死について考えることは、生きることを考えることだと思う
最近、親子で夢中になっている本がある。
この死のほん、だ。
ちなみに、この本についてBlogを書こうと思っている時に、緒方貞子さんが亡くなった。
女性として、一人のリーダーとして尊敬する方だった。
とても残念に思うが、彼女が命をかけて進めてきたことを受け継いで社会に還元したいと強く思う。
死について思うこと
人間の死は、あまりにも肉体に依存しているなと思うことがよくある。
心・脳・考えることのできる状態と、肉体の生命維持装置としての人生の終結のタイミングが、時にあまりにずれているように思うのだ。
(ゆえに、例えばオリィ研究所の、遠隔ロボットをとても応援している。)
精神の死と、肉体の死。
それがうまくバランスして、死を迎えることができないものだろうか。
① 精神は生きながらえているのに、肉体が先に死ぬ場合。
若くして悪性腫瘍で亡くなる。他にも交通事故などの死はそれに該当するだろう。
もし自分でそのタイミングを選ぶとしたら、現在の医療では、いわゆる安楽死なのかもしれないし、自ら人生に終止符をうつことも選択肢の一つになるのかもしれない。
② 精神が先に死を迎え、肉体が生きている場合。
脳死や、もしかしたら認知症も脳の一部の機能が低下するという意味に置いては、その一種かもしれない。
多くの日本人は、「ボケて長生きするより、ぴんぴんころりで死にたい」という。
では肉体の死のほうが早く来るように、準備をすればいいといえるか?いや、そんな簡単な問題ではない。
ここいらはまだ考えがまとまらない。また書きたいと思う。
本の紹介
そんなことを考えている時に、死のほん、という本に出会った。
子ども向けなのだが、世界中で20カ国以上で販売されている本らしい。
アマゾンには
スウェーデン流性教育絵本「愛のほん」に続き、スウェーデン生まれの川上麻衣子さんがスウェーデンのベストセラー絵本作家ペニラ・スタールフェルトさんの「死のほん」を翻訳しました。生きること=愛と性というテーマの対局として、死とは何かという根源的な問いをユニークな感性で絵解きしており、その内容の深さからドイツ児童文学賞のノンフィクション部門にノミネートされました。「死ぬことを理解するのは、むずかしいの・・・。それはあなたが小さいせいじゃなくて、大きくても同じ」と本文にあるように、子供のみならず大人にまず読んでいただきたい作品です。ペニラさんの作品は世界14カ国ですでに翻訳されており、川上さんが15カ国目の日本語に初挑戦しました。
おお。これのもう一つ前の本があるのか。愛と性、今のワタシたち親子にぴったりな気がする。
レビュー。
普段にあまり意識することのない「死」という現実。そのことをどのように解釈し、受けとめ、また子供に伝えていくかという問題に、正面から向き合った作品です。北欧という国柄もあるのか、ある意味非常にドライかつシンプルに捉えており、宗教や民族を越えて描いています。「愛のほん」同様に、老若男女あらゆる方に読んで語っていただきたい1冊です。
(愛のほん、めちゃくちゃ読みたくなるやないか・・・・!!)
内容(「BOOK」データベースより)
死ぬことを理解するのは、むずかしいの…それは、あなたが小さいせいじゃなくて、大きくても同じ。「死ぬこと」をどう伝えますか?スウェーデンのベストセラー絵本を川上麻衣子が翻訳。
この本に興味を持ったきっかけ
最近、若くして知人が亡くなった。32歳だった。正直、どうやって受け止めたらいいのかわからない瞬間があった。
学問として、死の受容がどんなプロセスを経るのか、知っているつもりだし、体感はしてきた。けれど、やはりあまりにも若すぎる死には感情の整理が追いつかない部分がある。
誰もが混乱するこの瞬間を、
私は 子どもにあんまり隠したくないなぁ と思うし
きっと不安な表情は見えているだろうから、できれば一緒に話したいなと思っている。
まぁ、実際にはそんなことにはお構いなしに生きているんだけど。(写真は最近行ったディズニーシーの噴水で遊べるコーナーで遊ぶところ。)
本の内容 抜粋
4歳息子はこのページを見て
「お腹の中になみだたまるの?なんで?」と、質問攻め。
棺に入る部分も、
「なんでこんな箱に入るの?」
「一人しか入れないの?」
などなど。
「なんでこんな箱に入るの?」
言われてみればそうなんだけど、
私:まぁ箱に入らなくてもいいかもだよねー。(でも持ちやすいんじゃないかな。死んだ人って、運びにくいし。)
息子:どうやって入るの?
私:みんなでよっこらしょって入れるんじゃない?
「一人しか入れないの?」
同時に人がなくなるって少ないから、棺が大きいってことはあんまりないんじゃないかな〜一緒に交通事故で死んだら別かもだけど、少なくとも見たこと無いよー。
(でも一緒に死んだなら、棺一緒に入るってのも悪くなさそうだ、と思いはじめた。)
子どもの哲学期(知人がそう読んでいて、まさにだなと思うので使っている)は楽しい。
行動として死んだときに何をするのか、を、具体的に考えることで整理されたこと
亡くなったときって、
多分パニックで、ああしとけばよかったとか、後悔とか、感謝とか感情で一杯になるんだけど
行動をともにすることで少しずつ落ち着いてくる部分もある。んだろうなぁ。と思う瞬間だった。
そしてここまでくると、いつも質問に出るのが
「なんで人は人を殺しちゃいけないの?豚は食べるのに?野菜は殺してるのに?」という問題である。
ここはもっと子どもの感性と議論したいな−。
ひとまず今日はここまで。
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