塞都市セルギュネは、町全域が太陽の光から遮られ、暗い影の下にあったのだ。
 異星人が侵略してくるハリウッド映画で、これと似たような光景を見た記憶がある。
 セスカは上空を見上げ、ぼんやりとそんなことを考えていた。
 なるほど、これが蟲姫イェナルディーナが誇る空中要塞。
 その巨大物体の正体は、UFOではなかった。
 その正体は、糸を編んで作った巨大な繭なのである。
 真っ白くきれいな楕円形をした、まるで蚕の繭にそっくりだが、スケールだけが常軌を逸していた。
 どういう原理で浮かんでいるのかはよく分からない。魔術が関係しているのは間違いなさそうだが。
 しかしこの空中要塞があれば、大陸中どこにでも軍隊を運用することができる。しかもかなり有利な状態で、先制攻撃を仕掛けることが可能だ。
 空を飛ぶ手段を持たない剣王軍が、次々と敗北しているのも頷ける話である。
 繭には何ヵ所か、小さな亀裂が入っていた。
 それは剣王軍の攻撃によるものではなく、そこが蟲姫軍の兵士たちの出入口になっているらしい。黒い小さな影がパラパラと、セルギュネの町に向かって降下している。
 蟲姫軍の兵士たちは、人間の落下傘部隊に比べて空中での身動きが不自由ではなかった。
 なぜなら彼ら一人一人には、背中に昆虫の羽が生えている。彼らは空中を自在に飛行できる兵士なのだった。

「とってもとっても、気持ち悪くありませんか?」
 セスカは眉をわずかにしかめて言った。
 どうして昆虫というのは、こうも嫌悪感を掻き立てるのだろう。
 蟲姫の兵隊は、基本的に昆虫と人間のハイブリッドだ。完全に昆虫の姿をしているわけではない。なのに、見た目の醜悪さは変わらないどころか、人間に近い分、余計に気持ち悪さが増している。
 今も、一匹の蜂人間と目が合った。
 腹の部分が茶色と白の縞模様をした、首から下は足長蜂、首から上だけが髭の生えた男という外見である。
 腹の先端には、鋭い毒針がむき出しになっている。
 これがメイリーヤを襲ったという例の蜂人間、クロジューアであろう。
「本当は触るのも嫌なのですけど、アレで我慢しましょうか?」
 セスカは上空の相手に対して、ステッキを振って挑発した。
 背に腹は変えられないのである。
 クロジューアは鎧も着けずに一人歩いているセスカを、容易な相手だと判断したらしい。毒針をこちらにむけて、急降下した。
 彼らの目的は、剣王軍の殲滅にある。この町にいる者は兵士であれ一般人であれ、見境なく殺すように命じられているはずだ。
 ところが、クロジューアはセスカに触れることもできなかった。
 毒針は避けられ、逆にステッキの刃が、男の顔面部分を貫いていた。
 何が起こったか分からず、クロジューアは地面に叩き付けられた。
 そのまま一瞬にしてオーアを根こそぎ奪われる。
 わずか数秒の出来事である。
 体の大きさだけなら、彼らはセスカの倍近くあった。けれど、彼女にとってそんなことは何の問題にもならなかった。
「まだ足りません。次……」
 セスカは町外れの細い通路を、町の中央に向かって歩き始める。   

 すると次に出くわしたのは、全身を甲虫の鎧で固めた人型の兵士であった。
「お前も剣王軍か?」
 その兵士はフェスベラルダ語を喋った。
 まるで黒いカブトムシを人間にしたような外見。角の生えたフルフェイスの兜。胴体はおろか手足の先まで、同じようなキチン質の鎧で固めている。
 両肩には、別の昆虫が二匹とまっていた。こちらは角の部分が細いナイフのように尖っている。
 キャンプ周辺で見かけた刃の角をした甲虫とは、きっとこれのことだろう。
 男は長槍を武器にしていた。
 筋肉質のがっちりした体格をしているが、やはり背中には羽を生やしている。この重そうな身体でも空を飛べるらしい。
「わたしですか? 違いますけど?」
「どちらでもいい。とりあえず死んでおけ」
 だったら最初から質問をしないで。
 矢継ぎ早に繰り出される槍の突きを、セスカは難なくかわしてみせた。男はさぞや驚いたに違いない。しかしそれも数秒のことだった。
 セスカの突き出したステッキが、男の喉元に滑り込んだのである。
 たとえ全身を固い鎧で覆っていても、人体の動作上、関節部分はどうしても守りが薄くなる。そこを的確に突いた急所への一撃だった。
 濃い緑色の体液をまき散らし、男は倒れ伏した。
 セスカは容赦なくオーアを吸収する。エネルギーを補給して、少しずつ本調子に近付いてきた。
「……ん?」
 チクリとした痛み。
 立ち上がった彼女の右胸と太ももに、二匹の甲虫がいつの間にか突き刺さっていた。
 刃渡り二十センチの角は、普通ならこれだけでも致命傷を与えられる武器である。なるほど、この甲虫たちは男のサイドアーム的な役割を果たしているのか。
 しかし今回は相手が悪かった。
 片手では持てない大きさだったので、両手で握って甲虫を身体から引き抜いた。
 傷口は一瞬にして塞がる。痛みもすぐに引いてゆく。
 グシャリという音がして、甲虫はセスカの手の中で潰れた。もう一匹も同じように処分した。甲虫の体液さえも、彼女はどん欲に取り込んでゆく。
「まだ足りませんね。次はどなた?」
 セスカの狩りは、始まったばかりであった。

 蟲姫軍と剣王軍の兵士、出会い頭に15人ばかり殺したところで、彼女はいったん戦況を確認することにした。
 近くの建物の屋根に上り、遠見の魔術を使った。
 やはり中央広場の手前が、一番の激戦区になっている。
 蟲姫軍は完全に制空権を握っていた。あちこちで爆炎が上がっているのは、上空から放たれる魔術によるものだ。
 毒蜂クロジューア、そしてカブトムシに似た地上兵の他にもう一種類、おかしな兵士が投入されていた。人間と蛾のハイブリッドである。
 彼らは見た目、まるで即身仏のミイラだった。
 全身が骨と皮だけしかなくガリガリに痩せ細り、常に目を閉じ、あぐらをかいた姿勢を保っている。いわば禅の瞑想状態で、激しく動いているのは背中から生やした蛾の羽のみ。
 彼らは3人から5人で編隊を組み、町の上空を飛行している。
 そして空から魔術による爆撃を行っているのだった。
「意外です。よく訓練が行き届いてますよね?」
 セスカは感心して言った。
 意志の疎通が密にできていないと、きれいに整った編隊は組めない。
 しかも地上兵との連携も出来ているようだ。
 どこか全体を見渡せる位置に指揮官がいるのは間違いない。
 呼び名を付けないと不便なので、カブトムシ兵をキチン、蛾の兵士をミイラと呼ぶことにした。
 かたや、蟲姫軍に対抗する剣王軍も、決して一方的にやられているわけではなかった。
 町じゅう至る場所でかがり火が焚かれ、もうもうたる煙が上空に上っていた。蟲姫軍を牽制するのに、この煙がとても役に立っている。
 中央広場でがっちりと陣形を組んでいるのは、盾を持った一等から三等までの守護戦士たちである。
 彼らに守られる形で、魔術師と弓兵が上空に向かって反撃を行っている。
 さらに広場の周囲では、予想通り、魔術で動く石像が猛威を振るっていた。
 身長4メートルの巨体から繰り出されるハンマーのような拳。
 動きは鈍いものの、まともに殴られればひとたまりもない。
 敵味方の識別がついているのかどうかも怪しいところだし、建物を構わず破壊しまくっている。そんな石像が100体以上、徘徊しながら暴れているのだ。
 制空権を握られながらも戦線を維持できているのは、この石像たちのおかげと言っても過言ではなかった。
 それからもう一人。
 上空を青白いブーメランの光が無数に飛び交っている。それを放っているのは、教会のテラスに立つ一人の男。ジェクサーティーである。
 彼が手にしているのは、同じ名前の聖剣ジェクサーティー。
 一度それを振るうと、空中に青白い光跡が生まれる。
 例えば点滅するLEDライトなどを振ったり動かしたりすると、残光現象によって、空中に光の絵や文字を浮かび上がらせることができる。
 仕組みとしてはそれに似ている。
 しかしジェクサーティーの青白い光の残像は、実体を有しているのだ。
 ブーメラン型をした魔力のエネルギー弾。
 それを次々と生み出しては、誘導ミサイルのごとく解き放っている。
 この光のブーメランにロックオンされると、どこまでも追いかけてくる。音も気配も感じさせない。狙われた標的は、いち早くそれを目視して、遮蔽物に隠れる以外に逃げ道はないのである。
 蛾の羽を持ったミイラの編隊も、油断をしていると瞬く間に撃墜される。
 しかも発射される数が半端ではなかった。
 一分間に三十回から四十回、ジェクサーティーは剣を振るうのだ。
 まるでバトントワリングのように。
 無限に、絶え間なく、素早く、誘導ミサイルを打ち続けられる携帯武器と考えれば、聖剣ジェクサーティーの性能の高さが理解できるだろう。
 もしあれが剣王の眷属の専用武器でなければ、セスカも一本欲しいところである。
「確かに、あれではミーナも避け切れませんか」
 セスカの瞳が怪しく光った。
「ミーナ、気に入らないです。わたし、とっても不愉快です。あの首、ちょっと狩っちゃいましょうか」
 服をボロボロにされた恨みもある。
 総大将を失った剣王軍が、必死の抵抗空しく崩壊していく様をつぶさに眺めるのは、さぞかし楽しそうだ。
「ねえ、ミーナ、起きてます? わたしが代わりに殺しちゃってもいいでしょう?」
 問いかけながらも、セスカの足はすでに教会へと向いていた。

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