奪ったのは大人なのに。取り戻すという表現はおかしくないだろうか。

先日、「奪われた言葉を取り戻す 児童・思春期病棟の声」
初回放送日: 2022年5月7日、を視聴した。

再放送は5月12日(木)午前0:00 にもあるので、見逃した人は是非見ていただきたい。(おおっと、あと20分で再放送だ。)

7〜18歳までの約30人が入院しており、家庭や学校などで行き詰った子どもたち。 暴力や自傷行為に頼るのではなく、「自分の気持ちを言葉にすること」を大切に治療を行う

NHK紹介ページより

https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/9R44G246L7/




奪われた言葉を取り戻す、と題名にあるが
言葉になるのは難しい。
もがき苦しんで、ようやく紡ぎ出してるのに、(大人側が)どこまで受け止めてないんだ・・・と思ったし


奪ったのは大人のくせに、(子どもが)取り戻す、という表現をされているのも、わかるんだけど、なんだか違和感を感じた。


そんな瞬間が映像でも、いままで関わってきた子どもたちの様子からでも、何度もあった。



取材では、乳児院に入りその後児童養護施設に入り、暴れてしまうので手に負えず、児童・思春期病棟に入っていた子がいた。

その子は語る場(ここの病棟では、ホームルームと呼ばれている) では全く何も話したことがなかった。(他の子はおおよそ、今までのことなど話してきて共有してきた場所だったようだ。)



退院後は、別の施設に入る方がいいのではないか?と施設側から言われたらしい。

でもAさんははっきりと『もとの児童養護施設に戻りたい。同じ学校にもどりたい。』と言った。その言葉を施設長に直接伝えたら、そこで新しい展開になってしまった。要するに断られたのだ。

『退院後、施設ではなかなか難しいので、一時保護所に行くのはどうか?
児相が頑張っている貴方をみて(確認して)から、こちらの施設でもうけいれるよ』のような事を言われていた。

勇気を出して施設の人と話して、そこで「NO」と言われたときの気持ちはどうだったのだろうか。



こんなときこそ、アドボケイトがもっとついて、施設長と事前に話合いはできたなかったのかな、とか

せめて病棟のスタッフにその方向性は先に伝えられることはなかったのかな、とか。

色んな思いが頭の中を巡っていました。


Aさんも
『ここで育ったから、ここが家みたいに思っている。だから同じ施設に戻りたい。気持ちを言ってと言われるのに、言っても何も(現実は)変わらない』


何度こんな風に人生の舵を自分で持てないこと、赤の他人に決められてしまう事、を続けるだろうか。

それでも最後のホームルームでは、一言も話さなかったAさんは言葉を発した。


そして結果的に、一時保護所に一日行った後、もう暴れないということが施設の職員に理解されたらしく施設にすぐ戻れた。ひとまずそこは良かった。


(もちろん放送では
一部分の切り取りであるし、
Aさん本人の気持ちを100%反映されているものではないだろう。)


それでも複雑だった。

取材で出てきた子は親に暴力を振るわれたり、亡くなっていたり、社会的養護の中での子どもたちだった。


それでも取材で感じた事は多かった。貴重な取材を受けてくださり皆さん
本当にありがとうございました。


モヤモヤしつつ、今日はこれで終わりにします。

再放送、気になる人は是非見てくださいねーー。

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