無限のオーア 4

 デヴィリヨンのうち女性隊員は2名。2人とも、医療担当であった。
 他に女性はミーナだけなので、彼女たちは一つのパップテントを割り当てられることになった。
 身長170センチを超える長身のフィンランド人が、リーマ。
 グラマラスな体格をした肌が褐色のチリ人が、ノーベンバー。
 いずれも本名ではない、コールサインである。
「ミーナさん、これを渡しておきます」
 リーマが差し出したのは、太いアンテナが付いた、小型無線端末だった。
「いらない。使い方が分からない」
「携帯が義務付けられています。これがないと、定時連絡ができませんので」
「じゃあ後で使い方教えて」
 テントの中で、3人は車座になって会話を交わした。
 この『リッテラ』という端末は、今回のミッションに合わせて特別に開発されたものである。無線通信の他にも、便利な機能やアプリが付属されている。
 こちらの世界(1日が18時間)に合わせた時計。フラッシュライト。
 コンパス、歩数計。歩数計を使ったオートマッピング。
 録画、録音。メモ帳。文章をモールス信号に自動変換して送信する機能。
 AIによる未知の言語のパターン学習機能など。
 ただ、バッテリーの持ちは悪い。フル充電でも丸2日が限界だ。
「ミーナさんの行動の自由は保障されていますが、1日1度の定時連絡は欠かさぬようお願いします」
 画面を指で操作しながら、リーマは念を押した。
「この電池マークがバッテリーです。充電はキャンプで行うしかないので、できれば頻繁に足を運んでください。服の着替えなども、テントに用意しておきます」
「ええ、覚えてたらね」
「それと、これを」
 ノーベンバーがミーナ愛用の黒いステッキを手渡した。
 別に必須の武器というわけではないが、これを手にするとなぜか安心するのだ。
「ありがとう。説明はもういい。少し外の空気を吸ってくる」
 無線機をポーチに入れて立ち上がる。
「でも、まだアプリの使い方が……」
「あなたたちも、武器を携帯しておきなさい」
「え?」
「鳥の声が消えた。何だか、きな臭い」
「鳥の声? 水の音しか聞こえない」
 ノーベンバーが不安そうに、腰のホルスターから拳銃を取り外した。
 人間の聴覚では、まだこの異変に気付かないようだ。
「隊長に連絡します」
 立ち上がったリーマを、ミーナは片手で制する。
「かえって邪魔になる。安心なさい。あなたたちが前線に立たなくても、ここには戦闘力の高い連中が集まってるのだから」
 ミーナは不敵に笑うと、テントを出て、夜の闇のなかに身を滑り込ませた。

 それは黒い目出し帽を被った男の首であった。
 首は地面で一度バウンドし、焚火の中に放り込まれた。
 火の粉が盛大に舞い散り、辺りには甘い果実のような異臭が漂い始める。
「これはこれは。お帰りなさいませ、アーミー・ワン様」
 男の首に向かって、チャウ・チェンが一礼した。
 白い調理服を来た東洋人の男は、背負っていた刃渡り1メートルはあろうかという巨大な中華包丁を両手に構えた。
 自称、害獣専門の料理人。この男は食材の調達から自らの手で行うようである。
「この臭いは何でしょうね。鼻が曲がりそうですよ」
 ネウロイが鼻をヒクヒクさせて言った。
「何かをこちらに誘き寄せる餌みたいね。というか、すでに囲まれてる」
 ミーナの深紅の瞳には、頭上にうごめく大勢の生物が、赤いオーアの流れと共に見えていた。多分、昆虫の類だろう。
 樹木を這い伝いながら、キャンプへと近付いてきている。
「木の上よ。百匹は下らない」
「どれ、軽く相手してやろうかね」
 全身をスケイルメイルで固めた男が言った。
 彼の名はゲイルドッグ。金属製の鎧を着た、身長2メートルの大男だが、驚くべきはその素肌である。自身の皮膚が、岩肌のようにゴツゴツと固いのだ。
 まるで鎧の下に、もう一つ鎧を着けているかのよう。
 手にした獲物は、ポールアックス。
 頭上の敵にはもってこいの武器だ。
「コイツは川に捨てちまっていいだろ?」
 プレリ・プレリンが、黒頭巾の首を掴んで、沢の方向に放り投げた。
 ゲイルドッグとは対照的に、この男は軽装備だった。いや、軽装備過ぎる。なにしろ、競泳パンツ一枚しか履いていない。
 慌ててテントを飛び出したのではなく、もとからそういう特殊な戦闘スタイルらしい。
 武器はアーミーナイフのみ。
「引き返してはくれませんよね」
 ネウロイが足を屈伸させて準備運動をする。
 昆虫がこの臭気に集まるのなら、原因を取り除けば帰っていくのではないかと一瞬、期待したが、どうやら交戦を避けることは不可能なようだ。臭いの残滓はキャンプ周辺に漂っており、昆虫たちは間近まで迫っていた。
「蟻ですかなあ。しかも、でかい」
 チャウ・チェンが言った。
 周辺の木々が激しく揺れる。
 二本の触覚を持った黒い影が、六本の脚を器用に使いながら、枝から枝へと飛び移っている。大きさは人間の子供ほどもあった。
「援護射撃をしたほうがいいか?」
 コンテナの背後から、デヴィリヨンの隊長が声を掛けた。
「いらぬ。学者たちを守っていろ」
 ゲイルドッグが巨大蟻に向かってポールアックスを振るった。
 一匹の蟻が首を切断され、地面に落下した。
 すると、それを合図にしたかのように、周囲の木々に低い唸り声のようなものが響いた。
「何ですか、これ?」
「気を付けなさい。多分……」
 蟻酸よ、と忠告する間もなかった。
 ゲイルドッグに向かって、無数の酸の雨が降り注いだのである。

「あああああっ!」
 着ていたスーツの上着から煙が上がり、ネウロイは慌ててそれを脱ぎ捨てた。
 あらかじめ距離を取っていたミーナのところまでは、酸の雨は届かない。
 チャウ・チェンは巨大中華包丁を盾にして、酸の雨を防いでいた。
 軽装備だったプレリは、いつの間にか姿を消していた。
 そして酸の雨の中心部にいたゲイルドッグは、
「効かぬわ」
 まったく意に介さず、ポールアックスを振るっては、次々に蟻を仕留めてゆく。
 彼の岩のような肌には火傷の跡一つ、付いていない。
「こりゃ頼もしい」
 ネウロイが感心したように呟く。ミーナはその彼を背後からどやしつけた。
「お前も木登り得意でしょう。さっさと加勢しなさい」
「はいはい。今行きますよ」
 月明りの下、やがて、ネウロイの変身が始まった。
 服が裂け、太くてしなやかな獣の筋肉が現れる。顔だけが獣で身体は人間のままなどという、中途半端な変化ではない。
 黄金の体毛。黒のまだら模様。太くて強靭な手足と尻尾。
 そこに現れたのは、一匹のジャガーであった。ミーナが知る限り、密林の中では最強のハンターである。その名の由来通り、『一突きで殺すもの』。
「毛皮目的で乱獲される理由が分かるわね」
 惚れ惚れするような美しい獣を前にして、ミーナは瞳を細めた。
「けど、お前そんなに大きかった?」
 尻尾の先まで入れれば、体長は4メートルを超えるだろう。以前見た時は、3メートルに届かないくらいだった気がするが。
 やおら、本人も自らの成長を驚いている様子だった。喋れはしないものの、喉を低く鳴らして戸惑いを表現している。
「オーアの影響かもね。さあ、行って」
 ミーナが猛獣使いよろしく、ステッキで森を指し示す。
 ジャガーの跳躍。
 軽く地面を蹴っただけで、その巨体は遥か頭上へと飛んでいた。
 ゲイルドッグを飛び越し、彼の武器が届かない位置にいる蟻たちに攻撃を仕掛ける。前脚を一振りする度に、蟻はぺしゃんこに潰れて地面へと叩き落される。
 猫パンチとよく言うが、ジャガーの前脚の力は他のネコ科動物とは比べ物にならないくらい強力だ。そしてその顎の力は、ワニの固い頭すら一撃で噛み砕く。
 木登りが得意で、ネコ科のくせに水を怖がらない。
 まさしく密林の王者。ジャガーに狙われたが最後、広い場所に出て全速力で逃げる以外に、助かる見込みはないと言われている。
「明日の朝食は、蟻のスープですかねえ」
 蟻酸の雨が止んだのを見計らって、チャウ・チェンも加勢に入った。
 敵の数は多いが、戦力的にはこちらが圧倒している。
 ここは彼らに任せておけば問題ないだろう。
「さて、わたしも」
 ミーナは赤いオーアの流れを意識しながら、少し離れた場所から森に踏み入った。

 蟻たちをキャンプに誘導したのは誰か。
 そいつを仕留めなければ、蟻を全滅させたところで、キャンプの安全を確保したとは言えない。
 どこにいる?
 森の暗闇に紛れて身を隠しているつもりだろうが、生物は体内にオーアの流れを持っている。それは地面から湧き出すオーアとは、明らかに見え方が違うものだ。
 敵にこちらの気配を察しられぬよう、慎重に捜索を続けた。
 相手は人間なのか?
 そもそもこの世界に人間が存在するのか?
 アーミー・ワンの首は、鋭利な刃物で切断されていた。少なくとも蟻ではない、道具を使用する生物が近くにいるはずである。
 ミーナのその推測は的中した。
「見つけた」
 樹木の陰に身を寄せて、その何者かは戦闘の成り行きを窺っていた。
 目立たないフードを被っているが、人の形をした生物であった。


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