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運動部に行ったらスケオタになった件①

みなさん、こんにちは。中日新聞運動部の蓮野亜耶です。フィギュアスケートを始め、カーリングやスピードスケートなど冬の競技を中心に取材を担当しています。今回、ポッドキャスト「あしたのたね」で2023-24シーズンで好きになったプログラムについて語ったところ、リスナーの方から「蓮野さん、スケオタ」とスケオタ認定していただきました!感謝。

ただ、昔から好きだったわけではありませんでした。運動にさほど興味のなかった私が運動部に行って、フィギュアスケートの沼にハマった歴史をお伝えしたいと思います。需要があると信じて・・・

フィギュアスケートとの出合い

わたしの脳みそに残っている最古のフィギュアスケートの思い出は1992年のアルベールビル五輪の伊藤みどりさんです。

リアタイしていたかは定かではありませんが、伊藤みどりさんがフリーで身に着けていた、あのワインレッドの衣装がすごく好きで「あんなワンピースが欲しい」と思ったことを覚えています。
確か、ピアノの発表会で買ってほしいワンピースをおねだりしたときに「フィギュアの人みたいな色のやつ」ってリクエストしたと思います。
それが、一番古い思い出。
この衣装ですね↓↓


ちなみに一番古い大会試聴の思い出は、いつの大会かは分かりませんが、おそらくNHK杯か全日本のどちらかで田村岳斗さんが演技する前に観客から「ヤマト、結婚してー」と声が上がった大会です。記憶が捏造されていなければ確かに「結婚して~」の声を聞いたと思います。確かに、田村岳斗さん、かっこよかった。

物心ついて以降のフィギュアとの接点

小中高校と、フィギュアスケートがテレビでやっていれば、なんとなく見るという感じでした。誰が好きとか、そんな風に見ることはなく「見る」ではなく「横目で見る」くらいの感覚。
ただ、大阪の大学に進学した際、母校の近くの大学に高橋大輔さんがいたと知り、興味を持つようになりました。(当時、級友が「三宮で高橋大輔見た!」みたいな情報を聞いたりしていたので)

そこから、YouTubeで高橋さんのプログラムを見ることも増えました。当時、好きだったのは「白鳥の湖HIP-HOPバージョン」。これ、かっこよくて何回も見た。何回も見たけど、全体の雰囲気と高橋さん独特のステップが好きで、ジャンプの見分けとか全然分かってなかったし、分かろうともしていませんでした。ただ、「ダイスケ・タカハシ、かっこよ」と思っていただけでした。

新聞記者になってから

正直、忙しくてフィギュアスケートまったく見ていなかったです。ソチ五輪の浅田真央さんはかろうじて見た、というくらい。NHK杯も全日本もおろか、五輪ですらほとんど見ていません。テレビとか新聞の報道で「へえ、メダルとったんか~」とか、のんきに思っていました。
なので、トリノもバンクーバーもソチも平昌も北京もほとんど見ていません。結果だけ知っているという感じでした。

ただ、いま思い返してみるとフィギュアスケート関連の取材をまったくしなかったわけではなかったなと。

2010/03/29(月)の中日新聞東海版の社会面にこんな記事を書きました。
「氷上の曲 五輪後も輝き 静岡の会社員DJ作 高橋選手が使い話題に」
こんな見出しの記事を書いてました。バンクーバー五輪のエキシビで高橋さんが使った「Luv letter」という曲が実は、静岡の方が作曲していたという話しで、DJ OKAWARI さんに会いに行きました。確か、たまたまTSUTAYAに行って、ポップに「大人気」とかって書かれていたのを見て取材したんだったと思います。

あとは、金沢勤務時代に小塚崇彦さんがスケート教室に来られた際に地方版に記事を出しました。ただ、このときは小塚さんに直接話しを聞くことはなく、参加者の声を拾ってまとめた記事だったと思います。

そんな私が、ある日突然、「運動部に行ってくれ」と青天の霹靂の人事を言い渡されるのです。

続く・・・

中日新聞ポッドキャスト「あしたのたね」


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