魔術人形コーネリア 4

「魔術を使うには、魔力を理解しなければなりません」
 ラナイは前提条件を説明した。
「ですが、それがとても難しくて。なにしろ、魔力は目に見えません。そこらじゅう、至る所にあるといっても、なかなか信じてもらえず」
「あなたには魔力が見えるの?」
「ええ。わたしたちタムアムは、ここで魔力を感じます」
 彼女はそう言って、自分の頬を触った。
 やはり左右三つずつある感覚器官は、オーアを感知するものだったのだ。
「心配いらない。わたしにも魔力は見える」
「本当、ですか?」
「地面からポコポコと湧き出している、アレでしょう? わたしは魔力ではなく、オーアと呼んでいるけれど」
「そうです。それです」
 ラナイは初めて笑った。こんなに愛らしい表情もできるのだと、少し意外だった。
「すごいですね。メチェクが無いのに、見えるなんて」
 感覚器官はメチェクというのか。
「続けて。魔力をどうすればいいの?」
 ミーナは先を促した。
「その前に、魔力にも種類があるのは分かりますか?」
「ええ、色が付いてる。それが不思議だったの」
「魔力にはそれぞれ特徴があります。魔術を使う時、それに見合った魔力が近くに無いと、十分な効果は得られません」
 彼女の説明によると、魔力には八つの種類があり、それぞれ次のような特徴を持っているという。

 赤い魔力。
 基本となる魔力。ほぼ、どこにでも見つけることができる。生物の体内にも存在する。動力、熱、結合、重力などをつかさどる。自分自身にこの魔力を使えば、自在に空を飛ぶことだって可能である。
 青い魔力。
 赤の対になる魔力。赤い魔力にぶつけると、互いに消滅する。また、この魔力で壁を作ることによって、魔力を一切受け付けない空間が出来上がる。抵抗、反発、消滅、静寂などをつかさどる。
 黄色い魔力。
 赤と組み合わせて使うことで、様々な魔術効果を発揮する。伝達、命令、同期、拡散などをつかさどる。黄色い魔力を固定させた道具によって、遠方にいる相手と会話することもできる。
 緑の魔力。
 非常にレアで、滅多に見かけない。具現、設計、回路などをつかさどる。この魔力を使いこなせる者はごく稀だが、壊れた物を復元したり、何もない空間から物を出現させたりもできる。
 白い魔力。
 緑が物質に作用するとすれば、白は生物に作用する。回復、治療、蘇生、解放などをつかさどる。いわゆるヒーラーが駆使する魔力。ミーナの全身はこの白い魔力で満たされており、彼女は致命傷を受けても復活する。
 黒い魔力。
 白と対になる魔力。呪い、傷、病気、死、支配などをつかさどる。死者を蘇らせて使役する、ネクロマンサーが駆使するのがこの魔力。また、相手を精神支配したり、発病させたり、直接的な死を与えることもできる。
 銀の魔力。
 自然界には存在しない、人工的な魔力。魔法陣をつかさどる。主に魔術を使ったトラップを作るのに使用されるが、まだ研究の段階であり、様々な使い道がありそう。
 金の魔力。
 銀と同じく、普段は自然界に存在しない。しかし混沌の隙間の時代になると、大陸各地に自然発生する。召喚をつかさどる。ポータルに流れ込んでいるのは、この魔力。

 以上の八種類である。
 ただし、この魔力というものは常に状態が不安定である。
 赤が永遠に赤かといえば、そうでもない。色の変化も頻繁に起こる。
 例えば赤の魔力と黄色の魔力が混じり合ったとする。するとオレンジ色の魔力になるかと言えば、そうはならない。赤が多ければ赤に見えるし、黄色が多ければ黄色に見える。同量の場合はコーヒーにミルクを垂らしたように見えるだろう。
 そして時間が経つと、魔力は影響力のより強い方に性質が引っ張られる。赤の魔力のなかに黄色を混ぜれば、しばらくは黄色の性質を保っているが、そのうち黄色は変化し、赤の性質だけが残るのだ。
 ミーナが他人の赤いオーアを吸収しても、彼女の体内で白いオーアへと変わってしまう。赤いオーアを大量に溜めこむことはできない。ということであれば、おのずから得意な魔術と、不得手な魔術が生じることになる。
「わたしはヒーラーに向いてるってことね」
 皮肉なものだと、ミーナは苦笑した。
 他人からオーアを奪って生きてきたわたしが、他人を癒す魔術が得意だなんて。
「基本的な魔術は、とても簡単です」
 と、ラナイは言った。
 手にした本のページを開き、そこに書いてあった音節を口に出した。
 フェスベラルダ語とはまったく違う言葉である。いや、それが言葉なのかどうかもミーナには分からなかった。ただの音節の組み合わせのように聞こえる。
 呪文を唱え終わると、地下室の天井に光の球が出現した。
 ミーナの見た限り、近くに赤いオーアは沸いていない。
 部屋を明るく照らすくらいなら、ごく少量の赤い魔力があれば十分なのだ。
「光がどれくらい長く持つかは、近くにある赤い魔力によります。けれど、いずれは自然消滅します」
「これ、誰にでもできる?」
「正確に発音ができれば、誰にでも」
「教えて。その本に書いてある呪文を全部。覚えるから」
「もちろん、そのつもりです。この本は差し上げます。どうせわたしには、必要のないものですから」
 本のタイトルは『ロンランティの書』とあった。ロンランティというのは、知の王の時代に生きた魔術師の名前だという。
「悪いと思うわ。病床の身で、無理をさせて」
「いいえ、何もせずに……何もないまま朽ちるよりは、ずっとマシです」
 きっと、これが自分の最後の仕事になる。
 その固く結んだ唇からは、ラナイの強い覚悟が窺えた気がした。

 魔術と呪文は、コンピュータとプログラムのような関係だと理解した。
 仕組みは分からなくても、プログラムを走らせれば、目的に合わせてコンピュータを使うことはできる。
 呪文さえ正確に唱えられれば、魔術を発現させることはできる。
 もちろん中には、きちんと魔術の仕組みを理解した上で、独自の呪文を開発できたりする魔術師もいるのだろう。自分でコードを書けるプログラマーのように。
 しかしミーナはそこまでの知識は望んでいなかった。
 それ以前の段階で、呪文の音節を発音するのがひどく難しい。
 いくら後付けで勉強しても、ネイティブとまったく同じ発音で言葉を喋るのが困難なのと一緒である。
 どうしても訛りや発音の癖が出てしまう。
 普段使わない母音や子音を流れるように発音するには、やはり子供の頃から耳を慣らしておく必要があるのかも知れない。
 あれから3週間。
 薄暗い地下室の中、ほぼ一日中顔を突き合わせて、二人は呪文の詠唱を勉強した。
 徐々に成果は現れ始めていた。
 ミーナの上達速度は、ラナイも驚くほどであった。
「わたしも兄さんも、この本の呪文を習得するのに、子供の頃から練習を始めて10年以上かかりました。それを、たった3週間で……」
「成功確率は9割ってとこか」
 ミーナはまだ満足できなかった。
 練習で9割では、いざという時、慌てて失敗する確率のほうが高い。
 それが敵との戦闘中だったりしたら、目も当てられない。
「あなたみたいな人を天才というのでしょうね」
「わたしの脳は、特別だから」
 衰えないのである。記憶の衰えとは、ようするに老化現象だ。しかし不老不死のミーナの脳は老化しない。いつでも幼子のように細胞分裂を繰り返し、スポンジのごとく知識を溜め込んでゆく。
 魔術書に記してあった30種類の基本的な魔術。その効果と呪文は、すでに頭の中に叩き込んである。問題は上手く発音できるかどうかだ。
「いいと思います。ユゥの音が不安定な時がありますけれど、それは繰り返して練習するしかありませんね。ミーナさん、お疲れさまでした。これ以上、わたしが教えることは何もありません」
 ラナイはやがて、寂しそうに笑った。
 彼女たちの今生の別れが近付いているという証左でもあった。

「前にも聞いたけど、身寄りはいないの?」
「タムアム族では、おそらくわたしたち家族が最後の生き残りです」
 彼らは一世代前の混沌の隙間に、こちらの世界にやって来たと伝えられている。
 しかし剣王とその眷属の前に戦争で敗れ、大陸の覇を唱えられず、徐々にその数を減らしていったという。
 決してタムアム族が特別なのではない。
 混沌の隙間には、そうやって滅びていった種族が無数に存在するのだ。
「よければ、わたしの知り合いがいるキャンプに来る? わたしが口添えすれば、丁重に扱われると思う」
「いいえ、今更です」
 彼女はきっぱりと断りを入れた。
 決心は固い。ならば、もう彼女の心を惑わすのは止めておこう。
 ミーナは明日、この屋敷を出てゆくことを告げた。
 どこか人の多い場所に向かうつもりだと言うと、それなら城塞都市セルギュネが一番近いと、ラナイは教えてくれた。
「ここから森の小道を抜けて、東へ1日半ほど歩けば見えてきます。小高い丘の上に町が広がっているので、見過ごすことはないと思います」
 そう言って、細く長く息を吐く。
 自分の役割は終わったと自覚したラナイは、ゆっくりとベッドに身を横たえた。
 彼女の肉体を蝕む黒いオーアが、一層濃くなった気がした。
 体力的にも限界だったのだろう。いつ重篤状態になってもおかしくないところを、気力だけで支えていたのだ。
「眠くなってしまいました」
 目を閉じ、途切れがちの声で呟いた。
「楽しかったです。本当に」
「わたしもよ。もし、最後に何かして欲しいことがあれば言ってみて。わたしができることなら、願いを叶えてあげる」
 ミーナは彼女の痩せた手を握って言った。
「では、一つだけ」
「なに?」
「わたしを灰にして下さい。この屋敷ごと。タムアムは、この世界に来るべきではなかった。お願いです、タムアムをこの世界から消し去って」
 ラナイの頬から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


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