聖剣狩り(前編) 2

 てっきり地下牢にでもぶち込まれるものだと思っていた。
 ところが、ミーナとネウロイにあてがわれたのは、共同浴場に使用されていた建物だった。
 町の住民が減ったために、今は使われず放置されている。
 浴槽には水が張ってあったが、温かくはなかった。浴室とは別に、スチームサウナの部屋もあった。そちらも今は火が落とされている。
「入口に監視は立てるが、妙な真似はするなよ。正直なところ、今はお前たちに構っている暇はないのだ」
 彼らをこの場所に案内したのは、一等討伐戦士のジャハイドという男だった。
 後に知ったのだが、剣王軍の兵士は主に二種類に分かれている。
 討伐戦士と、守護戦士である。
 その名の通り、討伐戦士は敵に対する攻撃を、守護戦士は敵の攻撃を防御する役割を担っている。それぞれ一等から三等までの階級があり、一等討伐戦士と一等守護戦士には魔術を施した剣と盾が与えられている。
「ジェクサーティー様が直接、話を聞きたいそうだ。時間が空いたら迎えに来る」
 立ち去ろうとするジャハイドを、ミーナが呼び止めた。
「ねえ、ここって戦争になるの?」
「そうだ。蟲姫の軍が侵攻中との情報があった」
「蟲姫? 蟲姫って何?」
「知らんのか。お前たちは一体……まあ、いい。大人しくしていろ」
 それ以上は答えず、彼は去っていった。
「ズルいなあ、ミーナさん。一人だけ言葉を喋れて」
 ネウロイは浴槽に溜まった水を、恐る恐る口に含んだ。
 飲めると判断したのか、彼は乾いた喉を潤し始めた。
「意外と警備が緩いわ」
 ミーナは共同浴場を調べて回る。
 天井付近に、外に逃げられそうな窓が何ヵ所かあった。足場がなければ届かない高さだが、ミーナには覚えたての魔術があった。
 跳躍の魔術を使えば、楽に脱出できそうだ。
「僕たち裁判に掛けられるんですかね。中世の魔女裁判みたいだったら嫌だな」
「さあ。そんなゆとりがあるのかしら」
「じゃあ、いきなり死刑とか」
「いいわね。殺せるもんなら、殺して欲しいわ」
 ミーナはしばらくしたら、ここを脱出しようと決心した。
 愛用のステッキと、手荷物をすべて没収されてしまったので、まずはそれを取り戻したい。他に欲しい物といえば、やはり知識だ。図書館があれば調べてみたいし、何だったら個人所有の蔵書でもいい。
 あれだけ大掛かりな魔術兵器を作れるくらいだから、この町にも魔術に精通した人物はいるはずである。
 より高度な魔術、マジックアイテムの作成方法、さらに言えば緑のオーアの使い方なども覚えたい。彼女の理想はまだまだ高いところにあった。

「わたしは少し眠る。何かあったら起こして」
 ミーナは石を削り出しただけの固いベンチに横になった。
 すぐさま眠気が訪れたが、寝心地が悪かったせいで深い眠りにはならなかった。
 それでも一時間ほど過ぎた頃。
「ミーナさん、ミーナさん」
 ネウロイに揺り起こされた。
「何か変な生き物が入って来ました」
「は?」
 目を擦りながら共同浴場の入り口を見ると、確かにそれは奇妙な生き物だった。
 例えるならば、手足の生えたアシカである。
 黒い肌といい、尻尾の形といい、黒くて大きな瞳といい、左右に生えた髭といい、まさにアシカそっくりだ。ところが本来ヒレの付いた前足がある位置に、太い陸上動物の足が生えている。そして首の横から、同じく二本の手が生えている。
 バランスの悪い生き物だった。
 動きも鈍く、歩き方は体の重いペンギンのようだ。
「ウオッ、お邪魔しますよ。ウオッ、見かけない顔ですね。どこか町の外からいらっしゃったのですか? 旅の方でしたら、一刻も早く町を去ることをお勧めしますね。ウオッ、なにしろ明日にでも戦争が始まるという噂ですからね」
 その生物は勝手に喋り続けながら、浴槽へと歩いていった。
 そして水の張った浴槽に飛び込んだ。気持ちよさそうに鼻から息を吐く。
「ウオッ、失礼。肌が渇いてしまったもので。わたしたちセリレドは、肌が渇くと皮膚病に掛かってしまうのです。これがまた厄介でして。ウオッ、運が悪ければ、病気をこじらせて死んでしまいます。ウオッ、ところでどなたでしたっけ?」
「わたしはミーナ、こっちはネウロイ」
「ウオッ、失礼しました。名乗り遅れましたね。わたしはセリレドのオ・クック。魔術結社ナーシプロシーから派遣されて、先日まで広場にある魔術高射砲を製作していました。具体的には、魔術回路の設計と、導線の調整ですけどね。わたしの仕事はあらかた片付いたので、あとは試し撃ちをしたいところなのですが、果たしてそんな時間があるかどうか。ウオッ、なにしろ明日にでも戦争が始まるという噂ですからね」
 かなり口数の多いアシカだった。
 しかし驚いたことに、この外見ながら魔術師だという。しかも魔術結社から派遣されるくらいだから、優秀な魔術師なのだろう。
「実はわたしも魔術を勉強中なの」
 ミーナは彼が再び水に潜ったタイミングで、口を差し入れた。
「ウオッ、そうでしたか。あなたも魔術が使えると」
「ええ。魔術は覚えたての駆け出しだけど。できれば、魔術について色々と教えてくれない? 時間が空いた時で構わないわ」
「ウオッ、魔術結社ナーシプロシーは、魔術を志す者には寛容です。ウオッ、よろしいでしょう。後ほど、わたしの部屋を訪ねてください。わたしが得意とする分野は、主に魔術回路に関してですけれど、その他の分野も一通りは学習しておりますので、色々と教えられることはあると思います」
「ありがとう。それは心強いわ。ところで、あなたの部屋ってどこにあるの?」
「ウオッ、これは失礼。中央広場の北の通り沿いにある、二階建ての建物です。入り口の脇にわたしの尻尾を洗う、大きな水瓶が置いてあるので、それを目印にしてください。ウオッ、とはいえ戦争が始まってしまった時は、残念ながら、わたしはすぐにでも町から脱出しなければなりません。そういう指示を受けているのでね。ですから、戦争が始まらないことを祈っていて下さい」
 オ・クックは水飛沫を上げて、浴槽から飛び出した。
 尻尾を左右に振りながら、慌ただしい足取りで共同浴場を後にする。
「ウオッ、ああ気持ちよかった。生き返った気分ですよ。それでは御機嫌よう。わたしも何かと忙しくて、これから食事をとって、旅の荷造りをしなければなりません。ウオッ、そちらの男の方もどうぞお元気で」
「ええ、また後程ね」
 ネウロイの代わりに、ミーナが応じておいた。
 セリレドという種族の特徴なのか分からないけれど、質問をすれば何でも答えてくれそうな気安さを感じた。
 しかしあの短い足はどう見ても機能不全である。戦火から無事に逃げ切れるのだろうか。歩くより泳ぐほうが得意そうなので、水路を経由して町を脱出する算段なのかも知れないが。
「何だか、ほぼほぼアシカでしたね」
 オ・クックが立ち去った後、ネウロイがぽつりと呟いた。
「アシカだったわね」
「僕も言葉が喋れれば、彼と会話がしたかった」
「今のうちに覚えなさい。言葉は知っていて損することはない」
 ミーナは天井付近の窓を見上げた。
 高さ3・5メートルといったところ。
 跳躍の呪文を唱え、磨かれた石の床を軽く蹴ると、彼女の身体は羽のように宙に浮いた。
 その勢いのまま片手を窓枠に引っ掛けて上半身を隙間に滑り込ませる。
「ちょっと外を見てくる」
「それも魔術ですか?」
「そう。呪文を正確に発音できれば、誰にでも使える」
「見張りが来たらどうします?」
「適当に言い訳しておいて」
 建物の外に顔を出すと、生温い風が頬を撫でていった。
 まだ太陽は頭上にあったが、この町は建物の密集度が高く、細い路地が多いので、警備に見つからずに移動することは難しくなさそうだ。
「いい雰囲気。スニークミッションにおあつらえむき」
 ミーナは目測を定めると、隣の建物の屋根に向かって再び跳躍した。

 ミーナが城塞都市セルギュネに目新しさを覚えないのは、ここがギリシャの古代遺跡によく似ているからである。
 歩道の両サイドに短い間隔で建てられた列柱。その石柱もコリント式に似ていて、頭の部分に細かい装飾が施されている。
 丘の頂上付近には、教会らしき建物もある。やはり柱が多いが、こちらはアーチ状の屋根になっている。張り出したテラスは、後の時代に建設されたものだろうか。そこだけ建築様式が違っていた。
 ただ一つ奇妙に思ったのは、町のいたる所に佇立する戦士の彫刻である。
 鎧で完全防備した石の彫刻は、ギリシャの遺跡には存在しない。
 その数、十体や二十体ではない。ざっと確認しただけでも、百体は超えている。
 彫刻の一つ一つには、おまけに赤と黄色のオーアが宿っていた。魔術が施された痕跡だ。これは想像でしかないが、戦争が始まれば、これらの彫刻は動き出すのではなかろうか。
 動く魔術人形といえば、ラナイの父親が専門家だった。
 彼は一年前、剣王軍に連行されたとメサフの日記には書いてあったのだ。

(アシカの部屋は広場の北って言ってたっけ)
(アシカではなく、オ・クックですよ)

 ミーナは魔術を駆使しながら、軽やかな身のこなしで建物の屋根から屋根へとジャンプした。
 まだ夜でもないのに、薪を燃やした鉄製の籠があちこちに設置されている。そのせいで町全体の気温が高く、煙と油の臭いが充満している。

(目が痛いです。喉も痛いです)
(我慢して)

 風下から煙の流れに紛れて移動する。
 中央広場には革鎧を着た大勢の兵隊が動き回っていた。兵舎と思われる大きな建物で炊き出しが行われているらしい。
 オ・クックもこれから食事だと言っていた。ならば、彼の部屋を物色するには、今が好機である。
 玄関口に水瓶のある建物はすぐに見つかった。ミーナは正面からではなく、裏手に回り込んだ。そして跳躍の魔術で、開いていた窓から直接、室内に侵入した。
 そこはオ・クックの寝室であった。
 ベッドではなく、床一面に干し草が敷き詰められていた。
 私物の類はいっさい見当たらない。いや、草に埋もれて馬の毛のブラシが一本見つかった。これは彼が体を磨くためのものだろうか。
「荷物は隣かしら」
 ミーナは寝室を出て、隣室のドアを開けた。
 瞬間、強烈な異臭が鼻を突いた。
 そこはオ・クックの私室に間違いなかった。ただし酷いゴミ部屋だった。
 悪臭のもとになっているのは、食べかけの生魚だ。丸呑みはせず、腹の柔らかい部分だけを齧って残りは床に捨ててある。その大量の魚が腐敗し、蝿やカビが発生している。
 しかしそれ以上に足の踏み場をなくしているのは、大小様々な形をした木製の積み木である。オ・クックはこの室内で長い時間、夢中になって積み木を組み立てたり崩したりを繰り返していた形跡がある。
 その証拠に、部屋の壁一面には、木炭でフェスベラルダ式の図形や数式が所狭しと書き殴られている。
 映画やドラマなどで数学者が、近くにメモをする物がなくて、壁や床に数式を書き始める場面があるが、まさにそんな感じだ。

(あのアシカさん、ここで何をやっていたのでしょうね?)
(魔術回路の設計でしょ。さっぱり意味不明だけど)

 鼻を抑えながら、ミーナは恐る恐るゴミ部屋に足を踏み入れる。
 しかし明らかに空振りだと分かった。
 多分、本格的な作業施設は他にあって、オ・クックが荷造りすると言っていたのも、そちらのことだろう。
 それでもゴミの中から二冊の魔術書を発見した。
 何度も濡れたり乾いたりを繰り返して、ページはガビガビ、インクは滲んで読めない部分が大半だったが、幾つかの知らない呪文が記されている。
 彼女はその二冊を戦利品にすることにした。

 その後、もう一つの目的である没収された手荷物の保管場所を確認した。
 こちらはあらかじめ見当を付けていて、ファザードと中央広場の間に、運ばれてきた荷物をチェックするための検閲所があったのだ。
 予想通り、ミーナとネウロイの手荷物もそこに保管されていた。
 しかし兵士の数が多く、気付かれず取り戻すことはできなかった。夜半にもう一度、ここを訪れるべきだろう。
 ミーナは戦利品とともに共同浴場に帰還した。
「ネウロイ、いないの?」
 彼女が戻ると、ネウロイの姿は消えていた。
 ジェクサーティーの取り調べを受けるために、先に連行されたのかも知れない。言葉が通じないのだから、実のある話はできないと思うのだが。
 ミーナの脱走が騒ぎになっていないのは、彼がうまく口裏を合わせてくれたのだろう。
 ネウロイ自身、こういう修羅場は何度も潜り抜けているので、別段心配はしていない。
「わたしの順番まで、少し時間がありそうね」
 ミーナは固いベンチに腰掛けて、さっそく読書にふけることにした。

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