聖剣狩り(後編) 3

 丘の上の教会前。
 ジェクサーティーの周囲には、すでに7匹のクロジューアが、死体となって転がっていた。これだけ目立つ場所で派手な攻撃を行っていれば、蟲姫軍の兵士たちは当然ながら、彼を狙ってやって来る。しかし誰一人として、聖剣の力を解き放った彼を仕留めることはできなかった。
 聖剣の力は、剣王死してなお、圧倒的である。
 上空を乱舞する無数の光るブーメラン。
 その手数の前に、戦力的に優勢なはずの蟲姫軍が、時間と共にわずかに押され始めているのだ。
 ミイラ部隊の魔術による爆撃も、町の周辺部には激しく行われているものの、町の中心部には届いていない。低空でうかつに近付けば、ブーメランにロックオンされて撃墜の憂き目に会うからだ。
 しかし逆に考えれば、剣王軍はジェクサーティー単独で戦線をギリギリ支えているとも言える。
 彼を落とすことができれば、戦闘の趨勢は一気に傾くはずである。

「むっ!?」
 突然、ジェクサーティーの足元に転がっていたクロジューアの死体が、宙に浮かび上がった。そして彼に向かって覆い被さってきた。
 チッと舌打ちして、攻撃の手を止める。寸でのところで、死体たちを横に転がってかわした。ドサドサと山積みになるクロジューアの死体。
「貴様、死んでなかったのか」
 彼の視線の先にいたのは、乳白色の髪をした異邦人の女だった。
 昨夜会った時とは、少し雰囲気が違っていた。よく似た別人だろうか。彼女は全身串刺しにされて死んだはずである。
「昨晩はどうもです。残念ながら、生き返ってしまいました」
 セスカは嫣然と微笑んだ。
 古い列柱に囲まれた教会への坂道を、杖を振りながら楽しそうに歩いてくる。
「やはり化け物か」
「それはお互い様でしょう? あの時、あなたの命を完全に奪わなかったことを少し後悔しています」
「貴様は本当にイェナルディーナの手先ではないのか?」
「怒りますよ。わたしを、あんな気味の悪い連中と一緒にするなんて」
「ならば、この戦闘は、お前には関係ないはずだが」
「もちろんです。どっちが勝とうが負けようが、わたしにはどうでもいいことです」
 ただ、お前を倒せればいい。そうすれば気が済むのだ。

 セスカの意図を、ジェクサーティーも悟ったらしい。
「時間が惜しい。来るなら、来い。今度こそ、完全に息の根を止めてやる」
 そう言って、一階のテラスから飛び降りる。
 聖剣の刀身がまばゆいほどに輝いた。
 それまで光のブーメランに注がれていたオーアが、一点に凝縮されたような光量だった。切れ味は確かめるまでもないだろう。
「飛び道具なしとは、潔いですね」
 障害物になりそうなのは、街道脇の列柱のみ。
 二人の周囲には、下草もまばらな丘が広がっている。
 小細工なしで来いという、ジェクサーティーからのメッセージであった。
 セスカもそれを喜んで受けるつもりだった。
「これも、ちょっと邪魔ですね」
 セスカはステッキを地面に突き刺した。この武器で聖剣と切り結んでも、一撃でへし折られてしまうと思ったからだ。
「いいのか? リーチを捨てても」
「まあ、何とかなりますかね?」
 結局、ジェクサーティーを仕留めるには、彼の体内のオーアを根こそぎ吸い尽くすしかない。組み付ければ勝ち、その前に切られれば負けだ。
 ふっと呼吸を整え、短距離走さながらのスピードでダッシュする。
 一気に肉薄して捕まえるつもりだったが、直前で猛烈に嫌な予感がした。
 セスカは前につんのめり、そのまま両手を地面に突いて前転からバック転で真横に方向転換する。
 彼女がいた空間を、聖剣の刃が凄まじい速さで通過した。
「ちっ!」
 ジェクサーティーが舌打ちする。即座に剣を横になぎ払うが、セスカはすでに攻撃の範囲外にいた。
「ごめんなさい、少し侮ってました」
 セスカは確信する。この男は自分が今まで相対したなかで、一番の剣の手練れだと。

 16聖剣というと、まずその強大無比な聖剣の能力を思い浮かべる。
 実際に近代兵器にも劣らない広範囲に渡る攻撃能力を備えているのだから、それを警戒するのは当然だろう。
 しかし、忘れられがちなのは聖剣を操る眷属の能力だ。
 大陸を平定するために剣王オストボウに選ばれた、たった16名の眷属。
 考えてもみれば、並みの戦士であるはずがない。
 ジェクサーティーも昔は、いずれ名の知れた剣の使い手だったに違いない。剣を操る技量とセンスが尋常ではなかった。
 1000年の研鑽を積んで体得した非常にシンプルな技巧。
 剣の振りの速さと正確さを極めた剣術。
 しかもその凄腕の達人が、聖剣という強力な武器を携えているのだ。
「まるで、サムライみたいじゃないですか?」
 セスカは称賛を惜しまない。
 ブロードソードというのは、その名前通り、幅広の刀身の重さを生かして、相手を叩き切る武器だと思っていた。
 だが、この聖剣には重さを感じない。だから片手で軽々と横からも下からも切ることができる。まるで研ぎ澄まされた日本刀のごとく。
「くあっ!」
 気合の声と共に、ジェクサーティーが剣を振るう。
 速い。
 目で見てから反応しては遅かった。
 セスカはオーアの流れを読んで、その一撃を横にかわす。続けざま二撃目がやってくる。横からのなぎ払いを、彼女は身を低くしてかわし、踏み込んできたジェクサーティーに足払いを仕掛けた。
 ジェクサーティーはそれを小さくバックステップして避ける。
 セスカは両腕に込めたオーアを開放し、逆立ちの姿勢で高く跳躍した。
 空中で身体をひねり、体操のサマーソルトのように着地する。
「驚くべき身体能力よ」
 ジェクサーティーの口元に笑みが浮かんだ。彼も自分の剣術がここまで避けられるとは思っていなかったのだろう。
「普通に戦っていては、わたしは勝てませんね」
 セスカは認めざるを得なかった。
 いくら体術に長けているといっても、目で追えないスピードで動けるわけではない。
 同時に反応すれば剣のほうが圧倒的に速いのだ。
 とにかく、一瞬の隙を作るしかない。それとて至難の業だが、セスカに勝機があるとすれば、そのわずかな間隙であろう。
「魔術は使わんのか? 貴様は魔術師なのだろう」
「それがですね、魔術はまだ不慣れでして」
 あんな不安定なもの、ジェクサーティー相手に使えるわけがなかった。
 ちょっとでも詠唱を間違えたら、その瞬間に負けている相手だ。
 それにセスカは、まだすべての手札を見せたわけではなかった。この男にどこまで通じるかは分からないが。
「まあ、いい。こちらは手加減なしだ!」
 ジェクサーティーの剣の速度が更に増した。
 右斜め上から下、そこから上に切り返し、続いて突きがやって来る。その間、一秒にも満たない。さらに縦、横、縦と息もつかせぬ連続攻撃。
 対するセスカも、集中力を極限まで研ぎ澄ませていた。
 聖剣の軌道を先読みし、ギリギリでかわしてゆく。そして一瞬の隙あらば、いつでも反撃できる態勢を維持している。
 もはや両者とも無言だった。
 言葉を発している余裕など、どこにもない。
 ジェクサーティーが、さらに一歩間合いを詰めた。相手のカウンターが届く距離。この一歩が出せるか出せないかが、ただの剣の使い手と、達人との違いであろう。
 そして聖剣の閃きが、ついにセスカの右肩を切った。
 同時に、セスカの左パンチが、ジェクサーティーの頬にヒットする。
 ダメージはセスカのほうが大きく見えた。
 激しい出血をともなって、切断された右腕が宙を飛んだ。
 彼女はジャンプして自分の右腕を空中でキャッチすると、いったん距離をおいて呼吸を整えた。
「ああ、わたしの右腕が……」
 顔は痛みに歪んでいるが、肩の傷口に右腕を接着させると、すぐさま肉体の再生が行われる。ただし、指先が動くようになるまでには、数分は掛かりそうだ。
 ジェクサーティーにしてみれば、今こそ攻め時であった。
 にもかかわらず、彼は茫然と呟いた。
「今、俺は、負けたのか?」
「ええ。どうやら、わたしの勝ちみたいです」
 今の左パンチ。
 セスカはジェクサーティーの体内を流れるオーアを、わずかに狂わせたのだ。
 普通ならば、まったく気付きもしない。ごくわずかな違和感。
 彼ほどの達人だからこそ、悟ることができたのだった。
 実際、セスカに成すすべなく殺された、蟲姫軍や剣王軍の兵士たちは、自分のオーアが彼女にコントロールされている事実に気付きもしなかった。
 なぜ攻撃が当たらないのか疑問にすら思わなかっただろう。ただ無防備に、セスカの手のひらの中で殺されていった。
「いや、まだ修正は効くはずだ」
 ジェクサーティーは聖剣を上段に構えた。
 その顔は壮絶な笑みを浮かべていた。この諦めの悪さも、彼がここまでの剣術を会得することができた所以であろう。
 簡単には折れず、多少の不利なら覆そうとする強靭な意志。
 セスカの勝利宣言も、ブラフの意味合いが強かった。
 彼の肉体にくさびを打ち込むことはできた。が、まったく油断できる状況ではない。
 次の一手が大事なのだ。
「これで終わりにしましょう」
 セスカは正面から突っ込んだ。
 聖剣の青白い光が、頭上から視界をよぎってゆく。
 すさまじい速さの一撃だった。しかしセスカには当たらない。
 自ら発するオーアを相手のオーアと干渉させる。
 ほんのわずかな目測の狂いで良かった。
 ジェクサーティーが振り下ろした聖剣は、地面を叩いた。
 しくじったと感じた瞬間、彼は反射的に二撃目を繰り出した。セスカの脚を狙って、聖剣を横になぎ払う。
 再び空を切った。
 セスカの小柄な身体は、その時すでにジェクサーティーと密着状態にあったのだ。
 入った。
 ここが、わたしの距離だ。
 半分動かない右腕を、ジェクサーティーの左脇に差し込む。
 横向きの姿勢で腰を押し当て、それを跳ね上げるようにして投げ技を放つ。
 柔道の大腰に似ているが、受け身を取らせない方法が違っている。これは米海兵隊のMCMAPでも使われる、テイクダウンの投げ方だった。
 地面に激しく叩き付けられ、ジェクサーティーは息を詰まらせた。
 すぐさまマウントポジションを取り、彼の首を両手で締め上げた。
 一瞬の隙も作らない。オーアの吸収が始まる。
「がああああっ!」
 ジェクサーティーはあらん限りの力を振り絞って、最後の抵抗を試みた。
 聖剣の刀身部分を自らが握り、それをセスカの背中に突き立てたのだ。
 何度も、何度も、刺しまくる。鮮血が飛び散り、二人の周辺の乾いた地面を赤黒く染め上げてゆく。
 だが、セスカの両手は緩まなかった。
 鋭い爪を突き立て、全体重を乗せて、容赦なくオーアを搾り取ってゆく。
 先に力尽きたのはジェクサーティーのほうである。
 オーアのほとんどを吸収され、聖剣を持った右手がだらりと地面を叩いた。
 すでに動くことも、喋ることも困難な様子だった。
 ただ、その血走った瞳だけは、上空に悠然と浮かんだ蟲姫軍の巨大な繭を、憎々しげに見つめていた。
「剣王、様……」
 やっとのことで、その一言を絞り出す。
 それがジェクサーティーの最期であった。オーアを完全に吸い尽くすと、彼の生命活動は止まり、ボロボロの肌が渇いた土のように崩れ始めた。
 上空を一匹のクロジューアが、こちらを偵察している。
 セスカが睨み返すと、その毒蜂は慌てて上空へと逃げて行った。
「ふぅ、とっても緊張しましたね。この人強いんですもの」
 深く溜息をつく。別に達成感も、虚無感もなかった。
 セスカにしてみれば、昨晩やられた仕返しをしただけである。彼女にとってこの戦闘は、それ以外に何の意味も持たなかった。
 セスカは立ち上がり、輝きを失った聖剣ジェクサーティーを手にとった。
 オーアを込めてみるものの、刀身の輝きは蘇らない。やはりカスタムメイドの武器は他人には使用できないのだ。
「ミーナ、これいらないでしょう?」
 彼女はジェクサーティーの死体に、墓標代わりに聖剣を突き立てた。
 これを見れば、剣王軍の総大将が倒れたことは、すぐさま全軍に知れ渡るだろう。その後の戦況がどうなるかは、セスカの知ったことではない。
「ミーナ、もう起きてるでしょう? そろそろ交代しませんか?」
 セスカの提案に、ミーナが頷いた気配があった。
 瞬きを一つ。
 彼女の表情、仕草、たたずまい、身にまとった雰囲気、そして体内を流れるオーアまでもが如実に変化した。
 そこに立っているのは、すでにセスカではなく、ミーナであった。
 セスカが表に出ていた間、何が起こっていたかは知っている。
 ミーナはあちこち破れたりほつれたりして、ほとんど服として機能していないゴシックロリータ衣装を見て、一言呟いた。
「裸のほうがまだマシ。どこかに同じ服落ちてないかしら?」
 そして愛用のステッキを拾いに、丘を下って行った。

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