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映画史と共に振り返る『バビロン』

『ラ・ラ・ランド』のデイミアンチャゼルの最新作、『バビロン』を観てきたのですが、私にとっては映画の勉強してきてよかった〜〜と思える映画で大満足でした。
でもレビューや批評を読んでいると結構「好き嫌い分かれる」なんて批判的な意見も多かったので、私なりのバビロンの解釈を書こうと思います。

タイトルロールまでのパーティー

『ラ・ラ・ランド』から薄々思っていたのだけれど、デイミアンチャゼルは本当に映画そのものが大好きなんだなということを、『バビロン』を観て改めて感じた。それ故に、この作品の中には本当に沢山の映画の要素とオマージュがつまっている。本記事では、その様々な映画の要素と、1920-1950年代にかけての映画史を中心に、『バビロン』を振り返ってみようと思う。

さてこの『バビロン』、"B A B Y L O N" というタイトルが出るまで随分長く、個人的にはタイトルロール前後でこの映画は大きく分けられると思っている。
タイトルロール前はド派手なパーティーかつ、2人の出会いを描くプロローグ。であると同時に、これは監督本人が「僕はタランティーノが大好きなんです!!!なのでそのつもりで観てください!!!」と言っているシークエンスだと思う。

ドラック(たぶんコカイン)のオーバードーズで、鼻血を出して白い何かを吐いて意識を失っている女性といえば、タランティーノの『パルプフィクション』(1994年)。

Pulp Fiction

下手くそなイタリア語を披露するブラピといえば、『イングロリアス・バスターズ』(2009年)。

Inglorious Basterds

そもそもキャスティングの時点で気がつくべきだったんだけれど、ブラピとマーゴットロビーといえば、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019年)が記憶に新しい。マーゴットロビーが、自身の出演作を「私この映画に出てるの!」と言って観に行き、客席でそわそわしながらみんなの反応をみるというシーンなんて全く同じ。と、タランティーノの作品へのオマージュがあちらこちらに散りばめられている。

Once Upon A Time In Hollywood

というか、デイミアンチャゼルはこの映画を『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観て撮りたくなったんじゃないかという気さえしている。(ただ構想自体は『ラ・ラ・ランド』を撮る前からあったようだ) 『ワンス〜』は、インディーズ監督であるタランティーノなりのハリウッドと映画に贈るラブレターのような映画だったし、バビロンも同じく、デイミアンチャゼルの映画への愛に溢れている。

さて、タランティーノ作品といえば、史実を捻じ曲げた “if” を描くという側面もある。
それは『バビロン』も同じで、例えば1920年代に、アジア系のレズビアンの女性が差別をされずに華やかなパーティーの花形だなんてことはたぶんなかったし、女性監督もほとんどいなかったはず(60年代に女性監督が映画を撮る際に男性名義を使っていたこともあるくらいだ)。

大好きな映画界であれど、当時は男性中心的で、人種や性的嗜好のマイノリティに関しても、手放しで賞賛できるような世界ではなかった。だからこそデイミアンチャゼルは、自分の映画では誰もがスポットライトを浴びることのできる “if” の世界を描いたのだろう。
*ちなみに、登場人物達にはそれぞれモデルがいるようです。長くなるので割愛しますが調べてみてください!

これ以降の展開は、ほとんど『雨に唄えば』をベースとして作られている。なのでこの作品は、ざっくりタランティーノリスペクトの『雨に唄えば』と言える、と個人的には思う。

リンチのオマージュ

さて、ハリウッドが舞台でレズビアンの女性が出てきて…となればリンチの『マルホランドドライブ』(2001年)を話さないわけにはいかない。

最初のパーティーのシーンで、レディ・フェイがテーブルの女性にキスをする構図は、『マルホランドドライブ』の例のパーティーシーンのリタとカミーラのキスシーンに似ているし、ブラピ出演のトーキー映画のワンシーンの女性のセリフが、 “I hate both of us”だったと記憶している (*スクリプトを見たものの、記載があったのはJackのセリフからで正確なセリフは見つけられなかった。後日確認して追記する予定)。そのセリフは『マルホランドドライブ』でのダイアンのオーディションのシーンのセリフと全く同じである。

Mulholland Drive

さらに、あのギャングに連れられて洞窟の中に連れて行かれる道中の、ローアングルでの車のヘッドライトを映すショットは『ロスト・ハイウェイ』(1997年)を彷彿とさせ、裏社会を牛耳るギャングに追われながらネリーとマニーでメキシコを目指すロードトリップは、『ワイルドアットハート』(1990年)のローラダーンとニコラスケイジのようであるし、風景もどことなく似ている。
(というか、ハリウッドの裏社会を牛耳るギャング?マフィア?が出てきて、それが絶妙に気持ち悪いやばい男であるあたりがリンチっぽいのよ。トビーマグワイアの怪演よかったです)

Wild at Heart

リンチもまた、インディーズ監督でありながらハリウッドとその闇についての映画を撮った監督のひとりである。
デイミアンチャゼルも、『セッション』、『ララランド』と、エンターテイメントの世界を決してただ華やかで楽しい場所として描いているわけではない。今作もハリウッドの闇の部分にも触れている。
だからこの映画を撮るにあたってリンチをオマージュしていても不思議はない。

1950年代とは

ここで舞台となっている1920-1950年代が、映画史においてどのような時代であったか話しておこう。

リュミエール兄弟が発明したシネマトグラフィーによる『ラ・シオタ駅への列車の到着』からはじまり、1950年代になるまで様々な映画が生まれた(詳しくは後述します)。
1920年代は、作中で描かれていたようにサイレントからトーキー映画への転換期。その中で最も最高を収めたと言われるのが、作中にも出てきた『ジャズ・シンガー』(1927年)である。この映画はサイレントとトーキーの両方を使用したフィルムで、セリフの部分は字幕、歌と音楽の部分はトーキーにすることで、映画が「音」を持つことについて最も効果的に表現した。

The Jazz singer

この作品をきっかけに、トーキー映画へと移り変わる映画界でも変化が起こる。今まで見た目がほとんどだった俳優に、声質や声の演技力、セリフの暗記、歌唱力など多くが求められるようになっていく。それにより、『バビロン』と同じようにこれまでのスターが落ちぶれていき、新しい俳優が売れていくという現象が起こるようになる。このあたりについては、『アーティスト』(2011年)という映画でも描かれているので併せてご覧いただきたい。

そしてカメラもボックスタイプではなくなり、シンクサウンドの技術(映像と音を同時に流す技術)が安定し始めた頃、1932年に初のカラーアニメーション『花と木』が製作される。

しかし当時は、カラー映画は眩しくて頭が痛くなるなどの理由であまり人気が出なかったのだが、そのカラーを効果的に使用し、一般に広く受け入れられるようにした作品が1938年『オズの魔法使い』である。
『オズの魔法使い』も『ジャズシンガー』同様、白黒(セピア)とカラーの両方を使った映画で、ドロシーの日常は白黒で、魔法に溢れた「オズの国」をカラーで描く。それにより、映画が色彩を持つ効果を最大限に引き出した (当時の技術はテクニカラーです)。

そしてこの二つの映画の成功を経て、1952年に『雨に唄えば』が公開される。
『雨に唄えば』は、全編テクニカラーとトーキーで製作された、映画が歩んできたこれまでの50年間の軌跡の結晶のような作品だ。さらにトーキー映画への転換期を題材にした作品でもあるから、マニーのようにあの時代を生きた映画人にとっては誰もが感情移入できる作品であり、手の届かない夢が現実になったような感動があったのだと思う。

50年代は、映画史においてひとつの区切りである。カラーとトーキーという現代にも続く映画の基本が確立され、またそれが人々の間に広く受け入れられた時代であるからだ。
そのことを示す作品が『雨に唄えば』であり、映画の発展や役者が自由に歌って踊れるようになったことを謳歌する喜びにあふれ、その時代を象徴するひとつの集大成のような作品であると私は思う。

マニーが『雨に唄えば』を観て感じたであろうこの気持ちは、怒涛の映画史モンタージュ、もとい映画リテラシーテストを理解することによってわかるようになる。

映画史モンタージュ

さて、皆さんはこのリテラシーテストに何問正解できたでしょうか?私はこのシークエンスでテンションが上がりすぎて汗をかきました。いやあ、映画の勉強しててよかった!
1度観ただけなので全ては覚えていないのだけれど、このモンタージュから映画史上重要な作品をいくつかピックアップしていこうと思う。

メリエスの月世界旅行 (1903年)
リュミエール兄弟の作品が初の映像作品であるとするならば、メリエスの『月世界旅行』は、初めてのストーリー的展開のある「映画」作品である。手でフィルムに色をつけたカラーバージョンも存在し、後世に様々な影響を与えた作品である。メリエスについては『ヒューゴの不思議な発明』という作品でも取り扱われているので、こちらも合わせて観ていただきたい。ちなみに、『ヒューゴの不思議な発明』も結構な映画史的な映画である。

The Trip to the Moon


バスターキートン作品

これがあのモンタージュに入っていたかは定かでないのだが、1910-1920年代にかけては、"the great train robbery" などコメディ映画も多く製作されるようになる。
チャップリンも1915年にスクリーンデビューし、同じ頃、バスターキートンもまたコメディ俳優として様々な作品に出演する。作中で「キートンも出演するらしいぞ」というセリフがあったが、このキートンのことである。個人的には “SHERLOCK JR.” (1924年)をおすすめしたい。

メトロポリス (1927年)
1920年代は、実はドイツ映画の全盛期でもある。UFAという映画製作会社を中心に、今のゴシック映画やホラー映画の基礎となる作品が多く作られるようになった。このUFA映画は現実的ではないdestortedな建物や背景を使用することが特徴で、それによって不均衡さや観客への不安感を煽る。この表現は通称German Expressionism (ドイツ表現主義)と呼ばれていて、代表作は『カリガリ博士』(1920年)や『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)。そしてモンタージュに出てきたフリッツラングの『メトロポリス』
German Expressionismの金字塔、SF/ディストピア映画の原点にして頂点。サイレントなのにも関わらず、その完成度の高さに圧倒されるこの作品も是非観ていただきたい。
(ちなみに、昨年末のドイツでは『メトロポリス』が生オーケストラ付きで上映されていました。観たかった〜)

Metropolis


アンダルシアの犬 (1928年)

同じ1920年代後半、フランスではシュールレアリズム映画が流行り始める。
映画におけるシュールレアリズムも他の芸術ジャンルと同じく、頭に思い浮かんだものを次々と描いていくとか、規定の理論をわざとずらしていくというところが主になる。アンダルシアの犬はまさにシュールレアリズム!という映画なので、風邪のときに見る夢みたいなところがある。心身ともに健康な時に鑑賞してください。

Un Chien Andalou


オズの魔法使い (1938年)

さて、先程も触れたが1930年代に入るとテクニカラーの技術が生まれ、カラー映画が製作されるようになる。その代表作が、『オズの魔法使い』。モンタージュで使われていたのは、ドロシーがドアを開けてオズの国に入る瞬間、つまり、テクニカラーという新しい映画の世界の扉が開いた瞬間である。このシーンをチョイスするデイミアンチャゼル、さすがですね。

The Wizard of Oz


1960年代-ヨーロッパ

1950年代に全盛期だったハリウッド映画に対して、より芸術的な映画を撮ろうという動きが起こったのがこの60年代。フランスではいわゆるヌーヴェルヴァーグ (French New Wave) がうまれ、ゴダールやトリュフォーがその"新しい波"を形作っていった。
モンタージュの中にゴダールの『ウィークエンド』(1967年)があったのはもちろん、個人的に嬉しかったのは ジャックリヴェット『修道女』(1966年)があったこと。

La Religieuse

そしてスウェーデンの巨匠、イングマールベルイマンの『仮面/ペルソナ』(1967年)!
ここでちゃんと『仮面/ペルソナ』を入れるあたりにデイミアンチャゼルの趣味が垣間見えて非常に良かったです。そもそもこの怒涛のモンタージュもペルソナぽさがある。

Persona

サイコ (1960年)
同じ頃、アメリカでもじわじわとNew Waveが押し寄せる。ここで出てきたのは、ヒッチコックの『サイコ』。ヒッチコックは様々なショットを考案し、彼の映画からうまれた撮影技法も多いのだが、『サイコ』もまた、お風呂場での短いカットの繰り返しとハイピッチの音楽との合わせ技が有名だ。
それに当時のアメリカでは、映画は最初から最後まで座って観るものではなく、途中入場・退出が当たり前だったのだが、ヒッチコックが「この作品は最初から最後まで見ないとわかりせんよ!」と新聞に広告を出したことで、映画を最初から最後まで観るという価値観が出来上がったと言われている。

Psyco


そして現代へ

初めての映画誕生から約50年後、今日の映画の基礎となるスタイルが完成し、そこからまた新たに映画は発展していく。フランスやアメリカでNew Waveが起こり、そして『ジュラシックパーク』や『アバター』など、CGによって映画はまた新たな領域へと発展を遂げ、そして今に至る。

そんな映画史120年の歴史を一瞬で駆け抜けるような、そしてその中心には『雨に唄えば』があるというこの10分間のモンタージュは、Film Studies冥利に尽きる素晴らしい時間で、スクリーンを眺めているマニーと同じ気持ちを体感することができる。
それに一瞬であっても、過去の作品をスクリーンで観られたことが本当に嬉しい。

靴の音にさえ注意を払わなければならなかったストレスフルだったトーキー映画が、 “Singing in the Rain”、つまり雨の中で歌って踊れるシーンを撮れるようにまでなり、観客は笑わずにスクリーンに観入っている。そんなのもう、泣いちゃうよね。

"BABYLON" の意味

最後に、タイトルの意味について考えようと思う。

ケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』という、ハリウッドの裏を暴露したいわゆるゴシップ本について本人がインタビューで触れていたのでこれもインスパイア元だと思うが、それに加えて聖書の「バビロンの塔」の話もしておきたい。

聖書のバビロンの塔の物語は、かつてメソポタミアで栄えた都市バビロンの人々が、天まで届く塔を作ろう!と言い始め、その人間の傲慢さに怒った神が彼らの言語をバラバラにしたという話だ。人々は意思疎通が取れなくなり、塔の建築は中止。彼らはそれぞれ世界各地に散っていき、それが今の言語となった、というもの。

映画史においてそれは、言葉を手にしたトーキー映画と見ることができるだろう。言葉を手にした人々は、一度はバラバラになってしまう。落ちぶれてスクリーンに姿を見せなくなった俳優もいれば、過酷な現場に嫌気がさして去っていったスタッフも、「売れる」ために自分を捨てざるを得なかった人々もいただろう。
けれど同時にそれは、新しい映画の始まりでもあり、それをあきらめなかった人、新たに才能を見出された人々が、また映画を発展させていったのだ。

おわりに

散らかっているようにも思えるプロットだし、確かにアラは多いとは思うけれども、それはデイミアンチャゼルの映画愛故だということがよくわかる映画だと私は思う。映画が好き!という思いでこの作品を撮ってしまったところがすごい。
本記事であげた作品群を観ていただければ、この作品の深みが増すんじゃないかと思っているので、ぜひ映画史の勉強ついでに鑑賞してみてほしい。

タランティーノが万人受けしないように、『バビロン』も賛否両論分かれているようだけれど、私はこの作品がとっても好きでした!

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