7

 翌朝の食堂で、多希は二人の親友にゆらを紹介することにした。
 変わり身が早い性格だとは、よく言われる。直情的で、つい昨日まで大好きだったものが、一晩経つと大嫌いになってたりする。その逆もある。多希と付き合う男は苦労するだろうねとは、友人全員の一致した見解である。
 新しいルームメイトであるゆらとは、そもそも仲違いをするほど親しくはなかった。初対面でちょっと生意気な口をきかれたものだから、反りが合わないと勝手に印象を抱いただけである。
 けれど、彼女は大ぼら吹きではなかった。
 昨夜の魔術儀式を通じて、おぼろげながらその目的や思惑も理解できた気がする。たったそれだけのことだけれど、多希の彼女に対する心象は、昨日とはがらりと変わっていた。

「こっちが、大森(おおもり)三緒(みお)。もう一人が児玉(こだま)由宇(ゆう)。二人とも1年の時のクラスメイトだよ」
「よろしくね」
「よろしくー」
 ボブカットの髪型をして、そばかす顔の子が三緒。肩先までのストレートヘアで、頬がリンゴのように赤いのが由宇だと、ゆらには特徴を説明しておいた。
「棚橋ゆらです。よろしくお願いします」
 ゆらはペコリと頭を下げた。
 彼女たちの前には、パンケーキにサラダとコーヒーがついたモーニングセットが置いてあった。朝は和食じゃないと力がでない多希だけが、焼き魚定食を頼んでいる。
 岩水寮の食堂は、登校前のまったりとした空気に満ちていた。朝が弱いお嬢様が多く、ところどころ空席も目立つ。1学期の期末試験が終わり、あとは夏休みを待つだけとあって、生徒たちも気が緩みがちなのだろう。
 漏れ聞こえる会話の中身は、もっぱら夏休みの過ごし方と、別の宮へのトレードの話題だった。どうやら3年生に二人、2年生に四人、別の宮からトレードの要請が来ているらしい。もし彼女たちが転校していったら、その補充人数分、他校から新しい生徒がやって来るわけで、寮の部屋割りも含めて他人事ではいられないのだった。

「近くで見ると、本当に美しいわー。可愛いって感じじゃなくて、キレイって感じよね」
 三緒がゆらを評して言った。
「留学帰りって聞いたから、もっと派手な子かと思ってたんだけど、楚々として大人っぽい感じだよね」
「ありがとうございます」
 ゆらは頬を引きつらせて笑う。こういう社交辞令は苦手らしい。
「で、どうなの?」
「どうとは?」
「多希と何があったの? 昨日は生意気だのムカついただの、部屋割り変えてもらうだの散々文句言ってたのに、一晩経ったらこうやって仲良く食事でしょ? 昨日の夜、何かがあったと思うのが普通じゃない」
 と、由宇が指摘する。
「わたしに聞かれても困りますが」
「別に何も無いよ。少し話し合って、誤解が解けただけ」
 多希が取り繕った。
「まあ多希も色々と大変だからさ。人に対して多少、偏屈になっちゃうところがあるのよ。棚橋さんも、そのへん理解してくれると嬉しいな」
「そりゃあ、始終後輩に付きまとわれたらねえ」
 三緒の目線が斜め後ろのテーブルに泳いだ。
 そこには赤いリボンを胸に下げた四人の生徒が、丸テーブルを囲んで食事をとっていた。周りに聞こえない小声でひそひそと喋りながら、時折こちらのテーブルを観察するように視線を送ってくる。

「ああ、またあの子ね」
「あの子って?」
「確か、結城(ゆうき)香恵(かえ)さんだっけ? ナギナタ部の1年で、金魚のフンみたく多希を追っかけてるのよ」
「別に悪い子じゃないよ」
 多希は一応、フォローを入れておく。
「いい子でいるのは、あんたの前だけだよ。親衛隊を自称して、多希に近付く女子生徒に嫌がらせしてるって噂よ」
「止めなよ。ただの噂だろ?」
「部活の後輩を庇いたい気持ちは分かるけどさ、火の無いところに煙は立たないもんよ」
 由宇の話につられて、ゆらがチラリと後ろを振り返った。
「あの人、わたしと同じクラスです」
「あちゃー、それは気の毒だわね。きっと色々と嫌がらせされるわよ。自分以外の女が多希と同じ部屋なんて許せないってタイプだから。まあ、何かあったら、わたしたちか生徒会にでも相談するといいわ。副会長の養田亜子さんはすごく頼りになる人だから」
「というか、君にその手の悪ふざけは通用しないだろ」
 悪魔を相手に一歩も引かなかった彼女が、女子高生の嫌がらせごときで負けるはずがない。周辺から隔離された狭い社会での派閥抗争とかイジメとか、そういう瑣末な諍いを超越したところで、彼女は命を賭して戦っているのである。

 ──昨日の夜のゆらは、とても凛々しかった。悪魔を相手に堂々としていて。高潔な人は、イメージのなかでさえも清く美しいんだな。
 多希はゆらの端正な横顔を一瞥する。
 うっとりするほど長い睫毛、桜色の柔らかそうな唇。吸い寄せられてしまいそうだ。あの唇に自分の唇を重ねることができたら、どんなにか気持ちいいだろうか。
 ──ちょっと待って。今わたし、何を考えていた?
 多希は我に返った。心臓がバクバク鳴っている。
 どうしてしまったんだろう。一瞬でも、彼女をそういう目で見るなんて。
 思えば、今朝起きた時から変だった。いや、正確には昨日の夜からだ。なぜか、ゆらの表情や仕草ばかりが気になって、目を奪われてしまうのだ。
 考えられる原因は一つだけだった。どのような形であれ、ゆらが自分の深層意識に土足で上がり込み、足跡を付けていったのは事実。悪魔が宿主に影響を及ぼすように、ゆらの魔術が自分の心に何がしかの変化を起こしたとしても不思議ではない。
 ──バカ、気を確かに持ちなよ。これはまやかしだ。ゆらは同性で、後輩で、ただのルームメイト。まかり間違っても、恋愛感情を抱く相手じゃないだろ。
 けれど、心臓の鼓動が鳴り止まない。
「多希、顔が赤いけど大丈夫?」
 由宇が彼女の様子に気付いて声をかけた。
「ああ、うん。平気、平気」
 心の動揺を悟られまいと、多希は慌てて手を振った。
「ほんとに? 熱あるんだったら、寮長に言って休ませてもらったら?」
「そんなんじゃないって。喉に魚の骨がつかえて、苦しかっただけ。もう取れたから心配ご無用。あははは」
「あのねえ。良く噛んで食べなさいよね」
 どうにか誤魔化せたようで、ほっと胸を撫で下ろす。

「ところで先輩方は、去年の夏休みにあったパーティーには出席したんですか?」
 何の前置きもなく、ゆらが質問した。
 真横の席で悶々とする多希など、はなから眼中にない態度である。彼女のほうは、他人の深層意識に触れてもとりわけ影響はないようだ。
「パーティーっていうと、東京のホテルであったインターハイ激励会のこと?」
「それです」
「あれは、わたしたちには関係ないよー。だって、華道部と文芸部だもん。インターハイには出られないって」
 三緒がパンケーキを頬張りながら笑った。
「多希は出席したんでしょ? 興味あるんなら、多希から話聞けばいいじゃん」
「先輩からはもう聞きました。できれば、他の出席者にもお話を窺いたくて。この学校からは他に誰が招待されたんでしょう?」
「さあねえ……」
「あのパーティーってさ、夏休み入ってからいきなり招待状が来たんでしょ? その頃にはみんな、実家に帰省してたからね」
「そうだった。招待状、うちに直接届いたんだ」
 多希が頷く。
 しかもパーティーは半ば強制参加だったのだ。どうしても都合がつかない場合は、同じ高校から代理の者を立てるようにと指示されていた。
 今思えば、パーティーの主催者は是が非でも72名の頭数を揃えたかったのだろう。罠とも知らずまんまと飛び込んでしまったことが、悔やんでも悔やみきれない。
「会場では、誰かと会わなかった?」
「うん、現地集合だったし、誰とも会わなかった気がする。代理の人間でもオーケーってことだったから、見過ごしたのかも知れない」
 記憶喪失のことはあえて伏せておいた。
「ただまあ、うちの学園からインターハイに出られる人間は限られてるよね」
 由宇が指を折りながら言った。
「多希を除けば、副会長の養田亜子さん、それと美術部部長の鴻野(こうの)沙和(さわ)さん……」
「美術部?」
 ゆらは不思議そうに訊き返した。
「今は美術部ね。去年までは、新体操部と掛け持ちしてたのよ。今年に入って、新体操は引退して美術部一本に絞ったみたい。怪我ってわけでもなさそうだけど、もったいない話だよねえ」
「他にはいませんか?」
「生徒会書記の八島満智さんもそうかな? 去年は確か卓球部だった気がする。生徒会選挙で書記に当選して、部活辞めたんじゃなかった?」
「ああ、そうだったかもー」
「三人、ですか」
 人数が足りないと思ってるのだろう。ゆらはそっと溜め息を漏らした。

「ごめんね、役に立てなくて」
「でも、何でそんなこと聞きたがるの?」
「実は、わたしの古い友人がそのパーティーに出席していたかも知れなくて。長いこと音信不通だったので、何か手掛かりが掴めないかと思ったんです」
 嘘のつき方にも、淀みがなかった。三緒と由宇はすっかり信用して、じゃあ自分たちも情報を集めてあげると協力を約束した。
「その三人を調べるのなら、わたしも手伝おうか?」
 多希はさり気なく顔を寄せて、ゆらに耳打ちした。
「止めて下さい。先輩は目立ち過ぎます。これはわたしの仕事ですから、目立った行動をされて騒ぎになると、余計に迷惑です」
 ゆらは、素っ気なく断りを入れた。
「ごめん」
 彼女に必要とされていない自分に、多希はそこはかとなく寂しさを覚えた。





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