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24COLORS

こちらの作品は、W.storyのInstagram](@a_ya0156)にて連載投稿していた作品の、物語の部分のみを掲載しております。Instagramでは絵も一緒に掲載しておりますので、ぜひそちらもお楽しみください。

(この物語はフィクションです。)



Ep.1 キエ

「…っうぅ…ふぁぁ~」
カーテンから朝日がこぼれている。まだ眠い目をこすりながらカーテンを開けると、梅雨明けがまだの空に、めずらしく雲一つない青空が広がっている。
 事務職として毎日パソコンを向き合い続けているためか、肩こりがひどい。お局様には「まだ若いんやから」と言われるけど、辛いモンは辛い。それに追加で仕事を持ってくるのは誰やと思ってるんや…。いつものルーティンのようにスマホをタップし、緑色のアイコンを開く。今日も今日とて彼からのメッセージは届かない。
「…マサトのアーホ。もう知らん。」
すぐに閉じて、今度はSNSを開く。アユミはまた彼氏との写真か、チエはカフェ巡りの記録更新…。いいねボタンを何個か押したけれど、それ以上見る気にならなくて閉じる。
「はぁぁ~…。」
スマホをベッドに放り投げ、自分もダイブする。お天気とは裏腹に、心も体もなんだか重い。このままもう一度寝てしまいたいけど、せっかくのお休みをこのままベッドの上で過ごすのももったいない。
「…よし。」
ラフな格好に着替え、お財布とスマホ、鍵をポケットに突っ込んで玄関を開けた。

「よぉキエちゃん、いらっしゃい。」
「いらっしゃい。」
「こんにちは、ノブアキさん、ヨウコさん。」
 行きつけのパン屋さんの扉を開けると、一気にパンの幸せな匂いに包まれる。
「なんだ。調子でも悪いのか。」
「いつもの元気ないよ。なんかあった?」
 ノブアキさんにもヨウコさんにも、すぐに見破られてしまうなぁ。
「ん~、仕事の疲れ、ですね。」
「お疲れさん。おいしいパンでも食べて、元気になりな。」
 ニカッと笑うノブアキさんの笑顔は、太陽みたいだ。
「今日は天気もええし、海行っておいでよ。でったい元気になるわ。よし、コーヒーも淹れたげよ、サービスや。」
 そういって、パンと一緒にコーヒーも持たせてくれるヨウコさんは、もう一人のお母さんみたい。
「ありがとうございます。海、行ってきます。」
 
 江津良の道を車で走る。海は太陽の光を十分に浴びて、キラキラと輝いている。目的に近づくにつれ、どんどんと胸が高鳴る。
「おー、気持ちいい。」
円月島とキラキラ輝く海、一番好きな景色だ。堤防に腰を下ろすと、持たせてくれたパンを取り出す。マスクをずらし、薄めの味に入れてくれたコーヒーを一口啜る。ヨウコさんはいつも、私の好きなコーヒーの味をドンピシャに淹れてくれる。大好きな海を見ながら大好きなパンとコーヒーを頂く、至福のひととき。
スマホを取り出そうとして、やめた。
意図せず自宅警備員をする羽目になったこの時代に、ひとり家で座り込んでいた去年の夏を思い出す。一昨年の夏はカフェ巡りをしてみたり、絶景を見に行ったり、背伸びしてブランド品を買ってみたり。そのすべてに他人の評価が関わっていた。見栄を張りたい、幸せだとみんなに見せたい。そんな欲にまみれていた気がする。そんなことに気づいて、家の中を一気に断捨離していた。いくらでも時間はあったから、家の隅から隅まで、不要なものを外に出してしまうと、思ったより必要なものは少なかった。なんだ、これだけでよかったんか。ある意味、自宅警備の時間に感謝やな。
大好きな海も、こうやって見に来れる。波の音、キラキラ光る水面、静かにいつもそこに佇む円月島を見ていると、心が穏やかになる。
「私の幸せって、こんなところにあったんやなぁ。」
海の香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。


Ep.2 ノブアキ

「キエちゃん、今日も元気だね。」
「ノブアキさんとヨウコさんのお陰ですよ。この前の海、すっごい綺麗でした。」
「せやろせやろ、海はええよなぁ。」
 この間来た時よりも、ずいぶんすっきりした顔のキエちゃんは、またたくさんパンを買い、手をブンブン降って帰っていた。
「元気な子やねぇ、こっちまで元気になるわ。」
「そうだな。」
 妻から、生まれ故郷に住みたいと言われたとき、かなり動揺していた。生まれも育ちも東京の自分が、田舎暮らしなんてできるのかと頭をよぎった。それでも妻に引っ張られるように連れてこられた和歌山だったが、とても居心地が良い。東京では居酒屋を経営していたころの自分が遠い遠い昔のように、今では太陽とともに生活をしている。飲食業は続けたかったから、和歌山の食材を使おうという妻の提案を採用し、「ベーカリー ハレとケ」をオープンして十年になる。もう十年も経ったと言うべきか、まだまだ十年と言うべきか。確実に言えることは、和歌山に移住して良かったということだ。
「はぁ…。」
「おぉ、吹っ飛ばされそうな深いため息やこと。」
そう、開業以来、毎月のように新作のパンを店頭に並べ、お客さんに喜んでもらっていた。しかし梅雨に入るとともに、新作の案が思いつかず二か月が経とうとしていた。正直、今月も新作パンは難しいだろう。
「はぁ…。」
 また一つ、大きなため息がこぼれる。

 オーブンの熱が厨房にゴウゴウと立ち込める。その中に、突然電話の音が響く。ヨウコは配達に出かけているため、作業の手を止め受話器をとる。
「はい、ベーカリーハレとケでございます。」
「ノブアキさんこんにちは、クミです。」
「あぁ、クミちゃん。今月のパン販売の日だね。」
「はい、今月はいつがいいかなって思って。」
クミちゃんは上富田でゲストハウスを運営している女の子だ。毎月ゲストハウスの軒先を借してくれて、パンを販売しに行く。うちの新作パンを楽しみにしてくれる、常連客だ。
「そうだなぁ、来週の木曜日なんてどうだろ。」
「大丈夫ですよ。いつもの時間でいいですか。」
「あぁ、大丈夫だよ。けど…。」
「なにかありました?」
「すまんな、今月もまた新作パンは持って行けそうにないんだ。」
受話器を握る手に、力がこもる。
「何言ってるんですか。ハレとケのパンは、ノブアキさんとヨウコさんの愛情がいっぱい詰まってて、どれ食べたっておいしいんやから。あ、そうそう。近所の人が、この前買えなかったからたくさん持ってきてって。そいにうちの息子、塩パン塩パンってうるそうて。やから、今度販売にいらしてくれる時にはいつものパン、いっぱいお願いしときますね。」
 心にふわりと、心地良い風が吹いた気がした。
「おう、任せといてよ。腕によりをかけて、いっぱい焼いて持っていくからな。売り子さんも頼んだよ。」
「もちろん!」

「クミちゃん?」
 受話器を置いたと同時、背後から聞こえた声にびっくりした。
「おっ、おう。ところでいつ戻ってたんだよ。びっくりした。」
「ごめんごめん。今帰ってきたとこ。ところで、また窓も開けんとオーブンつこて。あっついわ。」
 あちこち窓を開け放つヨウコを横目に、自分も作業に戻る。
「ハレも大切やけど、ケはもっと大切やね。」
 開けた窓から広がる青空をみながらぽつりとつぶやいたヨウコに、「そうやな」と、短く返事をした。
「あっついあっつい。アイスコーヒー淹れよ。あんたも飲むやろ?」
 きっと、ヨウコなりの励まし方だろう。厨房に、気持ち良い風が流れた。

Ep.3 クミ

さすが「ハレとケ」、販売の日はいつもハレを連れてきてくれる。
「ありがとうノブアキさん、やっぱり人気だねぇ。」
「こっちこそありがとうよ。いっつも完売させてもらって。クミちゃんのお陰だ。」
ゲストハウス「水車」で「ベーカリー ハレとケ」のパンが販売される日なんて、お祭り騒ぎだ。この近辺にパン屋さんがないからか、いやノブアキさんとヨウコさんの作りパンがおいしいから、いつも販売開始からあっという間にパンが売り切れてしまう。私もなんとか息子に頼まれていた塩パンをゲットできたから、帰ったらドヤ顔できるで。
「いつも片付けまで手伝ってもらって悪いね。」
「いいのいいの、また来月も楽しみにしてます。」
「おう、また来月な。」
ノブアキさんの箱バンを見届けると、さっきまでの賑わいはどこへやら、静かな住宅街に戻ってしまった。
 もともと実家だったこの家をゲストハウスにしたいと思ったのは、熊野古道へ旅立つ人、また和歌山来てくれた人と色んな話ができると思ったから。しかしまさかまさかの緊急事態、県外はおろか外に出るにもこんなに緊張するご時世になると、誰が予想したやろう。おかげでゲストハウスに来てくれるお客さんも、想像よりかなり少ない。
「…いや、滅入ってばかりではいかんいかん。」
 今日は夕方、一組のお客さんが予約を入れてくれたため、これからお迎えするための掃除や準備がある。気合を入れなおし、掃除に取り掛かる。

 お迎えの準備を無心で終え顔を上げると、予想より早く終わっていた。
「畑のパトロール、行こか。」
ゲストハウスから少し歩いたところには、田んぼや畑が広がっている。その中に一本、まっすぐに伸びる道路はまるで滑走路のようで、空に飛び立てそうでワクワクする。その気持ちにつられてか、滑走路を歩く足取りも軽い。
「あ、おーい、ニジトくーん!」
昨日まで降っていた雨のお陰か、ツヤツヤキラキラした畑の中からひょこっと頭を出したのは、ゲストハウスのご近所さんの農家さん。跡取り息子さんだが、本人はあまり乗り気でないらしい。
「…うっす。」
あまりおしゃべりでないニジトくんであるが、いつも構わず話しかけるためか、聞き役としておしゃべりに付き合ってくれる。なんと優しい青年だ。

「こういう仕事って、私もそうだけど、ドカスカあるよなぁ。」
 二人で木陰に座り込み、ニジトくんが水筒から淹れてくれたお茶を頂く。
「まぁ…。」
「私だって、もっとお客さんと話したかったのに…コロちゃんめー!」
 こんなところで愚痴を言っても仕方ないのだけれど、静かに聞いてくれるニジトくんに甘えてしまう。
「…野菜だったら。」
 ぽつり、ニジトくんが呟く。
「野菜だったらどんなに話しかけても喋ってくれないし、それでいいのか返事してくれないけど。」
ふいに、ニジトくんが顔を上げ、まじめな顔で私を見る。
「クミさんのところに泊まってくれる人たち、いつも帰りはすごく良い顔で行ってきますってゆうてる。それって、すごい良い宿泊だったってことやろ。」
 そこまで一気にしゃべると、またうつむいてしまう。
「俺は、それってクミさんやから出来ることやと思う、で。」
 耳を真っ赤にして、ニジトくんはそれ以上喋らなくなってしまった。
「なんやニジトくん、ええこと言うやん。」
 帽子の上から頭をわしゃわしゃとなでると、「ぅお、やめろ」となんだか情けない声を漏らしている。
「さて、そろそろお客さんが来る頃やし、戻るわ。」
「うん。」
 んーっと背伸びをして、ニジトくんに別れを告げる。また滑走路を、軽い足取りで歩く。
来てくれるお客さんに変わりはない、そのお客さんを大切に、おもてなしするだけだ。

Ep.4 ニジト

 梅雨が明けたと思ったら、一気に気温は上がり、頬に背中に全身に、汗が伝う。風が通り過ぎるたび、さらさらと畑の作物たちが喜んでいるようだ。やっと、一区切りできるところまで作業が進んだ。
「ニジトー、休憩しよー。」
 タイミングを見計らったように、お袋が声をかけてくれる。もうお昼か。
 おにぎりに漬物、素麺。お袋特製の具だくさんのつけ汁は、いつ食べてもおいしい。机の中心には、朝一で訪れていたクミさんがくれた小ぶりなヒマワリが二輪飾られている。
「ニジト、昼から力仕事頼んどくで。」
「ほいたらよぉさん食べとかな、ほれ、食べときよし。」
お袋が、空いた皿におにぎりを2つ、追加で乗せてくれる。
「え、そんなに食べれん。」
「ええから食べときよし。力入らんで。」
 二十七歳になる息子の食欲を、高校生の時から変わっていないとお袋は思っているのだろうか。もうハラいっぱいなんやけど、と思いながらも、塩気の効いたおにぎりをまた一口頬張る。

 大学を卒業する頃、将来何をしたいかなんて考えてなかった。大学を出れば何かと企業に拾ってもらえるだろう。そんな甘い考えは通用せず、就活は困難に困難を極め、結局どこにも就職できず、実家の農業を手伝うことになった。オヤジはそのことに対してなにも言わず、ただ「ニジトの好きにせぇ」と一言放っただけだった。しかし農業を手伝い始めて約3か月、オヤジの教えは厳しく、体にはかなりの重労働だ。
 しかし、オヤジの農業スタイルはあまりに非効率だ。今やITの時代。ドローンやら遠隔操作やらでもっと作業効率を上げられるはずだ。オヤジの腰痛だって、今よりもっと軽くしてあげられるはず。

「おーい、じーちゃーん!」
「じーちゃーん、来たでー。」
 もうすぐ畑に戻ろうかと縁側で準備をしていると、畑の向こうから子供が三人、ブンブンと手を振っている。
「おぉ、来たか。待っとったで。」
「今日は何採るん?この前のトマトは?」
「あのトマト、もうええ色になってるわ。リョウタ、採るか?」
「採る!」
「ナオトも採らせてよー。」
「ほな、ナオトはキュウリ採るか?川の水で冷やして食べたらうまいぞ。」
「採りたーい!」
「アカリも。」
「ほなキュウリよぉさんなってるから、アカリちゃんにも手伝ってもらおか。」
「ほらじいちゃん、はよ畑行こ。」
「おぉ、引っ張らんでもじいちゃん行くから。」
 男の子に手を引かれ、オヤジは畑に出てしまった。
「騒がしくてごめんよ。」
 母親らしき人が、申し訳なさそうな顔をしている。
「ええよワカナちゃん、あの人、子供たち来るの楽しみにしてるんやから。まぁ座って、ゆっくりしていって。たまには子供の手離れる時間もいるやろ。そうや、コーヒー淹れたげよ。」
 そう言ってお袋も台所に消えていった。取り残された俺も、任された仕事をすべく立ち上がろうとするが、ワカナさんに声をかけられる。
「ニジトくん、やね。いっつもニジトくんのお父さんにお世話になってるんや、おおきによ。」
「あぁ…いえ。」
「私、和歌山に帰ってくる前大阪におったんや。向こうに追ったとき、子供ら好き嫌い多いし、魚は切り身で泳いでると思ってたんやって。これはあかんと思って、お父さんにお願いしたら、喜んで子供ら畑に連れて行ってくれてん。それから、あの子らの好き嫌いもなくなったし、自分が収穫した野菜、喜んで食べるようになってくれてん。ほんまに感謝や。」
「そう…ですか。」
「こんなん頼めるの、ここらの人やからやで。こっちの人の良さには、ホンマに感謝やわ。」
 畑から、子供たちの楽しそうな声が響く。子供たちの笑顔に、オヤジもにこにこと笑っている。
やっぱり、もっと効率をあげて管理しやすいようにしてやろ。そしたら、オヤジももっと長く、あの子たちと楽しい時間を過ごせるやろうか。少しだけ、この仕事が楽しくなってきた。

Ep.5 ワカナ

「ママー、大浜行きたい!」
「ナオトも公園行きたいー。」
 畑から帰り、一息つこうと思ったのも束の間、怪獣二人はまだまだ体力が有り余っているようだ。
「パパに聞いといで。」
 次の瞬間には、ダイキのもとに駆けていく二人。
「パパー、公園行こーよー。」
「えっ、公園⁉」
 キッチンから聞こえるダイキの声から、今どんな表情をしているのか容易に想像がつく。
「アカリは?アカリも行きたいん?」
「行きたい。」
 今年で小学校を卒業する長女・アカリは、最近ますます女の子らしさが出てきた。男の兄弟だから、もっと活発な子になるかと思っていたが。一体誰に似たんやら。
「よっしゃー!ほな行くぞー!者ども、準備じゃー!」
「「やったー!」」
どうやら大将の許可が下りたらしい。行く準備でもするか。

大阪で共働きをしていた時は、子供たちに時間をかけてやることもままならず、寂しい思いをさせていた気がする。そんな折、ダイキが私の地元、和歌山に帰ることを提案してくれた。幸いにも、住む場所も働く場所もすぐに見つかり、トントン拍子に事が進んだ。子供たちは田舎に住むことやお友達と別れることを渋っていたが、いざ移り住んでみると、楽しそうに駆け回っている。共働きには変わりないけれど、前より時間の流れはゆっくりで、こうやって子供たちとの時間をとれることはうれしい時間だ。

「ワカナはお家でお留守番な。」
「え?」
「畑行って疲れたやろ?熱中症なるで。休んどき。もう夕飯の準備もある程度出来てるし。」
「でも…。」
「大将、準備できました。」
「できましたっ!」
 ダイキの後ろでは、遊び道具を詰めたリュックを背負い、二人で敬礼のポーズをとっている。
「アカリも行く。」
「おっしゃおっしゃ。ママはお家の警備員やるから、大将から離れるでないぞ。」
「「はいっ!」」
「うん。」
 ダイキは本当に子供と接するのがうまいな。
「じゃあママは、お家の警備に励みます。」

 わいわいと言いながら、車で出かけてしまうと、家の中はセミの音と風のそよぐ音だけになる。
 突然できた一人の時間、普段は子供たちに怒ってばっかりだけど、床に大の字で寝そべってみる。
「あー、気持ち良い。」
 そうだ、音楽も流しちゃおう。
 子供たちと新庄公園に遊びに行った際、偶然出会ったソロシンガー。音楽が心地よくて、思わずダウンロードしてしまった。
 こんな時でないと、ゆっくり音楽も聴けんしね。
 流れてくる音楽に、そっと目を閉じる。
 今でも子育てに不安が多いが、それでもピリピリしながら子供に接することがな少なくなったと思う。
ゆっくりすごせる時間、贅沢な時間。ここへ戻ってきてよかった。

Ep.6 カズヤ

「応援しています。また、聴きに来ます。」
そういって女性は、3人の子供たちと遊具のほうへ消えていった。
仲間と組んで弾き語りライブを何度もやってきたけれど、こうやって声をかけてくれるのは、いつだって嬉しい。
 
 新たな脅威の到来とともに、仲間と集まって音楽ができない日がくるとは。想像しなかった未来にいまだに気が滅入る。
 中学生の頃に近所の兄ちゃんがくれたギターがきっかけで始めた音楽が、六十二歳になっても続けているなんて、当時の俺は想像もしなかっただろう。時間の経過とともに色んな仲間とも巡り合え、楽しく演奏できていた。しかし昨年の脅威のお陰で、演奏を披露する機会もこんなに減るとは。

「お疲れさまでしたー。」
「ナオトもお疲れ、また何かあったら声かけてくれよ。」
「ありがとうございます、お疲れさまでした。」
 車のオーディオから、地元のラジオが流れる。この時間帯はリクエスト曲を流してくれいる。
『さてお次のリクエストは、ウインズ平阪さんで、和歌山LOVESONG』
 初めて聴くな、この曲。
 流れてくる歌詞に、なんだか引き込まれる。LOVESONGって言うから恋愛系の歌かと思ったが、和歌山への愛を語っているらしい。
『東京や大阪 そして世界の大都市から比べたら ホンマにチッポケな和歌山県やけどよぉ』
 確かに。
『俺らにとっては 世界に一つだけの生まれ育った ふる里なんや』
 それは、俺もそうだな。
『そやさかい、これからも この大好きな和歌山で歌唄い続けたいと思とる』
 その心は?
『なんでって?和歌山の「か」は「うた」って書くんやでぇ~ 歌唄うんやったら この和歌山が一番ええぇに決まっとるやないかい!』
 思わず、吹き出してしまった。
 そうやな、全国、いや世界中の国を見ても、『歌』なんてついてる地名はないやろう。和歌山やから、和歌山やからこそ。俺も歌で地元を元気に出来たら。大きいことはできないかもしれんけど、地元の人が聴いてて楽しいと思える音楽を演奏したり、これからも出てくる新しいチャレンジをする人を応援することやってできる。
 なんだか、清々しい気持ちが溢れてくる。

「カズヤさんお帰り、今日はライブやったん?」
 車からギターを運んでいると、近所に住むヤスエさんが声をかけてくれる。
「こんにちは、今日は新庄公園で。」
「そうだったん、やぁ、もっとはよに聞いたらよかったよぉ。」
「次も新庄公園でする予定なんで、また声かけますね。いつもありがとうございます。」
 ヤスエさんは俺たちの演奏を聴きによく来てくれる、熱心なファンの一人だ。
「カズヤさんの演奏、いつもええもん。なんか元気もらえるんや。あ、そうそう、今日はこれもらってもらおうと思って。」
 持っていた白いビニール袋を渡される。中を見ると、ツヤツヤと光るナスと紙袋が入っている。
「こんなにナスようさん、ええんですか。」
「ええのええの、庭でようさん出来てんけど、年いったモン二人やと食べきれんしね。」
「またそんなことゆうて、ヤスエさんまだ若いんやから、そんなこと言わんといてくださいよ。」
 ヤスエさんはすぐに「年いったモン」というが、おそらくまだ五十代だろう。事実、旦那さんは定年退職しているが、ヤスエさんは正職員として働いているという。
「そうそう、紙袋のほうはパウンドケーキ焼いてみてん。よかったら食べて。」
「やった、ありがとうございます。いただきます。ヤスエさんほんま料理上手やから、これも絶対美味しいわ。」
「そう言うてくれて嬉しいよ。」
「もしお店出すんやったら、俺常連客第一号でお願いします。」
「ほんま?本気にするで~。」
 ふふっと笑うヤスエさんを見ていると、ふと先ほどの曲を思い出す。
『人の心もまた温かく』
 こうやって応援してくれる人、静かに見守ってくれる人。そして、新しいチャレンジをする人。そうやって和歌山が、繋がって巡って、もっと元気になってくれたら。

Ep.7 ヤスエ

 日差しが強くなる午後。午前中のうちに水まきしたお陰か、ゴーヤのグリーンカーテンの隙間から気持ち良い風ととともに、ギターの音色が流れてくる。
「今日もカズヤくん、ギターの練習しとるね。」
「次のライブも楽しみやね。ぃや、お父さん見て、ちっちゃいゴーヤまた出来てたわ。気付かんかったよ。」
 午前中の内に主人と庭仕事を終え、午後からはのんびりとお互いの時間を楽しむ。主人の退職以来、家事を教え込み主夫として立派に家仕事をしてくれているお陰で、こうして土日はゆっくりと余暇を楽しめる。とにかくコツは、褒めて褒めて褒めること。
 そのおかげか、特に最近は料理や家庭菜園に力を入れ始め楽しそうだ。口をはさみたくなる時も多いが、腑抜けになられるよりエエか。私も私で、趣味に打ち込める。
「さて、ぼちぼち作ろかな。」

 昔から料理は得意な方だった。お菓子を作るのも得意で、休みの日にお菓子を作っては、職場にもっていく。いつもみんな美味しい美味しいって言いながら食べてくれる。
 そうしていつの間にか、月曜のお茶の時間ができ、短時間だけならと上司も許してくれた。ベテランから新人まで関係なく、嬉しそうにお茶の時間を楽しみ、交流の時間になってくれているのなら、こんなに嬉しいことはない。
 明日はドーナツにしよか。女の子たちは油が気になるやろうから、焼きドーナツとか。

「ヤスエさん、めっちゃ美味しいです!」
 先に休憩をもらったマサトくんとともに、焼きドーナツを頂く。美味しそうに頬張るマサトくんのほっぺは、焼ドーナツでいっぱいだ。
「感想は食べてからでええよぉ。ほら、コーヒー。」
「ありがとうございます。でもめっちゃ美味しいんですもん。これ、彼女に食べさせてやりてぇー。」
「そういや試験、どうやった?」
「自己採点の段階ですけど、なんとか。」
 今年に入り、資格試験を頑張っていたマサトくんは、休憩時間も勉強の時間に充てて頑張っていた。今日は出社時から表情が良かったから、本人が満足できる良い出来だったんやろう。
「一安心やね。」
「ヤスエさんが応援してくれたからです。俺、ヤスエさん見習ってもっとデキる男になります!」
 新しいことにチャレンジできる人を、応援せずにはいられない。
私だって。

 夕食後の皿洗い、窓からは昼間と違い気持ち良い風が吹いている。秋ももうすぐやなぁ。
 主人を散歩に誘い、二人で夜の銀座通りを歩く。
「お父さん、私もうすぐ定年やろ?」
「せやなぁ。」
「…定年退職したらな、したいことあんねん。」
 なんて言われるやろか。ぎゅっと両手を握る。
「お店、やりたいなって。料理とお菓子のテイクアウトできるお店。ほっ、ほら、お父さんの野菜も色んな人に食べてもらえるし、和歌山ってくだもん美味しいやろ?料理の腕も活かせれるかなって…。」
 勢いよく話し始めたものの、だんだん尻すぼみになっていく。この年になって新しいことをするのは、怖い。やけど。
「ええんちゃうか?」
「え?」
 思わぬ返答に、間抜けな声が出る。
「ええんちゃう。でも資格とかいらんのか?定年してからやり始めたら遅いやろ。今からやらなあかんな。」
「え、ええん…?」
「当たり前や。お金のこととか、どんだけ続けられるかとか、心配はあるけど、やりたいことやって死なな。ヘタしたらあと二十年は生きるかもしれんやろ。その間ぼーっと過ごしたらもったいない。」
 応援、してくれるんや。正直、反対されるかと思って、いろんな説得の方法を考えてたけど。
「ありがとう。やるわ、お父さんも一緒にやで。」
「そのつもりや。まだまだ、よろしく頼むで。」

Ep.8 マサト

「マサトくん、今日のカップケーキ、作りすぎてな。良かったらお家で食べて。ほかの人には内緒やで。」
「え、いいんですか。ありがとうございます。あ、今日は俺からもヤスエさんに。」
「え、何なに?」
 ヤスエさんの手のひらに、四角の包み紙をそっと置く。
「ぃや、デラックスケーキやん。うれしいわぁ。久しぶりや。」
「一個しかないから、みんなに内緒ですよ。」
「やぁ嬉しい。ありがとね。」
 にこにこと笑いながら自分の席に戻るヤスエさんを見ると、渡せてよかったと嬉しくなる。
 ヤスエさんには入職以来、新人教育担当としてお世話になった。もう十年になるけれど、いまでもお世話になることは多い。落ち着いて仕事をこなし、緊急事態が発生した場合でも、落ち着いて仕事を振り分けこなしていく。それなのにいつもニコニコと笑顔で仕事をしてるモンだから、この人は『怒る』ということを知らんのちゃうんかなと思う。

 華金とは、もう死語なんやろか。意味を知ってからはすごく気に入っている言葉だ。そう、今日はそんな華金。
「マサトくん、どう?」
 ヤスエさんが仕事の進捗具合を尋ねてくれる。
「はい、あとここだけ済ませたら終わりです。ありがとうございます。」
「よしよし、今日も定時で上がれそうやね。今日は天気よかったから夕日もきれいやで、彼女とデートでも行って来たらわ?」
「ん~…。まぁ彼女次第で。」
 そういって頭を掻く。
 ここしばらく資格勉強に取り組んでいたおかげで、彼女とデートする回数も少なくなっていた。ラインのやり取りもかなり少なかったから、キエも不満に思うところは多々あっただろう。しかしそれも先週までの話、やっと試験が終わり、自己採点では合格ラインと思われる。そんな状況を知っての、ヤスエさんなりの提案だろう。ちょっとおせっかいな人だけれど、気にかけてくれているのはとても嬉しい。
 ダメもとで、ライン送ってみるか。

「おいしいねぇ。」
 送ったラインにはすぐ既読が付き、夕飯を食べる約束が決まった。
 何週間ぶりだろう、楽しそうに、美味しそうにご飯を食べるキエの姿を見るのは。
「いっぱい食べよし。」
「うん、いっぱい食べる!」
 夕食を終え店を出ると、辺りはオレンジから紺色へ色を変えている途中だった。
「ちょっとドライブしよ。」
隣にキエを乗せ、白浜の海沿いをゆっくりと走る。
 大阪の大学を出て、また和歌山で暮らそうなんてちっとも思ってなかった。就職した先がたまたま生まれ故郷ってだけで、本当は大阪で仕事しようと思っていた。けれど、こうやって地元で生活し始めると、思ったより住みやすい場所なのかもしれないと思った。きっとこれは、大阪で暮らしたから思えることなんやろうけど。
「お、円月島や。今日やったら、円月島の穴から夕陽、見れるかもしれん。」
車を端に止め、一緒に堤防へ座る。ゆっくり日が沈んでいく。
「今日も綺麗やね。」
 うっとりと海を眺めるキエの横顔をこっそりと見ながら、ポケットに手を入れ、小さい箱をそっと握る。
「来た来た、今日はばっちりきれいな夕日や。」
 円月島の穴から、夕日がこちらを照らしている。まぶしいけれど、ずっと見ていたくなる景色。
「キエ、応援してくれてありがとうな。」
「そんなん当たり前やん。」
「俺、キエが応援してくれてたから頑張れたわ。ほんでな。」
 ポケットの中で握っていた箱を取り出し、キエの前で開ける。
「これからも、俺の隣でおってほしいんや。そしたら俺、今よりもっと仕事も頑張れる。」
 何が起こったのかわからないという顔をしたキエだったが、すぐに口元を手で覆い、驚きを隠せない表情に変わる。
「え、うそ、うそやん。ほんま⁉」
「ホンマや、こんなん嘘で言われへん。」
大パニックのキエから、喜んでくれているのか拒絶されているのか見当がつかない。どっちや。
「うん、うん。嬉しい、嬉しい!私も、マサトくんおってくれたら、すごい嬉しいし、私も頑張れる。ありがとう、ほんまにありがとう。」
 しまいには大粒の涙をぼろぼろとこぼしながら、俺の両腕をつかんで大きくうなずき始める。
 よかった。これからも、よろしく。
 ここで、和歌山で、一緒に。


あとがき

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。大好きな和歌山を舞台に、これからも発信活動を続けていきます。



最後に。


キエちゃん

ノブアキさん

クミさん

ニジトくん

ワカナちゃん

カズヤさん

ヤスエさん

マサトくん


8人の主人公に、大好きな地の名を託して。



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