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40代の挫折。ゆでガエルが干上がってしまった話をしよう。



2019年、春。

仕事では慌ただしいヨーロッパ出張のあと
大きなプレゼン、

家庭では子供の小学校の卒業式、
中学校の入学式が控えていた。

子供が着たいと熱望している袴の手配。
着付けの予約。制服の注文、入学の資料記入。

なぜかひとりで全てを抱えているつもりになって、やることが山積み。

ただただがむしゃらだったから、

会社での面談で苦手な事もやれと言われて
全ての糸がプツリと切れた。

だれもが知っているような
億単位のヒット商品を作ってきた。

売り上げを上げるため、
見せ方や売り出し方まで、
様々な努力を惜しまなかった。

さらにマネジメントまでやらせるって?

それは、
登っても登ってもゴールしない
山のように思えた。

六本木の高層ビル内にいた私は
建物がぐらんぐらん大きく揺れている
気がして気持ち悪くなり、
面談のあと早退した。

ストレスと過労でダウン。
診断は「適応障害」。

次の日から、会社に行けなくなった。

そんなことがあって
1か月もしない頃
いつもいつも、励ましてくれた
大切な親友が急逝した。

言葉では表せないほど
深い悲しみだった。

そして人生には期限があることを
否が応でも知らしめられた。


数ヶ月やる気も出ず
だらだらと過ごし、

そしてそこから少しずつ
「自分探し」の旅が始まった。

ノートに気づいたことをひたすら書いた。

気になること、気になる場所、
会いたい人に会いに、、
思いつくままに出かけていった。

沢山の人に会った。
そこにはいろんな生き方があった

会社員デザイナーとして
ただがむしゃらに上を
目指して働いていた私は、

自然体で生きる彼らに

「そんなに頑張らなくていいんだ。」 

と教えてもらった。

約20年もの長い間
「がんばる教」に入っていたことに
やっと気づいたのだ。


新築で買ったマンションの、
中庭の木が
芽吹いていることに
8年も気づかなかった。


やっと気づけた。
そこが私のターニングポイント、

「じぶん元年」。


そしてその後
不安と焦りが大波のように
襲って来て、

まあまあカッコ悪い行動を
起こすこととなる。


その話は、
また今度。


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