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エッセイ「ぴんくのごはん」

スーパーマーケットの棚に缶詰やレトルトパックの赤飯の素が並ぶようになったのは、いつ頃だったのか。今や家庭の炊飯器で手軽に赤飯を炊くことが出来る。
好きな食べ物は?と聞かれたら、赤飯と答える。もちろん不思議がられる。

幼い頃、肺の病気で命を落としかけた。地元の病院ではどうにもならず、仙台にある更に大きな病院に転院した。重体で助かる見込みは薄かった。
「何が食べたい?」
との母の問いに
「ぴんくのごはん」
と私は答えたそうだ。私は3つか4つだったので記憶はない。ぴんくのごはんは味、というより単純に色が好きだったのだろう。酸素テントに覆われたベッドの足元に真新しいピンクの補助輪付きの自転車が置いてあった。
お医者様には99・9%助からないと言われていたが、2ヶ月の入院生活を経て奇跡的に回復した。
子供時代、親戚が集まる機会があると、シメは必ず私の闘病の話だった。
「ナオがぴんくのごはん食べたいって言うから雨の中、知らない街中泣き泣きお赤飯探して歩いたわよ~」
「本当、助かって良かったわ~」
「あの時は大変だったよね」
ねぇ、と叔母達は相槌を打ちながら延々お喋りに興じる。さすがに私は中学生くらいになると鬱陶しくなりその輪から離れた。

最近気がついたことがある。あの時叔母は仙台の街中で「ぴんくのごはん」を見つけたのだろうか。そして私は「ぴんくのごはん」を食べたのか。今ではコンビニに赤飯のおにぎりだって置いてあるが、赤飯のおにぎりどころか当時は東北にコンビニがまだ無かった70年代前半。
いつも叔母達の話は泣き泣き赤飯を探して歩いた件だけで、その先は聞いたことがなかった。
ある日母に聞いてみた。
「家で待っているお婆ちゃんが赤飯を炊いて次の日に仙台まで持ってきてくれたの」

江戸時代、赤飯は邪気を払う、という意味を込め凶事に食される風習があったと聞く。「ぴんくのごはん」は私の邪気を払ってくれたのだと思う。
時々、炊飯器で赤飯を炊く。無性に食べたくなる時がある。仕事でイヤな事があった日、心配事があって心がザワザワする時。
「どうせなら鶏肉やゴボウの入った茶色いおこわが食べたい」
娘は言う。
「もち米って太るんじゃないの?」
更に言葉を被せてくる。耳が痛い。

これは赤飯ではない。「ぴんくのごはん」なのだ。自分に言い聞かせて炊き上がったばかりの赤飯にしゃもじを入れる。紫がかった薄いピンク色のもち米がピカピカに光っている。
てんこ盛りに躊躇はない。


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