初めまして。(自己紹介) 〜これまでの経緯について〜

*以下、自己紹介の記事の為の内容になります。

元記事はこちらになります。

今回は、今の「Web制作者を目指して学習中」の状態に至った経緯をお話しします。(少し重い話になってしまうかもしれませんが、ご容赦ください。最も大きい要因が新卒の頃なので、その話が長くなります。)

最初に、「作業療法士」とはというお話を簡単にします。       

「作業療法士」とは、人の生活における全ての作業(仕事・趣味・食事や入浴などの日常生活活動等)において、対象となる人が行いたい・出来るようになりたい作業を実現するようにする事、それにより、対象となる人のQOLを向上させる事を目的に支援や協働する人…です。

1. 病院時代

大学卒業後、作業療法士として神奈川県の一般病院で2年間働きました。その病院に勤めた理由は、神奈川県の作業療法が素晴らしいと当時感じたため、その病院に勤務していた作業療法士の方が素晴らしく、ご指導頂きたいと思ったためです。

勤め出した時、まだ新卒で社会経験がサークルとアルバイトの経験しかなく、仕事の能力もかなり未熟であった為、その点についてよく悩むようになりました。(当時、「真の作業療法士とは」と、突き詰めて考えた時に、自分の能力の限界と無力さを感じていました。)

加えて、大きな環境の変化がありました。尊敬していた作業療法士の方が私が入ってすぐに同業種での転職をされた事、それによって多少、訓練室の雰囲気が変わった事、自身の業務の追加 と異動 ( 主な変化で負担に感じていたことは、当時、療養病棟の中の特殊疾患病棟という、かなり重症の患者様が入院していた部署があり、そこでの作業療法を行っていました。在籍中にお亡くなりになられる方もいました。主には、作業療法士の自分と理学療法士の上司の方の2人でリハビリを行っていました。)がありました。また、職場のシステムが変更になった事で、業務が慌ただしかった事もありました。

その様な事があり、少しだけ、体調を崩してしまいました。(その様な状態でも、勤務は継続できており、欠勤はほとんど無かった気がします… )

それにより、ざっくりといえば、自分の社会人経験の無さ、技術・仕事の 能力の無さを実感しました。

そんな時、某有名なIT企業に勤める女性会社員の方がお亡くなりになられた事件をニュースで知りました。(当時は全国ニュースになって、かなり有名な出来事です。) 当時、その女性と私は歳が近かったので、命をかけてまでその仕事をする必要があるのかとか、自分の適性や、「作業療法士は作業療法士でしか生きられないのか」を真剣に考える様になりました。(他の仕事で「作業療法士の考え方」が活かせないか考える様になりました。後、今のこのような社会だからこそ、若手の悩みをしっかりと聞いて頂けたらと思います。

*その当時、流行していたのが、「ノマド」や「フリーランス」「バックパッカー」でした。自分のキャリアを考えていた時、それらの言葉に書店で出会いました。Webデザイナーという言葉もその時、知りました。

2. 地元の就労移行支援施設時代

それでも、悩みに悩んで作業療法士を諦めきれなかった私は、地元に戻り、就労移行支援施設での生活支援員(パート)として約1年間、働きました。

そこでは、色々訓練に関わらせていただいたり(サポートで)、大学の先生のお手伝いで、自動車の高齢者講習に関する取り組みに参加させて頂いたり、地域おこしの活動(街中に昔の遊びや道具などの展示場を作る)に参加させて頂いたり、貴重な経験をさせて頂きました。感謝してもしきれないでいます。

しかし、地域にはまた地域の難しさがありました。経験値が低い状態では、長く関わる事を難しく感じました。(こちらはお話がかなり複雑になってしまうので、割愛致します。)

逃げた様に聞こえてしまうかもしれません。実際、正直にいうと、逃げてました。でも、作業療法士は対象となる人の人生に対して関わる仕事なので、かなり責任が重いのです。また、生活支援員から施設管理者などの上の級に行くには、それなりの実務経験、実績が必要でした。

自分にできる事は何か、働きながらも精一杯考えていました。地域おこしの活動でチラシをパワーポイントで作ることを行っていて、色々な方に喜んで頂けた時、書店で出会った(Web)デザイナーの働き方をもう一度考える様になりました。

また、作業療法士の資格だけでは、どの仕事に就職するにしても、当時の私には心許なかったので、ヒューマンアカデミーのWEBデザイントータルコースを半年間受講し、卒業しました。また、そこで、別講座でデザインの基本をプロの先生から直接学んだり、パーソナルカラーなどを少し勉強しました。カラーデザイン検定3級もそこで取得しました。

3. ホテルのフロント時代

しかし、未経験であるという事と、その時、転職を急いでいた事、いろいろ な年代の人の考え方を知ることがデザインにおいて重要であると思った事から、ホテルマン(フロント)に転職をしました。(ホテルマンであれば、仕事の基本的な所からスキルアップ出来ると思いました。)

*当時も今も、未経験から地元の制作会社で働く事は、求人数でも、実績でも、かなり難しい状況です。

ホテルマンとして働く中で、同様に辛い事はありました。しかし、別支店に夜勤での異動になった時、その支店の支配人が、今まで私がWeb関係の勉強をしてきた事に興味を抱いてくださり、小さな事務的な仕事ではありましたが、仕事を回して下さる様になりました。(スキルはかなり未熟でしたが、その支店では、バナー・アイキャッチ画像(実際にWeb上に掲載)、POP、クーポン券のデザインを作成しました。(Adobeソフト使用))

その仕事をしている時に、他の仕事と比較して、あまり苦にならずに出来ていた事と、仕事していて楽しかった事、効果が少しでもみられた時は喜んでくださったので、お客様やユーザーの役に立ちたいと思った事がきっかけで、Web制作の道に進もうと思いました。              

そこで、フロントとして働きながら、デジハリオンラインスクールのWEBデザイン講座を受講して、卒業しました。(受講するうちに、コーディングも好きになりました。)

デジハリオンラインスクールを卒業後、フロントを退職し、デジハリ主催の複業キャンプに参加しました。現在はWeb制作者を目指して活動中です。(また、別記事で書ける範囲で体験レポート書こうと思っています。)

https://online.dhw.co.jp/course/web_design/?gclid=Cj0KCQiAubmPBhCyARIsAJWNpiOvuMbpwzzdjVv3EeuZNsXf38Oi6jzgtSqc0Dni6uwjtWpXlBIv9kcaAnNBEALw_wcB

(↑ デジタルハリウッドオンラインスクールWEBデザイン講座 )

以上です。




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