見出し画像

不登校の子どもの気持ちをわかろうと聞くことの可能性

長い間、不登校の子どもの気持ちを聞くときにわたしの頭にあったこと。

  • 登校できるようになるため

  • 子どもを説得するため

  • 子どもを変えるため

子どもをコントロールするために聞いてきたんだと思います。

早く解決したかった。登校できるようになって欲しかった。

その思いが強く、どこかが足りない、良くないという視点から子どもを見ていたんだなと思います。


それは子どもに伝わっていただろうな。

子どもが劣等感を持たないようにと思っていた癖に、
わたしの言動や雰囲気から子ども達に劣等感を感じさせていたのではと気づき、とてもショックでした。


何よりこの聞き方では子どもが必要な助けがわかりにくい。

そして反対に今息子たちをただわかりたいと思って、判断や評価をせずに話しを聞くチャレンジをしていく中で、子どもの内面の世界に触れ、その深さと豊かさに驚いています。

そしてそこにこそ息子たちの生きる道のヒントがあると感じます。

これを知る機会を逃してきてしまったことが本当に勿体ない

もっと小さな頃から一つ一つ息子たちの内面に広がる世界を聞いていきたかった。

時間を巻き戻したいと強く思う。


今回はなぜ子どもをわかりたいと思って話しを聞くことが重要で可能性がひろがると感じているかについて、書きたいと思います。


特にわたしが良かったと感じていることは3つあります。

  • 子どもの内面触れると信頼につながる

  • できることを見つけられて、すべて成長につながる

  • 子どもが自分を認める体験になる


そのことを話す前に子どもの話しを判断や評価無しに聞くことの難しさに軽く触れたいと思います。


子どものことをわかろうとすることの可能性と難しさ

子どもの内側で感じていることや、見ているもの、大切にしたいことに触れることが難しいのにはいくつか理由があると思います。

今回は長くなるので、簡単に挙げるだけにして、また別記事にしたいなと思います。

  • 時間がない

  • 親にその体験がない

  • 外の流れや求めるものに合わせることで忙しい

こんな風にできない理由は溢れています。

そのためなかなか子どもの気持ちや価値観や考えを聞こうと思うことすらありませんだした。


そんな中、子どもの気持ちを聞こうと思うようになったのは斎藤環さんのyoutubeを見て、斎藤環さんの本を数冊読む中で、対話の重要性と可能性を知ったからです。

特に『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』を読んで、とても魅力を感じ、息子たちとの関わりでも力になるのではないかと思い、取り入れていきました。


息子たちとやっていく中で、お互いの価値観や考え、感じ方を伝え合い、評価無しに聞いていくことで、それぞれの違いを認めあう体験を何度もしていきました。

お互いを知ること、受け止めてもらえることは「自分でいいだ。
自分の思うようにやってみたらいいんだ。」と親子で実感していく体験
でした。

また、自分が思い込んでしまった信念や劣等感を疑って、また別の視点から捉え直す機会になっていました。

その体験から息子たちは自分の感じていること、考えたことを表現することが増えていきました。

また、私も母としてではなく、一人の人間として、何を感じ、何を大切にしたいかを表現できるようになっていきました


子どもが自分に向き合うチャンス


またこの頃我が家では長男が大学退学を視野に入れた休学で1年半、次男が高校進学をしないと決めて、学校に所属しない1年間を過ごしました。


純粋に時間ができただけでなく、
学校のこと(行事や進路など)を考えない時間を持てたことで子どもの気持ちをじっくり聞くことにつながったと思います。

学校につながっていると、学校の流れに合わせて親子で話し合わないといけないこと、決断しなければならないことも多いですよね。

そんな中。じっくり時間を取り、安心して評価、判断せずに話しを聞くことが難しかったなと思います。


ただ、この1年ちょっと息子たちの内面の話しを聞いてきたことで、その重要性を強く感じています。

我が家のように学校に行かない子どもにもとても力になると思うけれど、学校や外とつながっている時、つながろうとしている時はもっとチャンスや可能性を感じています

何故ならいろいろな決断を迫られ、自分に向き合うチャンスがある時だからです。

その時こそ、子どもの内面の世界に触れ、子どものできること、やりやすいやり方、やりたいこと、苦手や辛いことを理解するチャンスと思っています。

今我が家は学校から切り離されたことで、時間や心の余裕を持って考えることができるというメリットはたくさんあります。

でも自分に向き合うチャンスがとても少ないです。

決断を迫られるような場面も少なく、同じ毎日が過ぎてしまいやすい。

我が家はココが難しいところだと感じています。

だからこそ学校につながっている時、
進路を決める時、
再登校して上手くいかない時こそチャンス
だと思います。


そんな時は親はとってもざわざわすると思います。

わたしも相変わらずそうです。

でもココにヒントや価値のあることが詰まっていると感じます。

だからとてもしんどい時もあるけれど、自分の気持ちは否定せず、寄り添いつつ、

学校の流れに翻弄されず、
一つのことで結論をだそうとせず、
子どもが安心して自分に向き合う時間をサポートできたらいいな
と思います。


そこでなぜ子どもをわかろうとして、評価や判断せずに聞くことが大事なのかについて、私が息子たちと取り組む中で感じてきた3つの理由を詳しく書いていきます。


子どもの内面触れると信頼につながる

記事の最初に書いたように、以前の私は子どもの話しを聞く時に子どもを評価し、コントロールしようという気持ちがありました。

  • 登校できるようになるため

  • 子どもを説得するため

  • 子どもを変えるため

目指すべき姿が元々あって、そこに合うか、合わないならどうするかという視点が強かった


その為子どもの中に本当はあるものに気づけなかった

反対に子どもの気持ちを評価しないで、わかりたいと聞くことでたくさんのものがあると気づくようになりました。

  • 子どもの力

  • 子どもの努力

  • 子どもの成長

  • 子どもの辛さ

  • 子どもの不安

  • 子どもの価値観

  • 子どもの願い


子どもなりに日常で起きることに必死に考え、努力をしてきたことを知りました。

また体験したことから色々感じ、改善していることにも気づきました。

そのことがわかったことで、子どもへの信頼が増えていきました。

例えば癇癪が出ていた三男。

やったほうが良いと思っているけれど、できない時に癇癪になっていました。

学校だけでなく、習い事なども行かなくてもいいんだよと言っても本人の中で葛藤があり、その混乱が癇癪になっていました。

頑張りたい自分
できない自分

必死にどうにかしようとしていた。

癇癪自体を問題視していたわたしはどう話したら、どう対処したら癇癪を減らせるのかばかり考えていました。


でも子どもの中にある気持ちを聞いてみたら、彼は「行く、行かない」だけでなく、癇癪をどうしたらいいかを必死に考え、いろいろな工夫をしていることがわかりました。

癇癪になる自分を変えたいという思いを強く持っていることを知りました。

わたしはもうそれで充分だと思いました

こんなに努力していたのに、それに気づけずにいたことをとても後悔しました。

長男や次男とも同じような体験をしました。

彼らの真面目さ、
不安の強さ、
それでも必死に考え、努力していることを知り、
彼らへの信頼が増えていきました。

心からそう思えていることに驚きと、もっと前からただ話しを聞いてきたら良かったという後悔。

私は勝手に想像して、決めつけていたんだ。
何が正しいかで彼らを判断していた。
そこからどう対処すると正しいかばかり考えていた。

まるで独り相撲だな…と思いました。

子どもの話しを聞いていくことでしか、なんにもわからなかったのに…。


相変わらず話しを聞くことは上手くはいかない時もある。
まだまだ息子たちが言いたくなくて、表現していないこともたくさんあると思う。

また全て話してくれたとしても表現する言葉も、感じ方も一人一人違うから、全てはわかることはできない。

でも全くの暗闇の中、勝手な想像で決めつけている時よりも少しでも子どもが表現してくれたことがあるだけで、すこしはわかることができる。

自分が見ていた世界が違ったことに気づけたり、彼らの世界の一端を見れただけでも全く違うなと感じます。

また子ども達を信頼できるようになっただけでなく、わかりたいと思っているということが伝わるだけでも親子の信頼関係は強くなっていくように感じています。

それは親子の力を最大限発揮することにつながり、子どもの可能性をひろげてくれると思います。


できることを見つけられて、すべて成長につながる

そして、「あぁ。私は彼らを知って、ただ困っていることで助けて欲しいところを助けたらいいんだな。」と実感していきました。

私が感じていた問題はわたしが作り出したもので、彼らに必要のないことで、私の問題なんだということにも気づきました。


必要なのは

  • 子どもができること

  • 子どもにとって必要でわたしがサポートできること

それだけだなと感じるようになりました。

自分が子どもにできること

まず子どもにとって必要でわたしが子どもにできることを知る為には

子どもが感じていること、
考えていること、
大事にしたいことを聞いていくといいんだなと実感していきました。

そうすることで、
今必要なことがわかることが多くなり、
そのことに力や時間を注ぐことができるようになってきました

まだまだいつも上手くはいきませんが…

反対に
今必要のないもの、
タイミングでないものがわかる
ので、
安心して手放すことができるものが増え、心や時間に余裕も増えました

それまでは周りの情報を見て、自分が子ども達にできていないことで自分を責めてしまうことが多かったです。

「自分の関わり方が悪いから、子どもが損をしたり、苦しんでいるのではないか?」

これは私がいつも感じる痛みです。

そんな風に考えることに時間をつかい、落ち込んでいることがたくさんありました。

それを罪悪感なく手放せるようになってきました。

それは子どもの話しを聞いて、必要なことに集中しようと思えたからです。

また、長男が大学の手続きをする際、手続きの中で彼がしんどいことを表現してくれました。

そこで彼の気持ちを聞いていくことで、今の状態で

  • 子どもができること

  • 子どもが助けて欲しいこと

これが区別できるようになっていきました。

そこで今までわたしはいろいろなことで、外の価値観に合わせないといけないと思い込んできたんだなと気づきました

年齢
性別
立場

学校
会社
家族

こういう立場で「ここまでできなければいけない」「こうあるべき」をたくさん持っていたんだなと気づきました。

でも人はそれぞれ違っているもの。それが当たり前なんだ。

得意や苦手、学ぶタイミングや助けが必要なことも一人一人違うんだなと実感しました。

だからそれを責めたり、無理やり一人で頑張らせなくていいんだなと今は思います。

できないことは手伝っていけば、少しずつでも上手くなっていく。
それでいいんだ。


そこから今までの私は子どものできることの基準を勝手に決めていて、そこまでできなければ「できない子」と評価していたことにも気づきました。

この気づきは大きな驚きでした。

わたしの評価、判断した関わりが子どもの「できない」体験を作り出していたのではないだろうか?

「自分はできない子」と感じさせてしまっていたのではないだろうかと思いました。

とてもショックでした。
もっと早く気づきたかった…。

そんな強い後悔が今子どもの話しを聞く時、私の不安を暴走させない力になっています。

子どもができること

この気づきは次男との体験ではっきりと認識しました。

それまではぼんやり感じて、子どもとの関わりで無意識にそこを切り分ける選択してきて、確信になっていったんだと思います。

次男が通っているジムで、ボランティア活動をしてみないと誘われたことから起こりました。

次男の指導をしてくださる方は、次男ことをとても考え、寄り添ったり、時に突っ込んだことを聞いててくださる方です。

そこでその施設のボランティアをしてみないかと誘われ、本人が挑戦したいと引き受けました。


でも前日に隣に座ってきて、「できる気がしない。」と頭を抱えてしまった。

これは学校に行こうと思っても準備できなかった時、
高校説明会に行こうとしても動けなかった時など何度も見てきた姿。

「あぁ、またダメかな。」と思い、一瞬恐怖で身体に緊張が走ったのですが、

そこで私が「できない子」を作ってしまっていたかもしれないという強い後悔がブレーキをかけ、まず次男の気持ちをただ聞いてみようと思いました。

その中でボランティア活動の中で「できること、できないこと。」が少しずつ見えるようになってきました。

翌日彼は
「眠れなかった。お腹痛い。」と言ったり、途中布団に戻ったりしていましたが、私が説得したり、勇気づけたりせずに気持ちを肯定的に受け止めていたら、時間に準備をして行きました。

その上、そこで自分の「できること」と「できないこと」を伝えることができて、「できること」でボランティア活動を続けていいと言ってもらうという体験ができました。

私にとっては100点満点以上の価値ある体験だったなと思っています。

次男だけでなく。前日の弱音を吐いたところから、帰ってきて出来事を話して、そのことがどれだけ素晴らしいかを話し合うところまで3兄弟と体験することができました。

それぞれの思いを表現し、できたことを喜べたことが本当に貴重だったと思っています。

そこから「できる」と「できない」の間にたくさんの選択肢があるんだと気づきました。

私や社会や学校が勝手に決めた基準をクリアしないと「できない」ことになってしまうことがとても問題だったと感じました。

子ども達はそれぞれ個性もあり、習得するタイミングも違います。

それを勝手に決めた基準で評価することで彼らの可能性や学びや成長を奪っていると感じています。

どんなことだって、できることを選択し、その子の今の精一杯でいいだと認める。

それができた体験を認めていくことで、子どもは安心して、自分のペースで成長していくんだと思いました。

そんな体験があることで大人になっても自分のできることを探し、できることで貢献していく人になるのではないかと思っています。

いつも人や社会の求めることができているか恐れているより、自分を理解し、自分のできることをしていけばいいと思っている。

そう思える体験を増やしていきたいと思います。

もっと早く気づきたかった。
すべての体験が学びと成長につながったのにと思うと辛いです。

でもこれからは変えていきたい。


受け止めてもらうと子どもが自分を認める体験になる

子どもの気持ちをありのままを受け止めてもらえたという体験は自分を認めていいんだという体験になると思っています。

それが積み重なることで子どもは安心して、自分に向き合うことができるようになると感じています。

親は子どもの近くに居て、日常で受け止めることができる。

その体験が増えていくほど、子どもはありのままの自分を認めることができて、そのままの自分で一歩を踏み出そうと思えるのではないかと思います。

ただそのありのままを受け止めることが本当に難しいなと感じています。

ありのままを受け止める難しさ

いくつかの壁があり、そのせいでありのままを受け止めることができなくなっていることを体験してきました。

  • 心や時間の余裕がない

  • 親の傷に触れる

  • 親子の価値観が対立する

  • 親がありのままを聞いてもらった体験がほとんどない

  • 今の社会の価値観と違って不安になる


私が上手くいかなかった時にその時の自分の気持ちを深掘りしていくなかで気づいた事です。

言語化できていないことがもっとあるように思いますが聞くことって本当に難しいと痛感しています。

ココに関しては別の機会にもっと掘り下げて書きたいと思います。

ここをクリアするためにまず私が大事にしたことは

  • 自分が聞いてもらうこと

  • 親子共の心理的安全性を大事にすること


聞いてもらうことが何より大事

聞いてもらうことで心のスペースができたり、つながりで安心できたりします。

心の余裕や安心がないと子どもを受け止めることは難しい。

無理だと言っても言い過ぎではないと痛感しています。

臨床心理学・精神分析・医療人類学で、白金高輪カウンセリングルーム主宰の東畑 開人さんは『聞く技術 聞いてもらう技術』の中で

あなたは「聞く」をめぐって、何か困難を感じていたから、この本を読もうと思ったはずです。 だから、やっぱり聞いてもらう、から始めよう。 自分がちゃんと聞いてもらえているときにのみ、僕らは人の話を聞くことができます。聞いてもらわずに聞くことはできない。

『聞く技術 聞いてもらう技術』東畑開人著

聞く前に聞いてもらうこと。

これがないと聞くことがとても難しくなってしまう。

特に不安や恐怖、自分の過去の傷の痛みがある時は本当に難しい。

私の反応ポイントをいつも頭に入れています

この本では「聞くと聞いてもらう」で小手先の技術と本質の両方が書かれています。

  • 本質がわかっても、実際の場面でどうしたら良いかわからない。

  • 小手先の技術を使ったら相手の気持ちに合っていなくて、かえって関係がこじれてしまった

どちらも私が困ったり、失敗して落ち込むところでした。

この本を読んで、あらゆることで、小手先の技術と本質の両方を知っていることで実際の場面で効果的な方法を考えやすいなと感じて、両方を意識するようになりました。



不登校の子どものことを聞いてもらうのに、近くに肯定的に受け止めてもらえる環境がない場合もあると思います。

公共の相談の場や、親の会、フリースクールに相談に行くことが力になると思います。

親だけが相談に行っても意味がないと思えるかもしれませんが、親が肯定的に受け止められ、聞いてもらうことが本当に大事なので、まだの方は安心して話せる場を探してみてください。

どこにあるかわからない場合はまず近くの役所に聞いてみるといいと思います。

因みに私は長男のことでひきこもり支援センターと以前通っていたフリースクール。
三男のことで総合教育センターで定期的に聞いてもらっています。


親子共の心理的安全性を大事にする

心理的安全性とはどんな自分でもバカにされたり、非難される不安を感じずに、失敗しても責められないと信じられて、自分らしく挑戦できる状態を言います。

これは一人一人の能力が最大限発揮できるために必要だとgoogleなどたくさんの企業が取り入れています。

子育てやその他の人間関係でもこれがとても大事だと言われるようになってきました。


松村 亜里さんは『誰もが幸せに成長できる 心理的安全性の高め方』の中で、こんな風に書かれています。

心理的安全性は 、 挑戦する勇気のためのもの。 心理的安全性が高いと 、 「リスクを とってもいい」 と思いやすいので、 「不安でもやってみよう!」 と自己効力感が高まるのも想像しやすいですよね。

『誰もが幸せに成長できる 心理的安全性の高め方』松村 亜里著

この本を読んで、親の私もたくさんの不安や恐れを感じて、子育てしてきたと感じました。

子どもが不登校になって、更にわたしの言い方や話すことが誤解されて上手く伝わらない。

子どもを傷つけたり、話が出来なくなってしまうという体験を何度もしました。

そこで子どもと話すことが怖くなってしまったり、自分にはその力がないという思いから子どもと突っ込んだ話が出来なくなっている時期がありました。

この本を読んで子どもだけでなく私もが評価されたり、非難されたり、攻撃されたくないと思っている。

私も子どもが私を評価する人のように感じている。

お互いにそう感じているから本当の気持ちが言えないと気づきました。

そこで子どもだけでなく、親も心理的安全性が大事だなと思っています。

お互いに間違ってもいい。
上手く伝えられなくてもいい。。

責めたり、バカにしたり、諦めたりしないために何が必要かを考え、その時々で様々な言葉で伝えていました。

積み重ねていく度に心が緩み、信頼が出来ていきました。

少々の衝突は問題ない。
少し落ち着いたらまた話せる。
お互いが恐れから防御していた。
感情が溢れた時はそこにその人の大切な何かや傷が隠れている。


こんな気づきがありました。
また別の機会に詳しく書きたいと思います。

心理的安全性は親子にとって大事なことだと思っています。

お互いが敵ではなく、味方になるために。


松村さんは医学博士・臨床心理士・認定ポジティブ心理学プラクティショナーでお2人のお子さんのお母さん。

アメリカでの体験や専門家の知識から子育てで心理的安全性の大切さを書かれています。


この本は現在Amazonの 電子書籍会員サービスKindle Unlimited やオーディオブック会員サービスAudibleの会員は無料です。(Amazonが随時変更します。2023/06/06現在)

初めての方は30日体験無料です



まとめ:わかろうとすることで可能性をひろげていく

ありのままをわかろうとして聞くことは簡単ではないです。

でも親がそこにトライすることを子どももも見て、体験しています。

難しさがあるけれど、このことを体験していくことにとても価値があると感じています。

上手くいかなくても気持ちを聞くことを続けていくことで

  • 上手くいかなくても挑戦することに意味がある。

  • それだけ相手を大事に思っている。

  • そこで得た信頼関係。

  • 伝えることも大事だという実感。

  • 失敗しても大丈夫なんだという安心感

様々なことを体験して、少しずつ実感していったこと。

息子たちも言動が変わってきて、それに少しずつ気づき始めているのではないかと感じます。

いつか誰かとできたらいいな。
そこで信頼できる人間関係が築けたらいいな
と思います。

それが私の願いです。

これらのたくさんの力がこれからの彼らを支えていくのではないかと日々実感しています。

こんなことを書いてきましたが、私は愛からず上手くいかずに落ち込むこと多いです。

先週だけでも何回かそんな体験をしています。

相変わらず上手くできない自分を責めてしまうことも多い。

でも
「責めなくていいんだよ。でも責めてしまう自分でも大丈夫だよ。」
「すべてが学びで、成長で、可能性なんだよ。」
と自分に言えるようになってきました。

子どもたちのすべての体験もおなじように学びと成長と可能性なんだと思います。

これからも親子で失敗しながらも、自分らしく、子ども達らしくやっていけたらいいな。