27

 最初の悲鳴が聞こえてから、どれくらい経っただろうか。
 時間の経過と共に、建物内が静かになってゆくのが怖くて不気味だったが、ベッドの下に身を隠した二人の少女に、この異変を調べに行くだけの勇気はなかった。
「三緒、何があったのよ?」
 震える声で、由宇が訊ねる。
「分からなーい」
 反対側のベッドから、三緒が小声で囁いた。
 建物が停電したのは確かだった。急に部屋が真っ暗になって、あちこちで寮生たちの悲鳴が聞こえたのだ。すぐに電気が復帰するだろうと、初めのうちは楽観的に構えていたが、明かりは一向に点かず、なぜかドアの向こうから喧騒が消えていった。
「もしかして、泥棒だったりして」
 三緒がそう言ったのを覚えている。
 二人は暗闇のなかで顔を見合わせると、衣装ケースを引っ張り出し、どちらともなくベッドの下にできた僅かなスペースに逃げ込んだのだった。

「由宇、わたしたちずっと、このままでいるの?」
「助けが来るまでの辛抱よ」
「助けって、誰がー?」
「分からないけど、これだけ人がいるんだから、誰かが助けを呼んで来るでしょ」
 何とも他力本願な一言だった。
 停電が起きたとき、寮内には100名以上の生徒職員がいた。学校のほうにも宿直の教師や警備員が待機している。彼らのところには、すでに連絡がいっているはずである。
「でもさー、何でこんなに静かなの?」
「知らないよ。知りたければ、そこのドアを開けて外に出てみたら?」
 由宇は突き放す。不安と猜疑心とで、心の平静が保てなくなっている。
「わたしたちを残して、みんなで出かけちゃった……わけないか」
「シッ! 誰かが来るよ」
「えっ? 何も聞こえないよ?」
「床に耳を当ててみて。足音が近付いてくるでしょ?」
 由宇の耳は、木造建てのボロい廊下が軋む音を、確かに捉えていた。
 足音が一つ、西側の階段をゆっくりと上がってくる。

「だ、誰かな?」
「いいから、じっとしてなさい」
 二つ向こうの部屋のドアが開く音がした。続いて何か重いものが床に落ちる音。
 数秒後、再び静寂が戻り、足音のリズムが廊下の板を叩く。
 今度は一つ手前の部屋のドアだった。どうやら足音の主は階段の手前から順番に、部屋を見回っているようなのだが。
「嫌ああああっ!」
 突然、部屋の壁越しに悲鳴が聞こえたのである。
 由宇と三緒はあまりの恐怖に、ベッドの下で身を縮ませた。
 ──どうしちゃったの、これ? 一体、何が起こってるの?
 寒くないのに、歯がガチガチと鳴り止まない。今の悲鳴は、本気の悲鳴だった。女同士がじゃれあって発する嬌声とは明らかに違っていた。
 隣室が静かになった。足音の主が、作業を終えたのだ。壁一枚を隔てた向こう側で何が起こっているのか、想像するのも怖い。だって、次にやってくるのは、この部屋に違いない。
 ──やめて。誰か、助けて。
 カチャンと音を立てて、ドアが開いた。足音の主が部屋に入ってくる。
 息をするのを堪えて、由宇はベッドの下から目を凝らす。
 真っ白い、女の素足が見えた。
 細い足首だった。覚束ない足取りで、部屋の中央で立ち止まる。
「あらあ、ここは誰もいないのね」
 その声には聞き覚えがあった。誰の声だったかが思い出せない。
「困ったなあ。早く見つけなきゃならないのに」
 その女が独り言を呟く。パチッと何かが一瞬弾けて、室内に閃光が駆け抜けた。
 由宇は両手で口元を押さえ、危うく悲鳴を飲み下す。
 ──光った!? 今、足が光ったよ!?
 校内で囁かれている、西の池の幽霊の噂が脳裏を過ぎった。じゃあ、アレは作り話じゃなかったの? 幽霊は実際にいたってこと?
 パニックが増幅する。彼女はわけが分からず、心の中で南無阿弥陀仏を唱え始める。
「疲れるわあ。わたし疲れること嫌いなのに」
 女は溜息をつくと、水鳥のようにフワリと踵を返した。

 足音が遠ざかってドアが閉じられても、由宇はしばらくの間動けなかった。物音を立てたら幽霊女が舞い戻ってくる気がしたのだ。
 みんな、彼女にやられちゃった。彼女にやられたら、多分、鴻野さんや養田さんみたいに記憶が無くなってしまうんだ。そうに決まってる。だから、絶対に気付かれちゃいけない。とにかく朝になるまで、この場所でじっとしていよう。窮屈だけど仕方ない。きっと朝になれば、幽霊はいなくなるはずだから。
 ふと、隣のベッドがやけに静かなのが気になった。
 小声で呼びかけても反応がない。よもや、さっきの光で三緒までもが犠牲になってしまったのだろうか。
 ──わ、悪い冗談だよね。
 由宇は心臓をバクバクさせながら、ベッドから這い出した。イモ虫のように床を這って、這いずって、隣のベッドを覗き込む。
 そこには、安らかな息を立てて気絶する三緒の顔があった。
 ──なんて都合よく気を失う奴。
 自分一人があんなに怖い思いをしたのかと思うと、不公平感に駆られた。けれど、この子ならどんな状況でも最後まで生き残りそうだと、由宇は確信を深めた。

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