聖剣狩り(後編) 5
町の中央には、半分に割れた卵の殻のように、アビゼジルが突き刺さっていた。
浮遊していた高度が低かったこと。
見た目ほど質量が大きくなかったこと。
魔力によって落下速度が制限されていたこと。
三つの理由から、大爆発によってセルギュネの町が吹き飛ぶような事態にはならなかった。
真下にいた兵士たちが逃げる時間も十分にあったようだ。
その一方、竜巻による損害のほうがかえって深刻だった。
中央広場に設置された高射砲は、空から降って来た瓦礫の直撃を受け、砲身部分が折れ曲がってしまった。これではもはや使い物にならない。
広場周辺の建物は、ほぼ壊滅状態と言っていい。場所によっては、地上にあったものが根こそぎ持っていかれ、更地と化してしまっている。
魔術で動く石像も、残ったのは数体のみである。それも魔力の供給が絶たれ、ただの置物と化している。
散発的な戦闘は、町のあちこちで今も続いていた。
しかし生き残った蟲姫軍の大半は、アビゼジルが地上に落ちたのを目の当たりにして、個々に撤退を始めていた。
一方の剣王軍も、主力はゾワンスズの森に落ち延びていた。
補給も途絶え、余力もない。これ以上、戦闘を続けても消耗が激しくなるばかりでその先が見込めない。
戦争は双方痛み分け。
それがミーナの受けた印象だった。
剣王軍はリーダーであるジェクサーティーを失い、セルギュネの町を放棄せざるを得ない状況である。
そして蟲姫軍は、侵攻の要であった空中母艦一隻を失った。兵士の人的被害も、剣王軍より多かったはずだ。
ではこの戦争によって、誰が一番得したのかと言えば。
「それは、わたしか」
教会の屋根の上から町を見下ろし、ミーナはそう呟いた。
町の北側にあるファザードを、ミーナは徒歩でくぐり抜けた。ゾワンスズの森に一番近い外門だったからだ。
ゾワンスズの森は、城塞都市セルギュネの水源になっている。なので水路をたどって行けば迷わずに森に到着できる。
ネウロイとは、別に示し合わせたわけではなかった。
だが、ジャガーは森林を好む生物である。
もし彼が町の外で待っているとしたら、それは一番近くにある森林だろうとの確信があった。
彼女の予想通り、ミーナが水路沿いを歩いていると、森の中から走って近付いてくる男がいた。まるで尻尾を振ってご主人様を出迎える犬のように、ネウロイは満面の笑みを浮かべている。
「うっとおしいわ」
彼の顔を見て開口一番、ミーナは毒づいた。
ネウロイを置き去りにしてやればよかったと、多少本気で考えた。
「まいりましたね。空に浮かんでたでかいのが落ちた時は、どうなるかと思いましたよ。まあ、ミーナさんが巻き添えで死ぬことはあり得ないんですけど」
「お前はずっと森にいたの?」
「いえ、僕も途中までは町にいました。ほら、あの時、変な空間に飛ばされたでしょ。町の外に避難したのは現実に戻った後でしたね。剣王軍の撤退が始まったので、こりゃマズいと思いまして」
「いい判断ね」
「でしょう? それにこれ、見てくださいよ」
ネウロイがそう言って荷物から取り出したのは、銀貨が詰まったポーチだった。しかも、この町に来る前より、中身が増えている。
「これ、取り返してきました」
「お前まさか、火事場泥棒やってたの? 何てあさましい」
引き気味の表情で、ミーナは言った。
「お金が必要だって言ったの、ミーナさんじゃないですか。見てください、思わぬ収穫もあったんですよ」
次に取り出したのは、丸まった一枚の地図。
大陸全土が網羅され、もちろんそこには剣王が統治していた16の要塞都市の名前もあった。セルギュネは、大陸でいうとほぼ中央から、距離にして200キロほど南西に位置した場所にあった。そしてそこから徒歩で約一日半、街道沿いを80キロほどさらに西にいったところにある森林が、彼らがキャンプを建設中の所在地である。
「へえ、大陸ってこんな形してたのね」
ミーナは地図を広げて、そのおおまかな地形を頭に入れる。
例えて言うならば、底が尖ったティーカップを真横から見たような形である。
逆台形で、北側のほうが土地が広い。南側に向かって、両サイドからすぼまっていくような感じだ。
そして東側から取っ手の部分にあたる、半島が突き出している。エーブルデ半島というらしい。その周辺には小さな島々が点在している。
また、大陸全土が大きく三分割されているのが特徴だった。
巨大な山脈が二つ、北から南へと大陸を縦断しているのである。
東の山脈が、ラウンギネ山脈。西の山脈がオデリマ山脈と、地図には書いてある。
この二つの山脈に仕切られた三つの大地を、東大陸、中央大陸、西大陸と呼んでいる。フェスベラルダ語で、そのままの意味である。
城塞都市セルギュネは、中央大陸の西寄りに位置している。
それ以外の15の都市は西大陸に5つ、中央大陸に6つ、東大陸に4つ存在している。
ジェクサーティーは、16聖剣の半数が倒されたと言っていた。
中央大陸にあるセルギュネが攻められたということは、西大陸にある5つの都市は、すでに陥落したと考えるべきだろう。
残っているのは中央大陸の東寄りにある3つ、そして東大陸にある4つ。
そんなところか。
蟲姫イェナルディーナは、大陸の三分の一を、すでに手中に収めていることになる。
「これからどうしますか?」
ネウロイが尋ねた。
「決まってる。乗り物を取りに行く。鍵だけ持ってても仕方ないもの」
「ああ、そりゃそうですね」
「イタチが言ってた遺跡はどこらへん?」
地図に目を落としたまま、ミーナは歩く。
「カブ何とか遺跡でしたっけ?」
「カブコル遺跡」
どうやら地図には載っていないようだ。細かい遺跡の場所まで記していたら、地図が文字で埋まってしまう。
「遺跡といえば、キャンプの周辺にも幾つかありますよ」
「そんなこと言ってたわね」
「はい。今度、調査隊が出る予定です。この際だから、キャンプに一度戻って、準備を整えてからにしませんか? 服や杖も新調できますしね」
「そうね。それがいいかも」
情報が無いのでは動きようがなかった。大陸の地理に詳しい人間を、どこかで捕まえなければならない。
オ・クックと言ったっけ。彼が所属しているナーシプロシーという魔術結社が、第一候補になりそうだ。大陸各地に魔術師を派遣しているなら、当然ながら、地理にも精通しているはずである。
「決まりですね。実は森の中に馬を隠してあるんですよ」
ネウロイが得意げに告げた。
「何頭?」
「一頭だけしか奪えませんでした」
「お前、乗馬はできた?」
「まあ人並みには。僕は意外と、動物と相性がいいんですよ」
「お前自身が動物だものね」
今後の方針はそれでいいとして、少し気掛かりなことがある。それはポータルとキャンプの所在地だ。
地図を見る限りでは、蟲姫の勢力圏に含まれている可能性が高い。特に価値のない場所だから見捨てられているものの、キャンプが大きくなって発見されれば、蟲姫軍との衝突は回避できないだろう。
早急に火器を充実させる必要がある。
ポータルを敵に奪われることだけは、何としても防がねばならなかった。
「ミーナさん、一つ質問していいですか?」
「なに?」
「馬を調達する時に、剣王軍の兵士に聞いたんですが、16聖剣を倒したのは、見たことのない服を着た白い髪の少女だったって」
「あれね。セスカが殺したの」
「うわ、本当ですか? じゃあ、あの高射砲を使って、蟲姫軍の要塞を落としたのも」
「それはわたし」
「ええっ?」
ネウロイは驚愕のあまり絶句した。改めて、畏怖の眼差しを隣に歩く少女に向ける。
「それがどうかした?」
「いや、だって、するとですよ? この状況をミーナさんがたった一人で作り上げたわけでしょ? つまり、たった一人で両軍を壊滅させたことになりませんか?」
「ただの結果よ。最初から両軍の相打ちを狙ってたわけじゃない」
しれっと言ってのける。
「お、恐ろしい人だ」
「何よ?」
「前々から恐ろしい人だとは勘付いてはいましたけど、ミーナさん、あなたは強過ぎる」
ネウロイは改まった口調で言った。
「ここで宣言しますよ。僕は、あなたには一生逆らいません。大陸の覇を競う資格を得たといっても、僕はオマケみたいなもんですしね。別にミーナさんに協力したって構わないわけでしょう?」
「でも、最終的に生き残るのは一人きり。そしたらわたし、お前を殺すかもよ?」
かもではなく、ほぼそれは確定事項に近かった。
ミーナの容赦の無さは、ネウロイだって十分に承知している。
「だから、最後の二人になったら、僕は試合を放棄します」
「そんなことできるの?」
「ポータルを通って元の世界に帰ってしまえばいいんですよ」
「ああ、そういうことね」
本当に可能かどうかは知らないが。その前にポータルが閉じてしまうことだってあり得るのである。
「好きにしなさい。わたしの邪魔さえしなければ」
「ありがとうございます。あ、ほら、あの馬ですよ」
森の入口に一頭の葦毛の馬が繋がれていた。鞍も鐙も着いているので安心した。裸馬に長時間乗ると、腰が痛くて歩けなくなるからだ。
ネウロイが馬をなだめながら、手綱を握った。
「さあ、姫。どうぞ」
差し出された手を握り、ミーナは馬上の人となった。
夜空に新月が浮かんでいる。
決して付かず離れずこの惑星の軌道を周回し続ける、光と影を重ね合わせた二つの衛星。奥の衛星は自らが淡い輝きを放ち、手前の衛星はその輝きを遮って常に影の中にある。まるで自分とセスカのようだとミーナは思う。
「聞いたところによると、歴代の大陸の王には、それぞれ異名があるみたいですね」
手綱を操りながら、ネウロイが言った。
「知の王パルナンドス
凍える姫エク・ピリ
花姫トゥーミアー
剣王オストボウね」
と、ミーナが答える。
「もし、ミーナさんが次の王になった時は、何て呼ばれるんでしょう?」
「知らないし、興味もない」
「だったら僕が名付けてもいいですか?」
「勝手にして」
「そうですね……逆光の魔女が、やっぱり一番しっくりきますね。逆光の魔女ミュー・ナヴァルニーナ。向こうの世界でそう呼ばれてるの知ってますよね?」
「名前が長くてくどい。ただのミーナでいい」
けれど、逆光の魔女という響きは嫌いではなかった。
あの双子の新月を表しているようで、意外にもしっくりくる。
「僕は、狩猟王とかいいなあ」
「狩猟王ネウロイ・チップマンクね。明日からそう呼んであげましょうか?」
「いやいや、恥ずかしいから止めて下さい。やっぱり、異名なんて自分で付けるもんじゃないですよ」
ネウロイは気まずそうに笑って、馬の腹を鐙でキックした。
しかし、それは一つの予言であった。
彼ら二人は、後に異名を冠する存在になるのである。
蟲姫イェナルディーナ。
そして幽姫スィン・グスク。
大陸の覇を唱えんとする二人の《落とし児》に立ちはだかる第三勢力として。
逆光の魔女ナヴァルニーナ。
獣王ネウロイ。
彼ら二名の異名がフェスベラルダ大陸に鳴り響くのは、もうしばらく後のことである。
(逆光の魔女 おわり)
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