無限のオーア 2

 異世界へと続く扉(ポータル)が、どのようなきっかけで出現し、どのような経緯で検証されたのか、ミーナにとってはどうでもよかった。が、それがオカルト的なものではなく、科学的に重要な発見だということは理解した。
 ポータルの出現から約4ヵ月。
 彼らは突貫工事を行って、もとは天然の洞窟だった場所を、人工の地下施設へと変貌させていた。
 光る地底湖の周辺は掘削され、今ではフィットネスジムにある温水プールのような、コンクリートを敷き詰めた広々とした空間が形成されていた。
 様々な計測機器や、食料や建材などの物資が運び込まれ、10名あまりの研究者が忙しく動き回る。飛び交う言語は英語だが、人種の多様さと、言葉の訛り具合から、世界中から優秀な科学者が集められたものと思われる。
 地上から地底湖までは、物資搬入用の、なだらかなスロープが続く。
 300メートルに満たない長さの搬入路だが、途中、三ヵ所の検問所を通らなければならないという。
 ミーナが運び込まれたのは、天然の洞窟にもとからあった枝道を整備した、作業員や研究者のための宿泊施設であった。
 彼らの要望は、たった一つ。
 ポータルを抜け、異世界に赴き、向こうの様子を確かめて来い。
 それだけだった。

「つまり、人間たちは、わたしを厄介払いしたいわけね」
 ミーナはフフンと鼻先で笑った。
「それは誤解です。すでに先遣隊がポータルをくぐり、無事に戻ってきています。こちらの世界に戻ろうと思えば、いつでも戻れるのです」
「人間が生存できる世界ってこと? ならば、なぜわたしに白羽の矢が立ったの?」
「危険がゼロとは申しません。実際、先遣隊の3名が死亡しております。いずれも訓練を受けた優秀な兵士でした」
「向こうの人間に殺された?」
「この写真をご覧ください」
 スクリーンに映し出されたのは、朽ちた樹木だった。
 いや、これは樹木に擬態した生物だろうか。大きさは3メートル弱。体の表面はごつごつとした樹皮そのものである。
 手足は、あるのか無いのか。単なる横枝と根っこに見えなくもない。
 無数の弾丸の痕があり、そこから黒い樹液が流れ出している。
 激しい戦闘が行われた後のようだ。
「生物なの?」
「そう報告を受けています。キャンプ地を整備するために森林を伐採していたところ、突然、襲い掛かって来たそうです」
「一体だけ?」
「そのようですね」
「何だか、動きが鈍そうに見えるけど」
「戦闘能力は皆無でした。が、何やら甘い匂いを発して、幻覚を見せるようです。こちらの被害はすべて同士討ちによるものでした」
 と、ロボットは説明した。
「他に生き物は?」
「角が鋭い刃物になっている甲虫。真っ白な体毛をしたイノシシ。野犬の群れ。羽の生えたサルのような生物が目撃されています。他にも奇妙な鳥の鳴き声など、こちらの世界とは異なる生態系が存在しています」
「面白そう」
 こちらの世界は人の手が行き渡り過ぎて、何も目新しい発見がなくなって、生きることに飽きてしまって、ミーナはしばらく眠りに付くことにしたのである。目覚めのアラームが鳴るのは、予定ではこれより100年後の世界だったはずなのだ。
「いいわ、わたしが見て来る」
 ミーナはあっさりと決断した。不死の肉体を持つわたし以外に、未知の世界を開拓する適任者はいないだろうという自負もあった。
「本当によろしいのですか?」
「そのために、わたしを目覚めさせたのでしょう? 何か不満がある?」
「いえ、話が早くて助かります。出発は3日後の予定ですが、何かこちらでやり残したことはありますか?」
「あるわけない」
 世の中のあらゆる物事に対する執着を捨てたからこそ、10年前、彼女は長い眠りについたのである。不死の生物を殺すための最高の武器は、退屈だ。

 光る地底湖の淵からそっと手を入れ、水をすくい取る。
 匂いを嗅ぎ、それを口に含んでみる。
 普通の水だった。手のひらにすくった瞬間、黄金色の光も消えていた。
「ただの湧き水ですよ」
 背後から一人の男が近付いてきた。
 彼の名は、ネウロイ・チップマンク。ミーナとは古い顔見知りである。
 金色のメッシュが入った黒髪をオールバックで固め、ダークグレーの背広を着こなしている。背丈は180センチに届かない程度だが、野生の動物を思わせるしなやかで筋肉質な体格をしている。
「ポータルから何かしらのエネルギーがこちらの世界に漏れ出ているのは確かでしょう。ポータルをくぐる瞬間、そのエネルギーが黄金色に輝く。しかし、それはすぐに空気中に分散してしまう。地底湖全体が輝いて見えるのは、単に水が光を乱反射しているに過ぎません」
「見れば分かる」
 ミーナは強がって応えた。
 昔から、この男の慇懃無礼な態度は鼻に付くのである。今すぐ殺してしまっても構わなかったが、余計な騒ぎを起こして異世界に行けなくなるのも面倒だ。
 ミーナは振り返って、噴水の周囲を見渡した。
「お前も暇ね」
「お互い様でしょうに」
 暇な人間は、彼らの他にも大勢いた。
 おそらく今回のミッションに参加する面々であろう。
 研究者チームは機材とともにいったん撤収し、代わりに、どう見ても一般人には思えない異質な連中ばかりが集められていた。
「彼ら全員、向こうに行くの?」
「でしょうねえ。あそこにいる迷彩服の軍団は、デヴィリヨン。アメリカに籍を置く、民間の警備会社です。彼らが向こうのキャンプを、設置、管理、警護するそうです」
 14名からなる、私設軍隊だった。アサルトライフルや軽機関銃で武装している。
 それ以外は、顔も名前も分からない、怪しげな連中が9名。
 ミーナとネウロイを入れて11名ということになる。
「彼らのプロフィールを手に入れましたけど、ご覧になりますか?」
「いい。興味ないわ」
 どの道、作戦行動が指示されているわけではない。
 たとえ命令があったとしても、大人しく従うつもりもない。
 向こうの世界に到着したら、各々がバラバラに行動することになるだろう。交友を深めたところで何の意味もなかった。
「それよりも……」
 ミーナは噴水の真上にクレーンで吊り下げられた、荷物運搬用のコンテナに目をやった。
「まさか、アレに入るの?」
「二人乗りだそうですよ」
「せめてエレベーターくらい用意しなさいよ」
「このポータルが、いつ閉じて無くなるかも分からない状況ですからね。必要最低限の物資と人員を、とりあえず送ろうという方針なのですよ」
「お前も、遺書は書いた?」
「まあ、一応は」
 ポータルが閉じて帰って来られなくなる可能性。
 もちろん、そんなことは覚悟の上だった。
 事前にミッション参加の誓約書にサインし、遺書の作成、異世界に持っていきたい物資のアンケートなどが行われた。
    ミーナは替えの衣服だけを希望し、遺書は書かなかった。
 なぜなら不死の肉体を持つ自分が死ぬことはあり得ないから。
「ふん、お前にも遺書を残す相手がいたの」
「そりゃあもう。僕が死んだら、涙を流す女性の数は両手では足りませんよ」
「言ってなさい」
 ネウロイの場合、その言葉もあながち誇張ではないのだろう。
「ミーナさん、で呼び方はよろしかったですよね? 出発まで、三十分ほど時間があります。何か飲み物でも作りましょうか?」
 彼は移動式のバーカウンターを指差した。

 クスクスと横合いから笑い声が聞こえたのは、その時だった。
 ミーナの目の前の空気の密度が、急に濃くなった感じがした。
 しかし彼女は慌てず騒がず、横に何歩か移動することで、その攻撃を軽くかわして見せたのである。
 幼稚な真似を。
 ミーナは声がした方向を睨み付けた。
 年の頃は二十歳手前の、顔も背格好もそっくりな双子であった。
 まさか攻撃が避けられるとは思ってもみなかったのだろう。片方は目を丸くして、もう片方は口を半開きにして驚いている。
「僕が叱って来ましょうか?」
 ネウロイが瞳を細めて言った。
「いいわ、わたしが遊んであげる」
 彼女は微笑むと、つかつかと双子の兄弟に歩み寄った。
 彼らが使ったのは多分、念動力に違いない。ミーナの身体を押して、地底湖に落とすつもりだったのだ。
 兄弟は仲良く手を繋いでいる。そうしないと、強い力を発することができないのだろう。
 ようするに、その程度の粗末な能力ということである。
「目立つよ、お前。恥ずかしくないのかよ?」
「女がどうしてここにいんの? 犯っちまうぞ?」
 攻撃が外れたのは偶然と判断したのか、彼らはガラの悪い態度で、逆にミーナに詰め寄ってきた。
「ねえ、人選は真面目に行ったの? こんなのが混じってるようじゃ、先行きが不安なのだけれど」
 ミーナは腰に手を当てて、声を張った。目の前の双子ではなく、この地下施設を取り仕切っている管理者に向けての言葉だった。
「こんなのって、俺たちのことか?」
「スカしてんなよ、女のくせに」
 直後、ミーナの頭上の空気が収縮した。
 しかし彼女の瞳には、彼らの使用する念動力の流れがすべて見えていた。
 この双子は器用にも、自らの生命力(オーア)を使って、離れた場所に物理エネルギーを生成することができるのだ。
 目には見えないエネルギーの塊は、おそらく重さにして数百キロはある。
 物を壊すには十分な威力だ。
 だが、当たらなければ意味がない。
 ミーナの見立てでは、彼らは念動力のコントロールが雑であった。彼女がこれまで出会った超能力者と比べても、二流もいいところだ。
「これが、どうかした?」
 彼女は右手をかざして、頭上に落ちてきたエネルギーを弾き返した。
 オーアで生成したエネルギーならば、オーアを使って逆に制御することも可能である。
 コンクリートが詰まったドラム缶を投げ返すようなイメージ。
 エネルギーの塊は双子の片方に飛んでいく。
 無情にも、少年の膝下を直撃した。
「兄貴!」
 突然、後方に吹っ飛んだ兄を、弟が驚愕の表情で見つめる。
 兄のほうは衝撃で床に後頭部を打ち付け、昏倒していた。両膝から下があらぬ方向に曲がって完全に潰れている。
「適当に返したのだけれど、お前は運が良かったわね」
 ミーナは弟に向けて言い放った。
「メディック、お仕事ですよ」
 ネウロイがデヴィリヨンの私設軍隊に声を掛ける。
 医療担当らしい女性隊員が2名、倒れた少年のもとに駆け寄った。
 怪我の状態からして、彼らは早々にミッションから脱落だろう。
「兄貴……何てこった、兄貴……」
 弟は信じられないといった表情で、その場に立ち尽くしている。
 他の参加者たちは、さすがに肝が据わっていた。大きなサックを背負った研究者らしき3名は青ざめているものの、それ以外は表情一つ変わらず、むしろ面白そうに事の成り行きを見守っている。
「ミーナ様、悪ふざけはそのくらいでお願いします」
 機械音声が響き渡った。ミーナは天井付近にある監視カメラを睨み付ける。
「わたしが悪いの?」
「いいえ、先に手を出したのは彼らです」
「でしょう? だいたい、待たせ過ぎ。時間を持て余すから、こういう馬鹿が騒ぎ始めるのよ」
「申し訳ございません。参加を予定していた1名がキャンセルになり、ミッションの確認に時間を取られていました。それでは、さっそく始めましょう。予定表通りに、デヴィリヨンの方々から2名ずつコンテナに入ってもらいます」
 指示を受け、迷彩服姿の兵隊がタラップを上り、コンテナに入ってゆく。
 すでに一度、先遣隊として向こうの世界に行った経験があるのだろう、その顔に不安の色は窺えなかった。
「僕とミーナさんがペアで、一番最後です」
 ネウロイが言わずもがなのことを耳元で呟いた。

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