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「紙兎ロペ」

私は「紙兎ロペ」が好きだ。兎の「ロペ」と「アキラ先輩」との日常のささいな一コマの短編アニメである。

とにかく会話の内容がゆるい。しかし、「アキラ先輩」の独特な発想が、日常の取るに足らない出来事から毎回面白い発見がある。東京の下町の風景の描写がまたリアルで素晴らしくて、それだけでも一つの作品として楽しめる。私は毎朝このアニメを観ながら、
「この世界の住人になれたらどんなに幸せだろう。」と本気で考えている。

しかし、この「紙兎ロペ」にはもう一つ感心させられる大きな視点があるのだ。主役の「ロペ」は兎であり、「アキラ先輩」はリスである。二人は同じ高校の2年生と3年生である。学年は違うがかなり仲が良く、ほぼ毎日一緒に過ごしている。よく一緒にいる仲間の一人に「牧野」という「アキラ先輩」の同級生がいて、彼はヒョウである。他にも様々な動物が主人公たちのまわりに存在し、それぞれと関わって暮らしている。

兎とリスだけならまだしも、本来ならその両方を捕食するはずのヒョウも普通に仲良くしているのだ。しかも、この「紙兎ロペ」の世界では、肉食動物や大きな動物が大きな顔をすることがなく、草食動物や小さな動物が遠慮したり、小さくなったりせずに、全く種別に関係なく平等に関わっているのだ。

色々な動物が仲良くする世界は、絵本や漫画でこれまでも普通にたくさんあった、と思うかもしれない。しかし、この世界の興味深いところは、それぞれの種別の動物たちが、単純に仲良く存在しているだけではなく、それぞれの動物の特徴を持ち、お互いにそれを認め合って普通に暮らしているところにある。

例えば、兎の「ロペ」が、「寒くて鳥肌が立った」と言うと、「アキラ先輩」が、「おまえは兎なんだから鳥肌じゃなくて兎肌だろう。」という。そして最後には「毛で見えない。」と笑いになる。
またある時は、「アキラ先輩」が頬袋に料理をため込んでいて、それを「いつか来るかもしれない地震に備えている。」と言うと、「ロペ」が「そこに入ってるやつを分けてくれるってことすか?」と聞き、お互い「ないか」と笑いになって終わる、という具合である。

それぞれの特徴を馬鹿にしたりからかったりするのではなく、お互いに当たり前のこととして普通に認め合っているのだ。
これこそ究極のダイバーシティではないか。

私が小さい頃は、多数派と違う特徴を持った人が平気で馬鹿にされていた時代だった。皆と同じであることが非常に重要であり、そこからはみ出した人間は後ろ指をさされるのが「普通」だった。今はSDGsの考えがずいぶんと普及してきており、だいぶ多様性が認められる世の中になってきたとは思う。がしかし、やはりまだ世の中の「普通」の感覚が大きく変わるまでには、しばらく時間がかかるのだろうと思うところはたくさんある。

「みんな違ってみんないい」

大好きな言葉だ。ぜひ「紙兎ロペ」のように、当たり前に、違う相手を認め合える世界になってほしいと願う。

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