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①表現力ってなあに?宇野、鍵山、山本選手から学んだこと

こんにちは。先日の「運動部に行ったらスケオタになった件」を読んでくださり、ありがとうございます。スケオタになった部分が一番最後しか出てこなくて、「おい、いつまで引っ張るねん」って感じだったと思いますが、しっかり書こうと考えた末のことです。大目に見てください笑

さて、今回は2023ー24年シーズンで記者として【表現力】について考えたシーズンでした。
それは、シーズン前に宇野昌磨さん鍵山優真選手がこぞって「表現力に注力したい」との言葉をさまざまな場で発言していたからです。

なるほどね、表現力ね。OKです。
とか、取材時に簡単に捉えていましたが、シーズンが始まる際に意気込みなどをまとめた記事を書いた際に「あれ、わたしって表現力のこと何も知らないな」とふと思いました。
あまりにも簡単に原稿の中で「表現を磨く」「表現力の豊かな~」とかそんな言葉を書いていた自分の浅さがとても気になりました。


何をしたら「表現力が高い」って言われるの?

そもそも、わたしは宇野さんは表現力の高い選手だと思って1シーズン見てきました。それが「もっと表現力を突き詰めたい」という趣旨の発言を聞くにつれ、「え、それ以上なにをしたら表現力が高いって言われるの?そもそも、なにを見て表現力があるって言えるんだ?」と頭の中をぐるぐるし始めました。

表現について、自分の考えをまとめたくてノートにいろいろと書き殴っていたり、テレ朝さんのGPシリーズの解説動画で町田樹さんが語っていたのを正座拝聴していたのが9月。
シーズン通して考え続け、機会があれば選手にも聞いたりして、自分なりに「こういうことか?」というものにたどり着いたような気がします。

いろいろ書いたメモ


伝統舞踊の〝味〟が出せるか

フィギュアのプログラムでも多くの選手が踊るタンゴやフラメンコなど伝統舞踊。陸でのダンスを、舞台を氷上に移してどれだけその「味」を出せるか、大事なんだと思いました。
当たり前かもしれないですが、「確かにタンゴなのにパッションが感じられなかったら、それタンゴじゃないよな」ということだし、曲を理解していない=タンゴを表現できていないということになる。
例えば、イリア・マリニン選手の「マラゲーニャ」。数多くのスケーターが演じたフラメンコの曲。
動きの中にフラメンコの代表的なポーズ「オーレ!!」っていうのが入っていたりとか、フラメンコ特有の手の形をしっかり作って踊っているんだなというのが分かる。

こういった部分が表現を評価(評価という言葉は好きではありませんが)する際に大事になるんだなと感じました。

鍵山優真選手が示した「曲の解釈」から見える情景

表現について悩み続けていた(なぜ、お前が)中で、宇野さん、鍵山選手に直接質問する機会を得ました。NHK杯の男子SP後の会見です。
素直に「お二人が表現力を頑張りたいとおっしゃって始まったシーズン。私も考えましたが、表現についてよく分からなくなりました」と。

鍵山選手が答えてくれたのは、曲の解釈とそれに合わせてする振りにストーリーを持たせるということ。

これを聞き、「ああ、なるほどな」と鍵山選手の演じるSP、FSの解像度が上がりました。
ポッドキャスト「あしたのたね」でも語りましたが、SPでは「痛みからの解放、痛みを取り除く」というテーマ。歌詞の中に「痛みがぼくを強くしてくれたんだ」というものがありますが、そのときに鍵山選手が前に尽きだした両腕を左右に広げる振りがあり、「確かに痛み、鍵山選手が経験した足のけがからの復帰、闇を引き裂くような感じ」に見える。
FSも、雨の情景がありありと浮かんできます。空を見上げ、降り注ぐ雨粒の大きさを確認したり、最後の部分は音符の羅列とも言える激しい音楽は地面にたたきつける雨粒のように聞こえ、その中を鍵山選手が走り抜いていく。駆け抜けた先に太陽の日が降り注ぐ。そんな場面がありありと見えました。

山本草太選手が語った「ポジションの正確さ」の意味

もう一人、わたしに表現について大事なキーワードをくれたのは山本草太選手です。
3月の取材時に表現力について話しが盛り上がりました。その中で、どう伝えて行くかという問いに「ポジションの正確さ」という言葉が出てきました。最初は、「なぜポジション?」と思いましたが、こういうことかと納得できる部分がありました・

思い浮かべたのは「能面」
能面は不思議なもので、その表情は感情がなさそうであるように見える。
例えば、若い乙女を演じる際などに用いる「小面」という面があります。この面は、少し上を向くと楽しそうに見え、うつむくと悲しげに見えます。
つまり、「形」によって伝わるものがまったくことなるということ。
これが、山本選手が言う「ポジションの正確さ」につながるのかなと理解しました。

氷の上でも、伝えるのに最適な「ポジション=形」があるということ。それが少しでもずれると、伝わるものも伝わりにくくなる。

当たり前のことかもしれませんが、わたしには「なるほど」の感覚でした。

それでも、「表現っていうのはそれぞれ」という宇野昌磨さん

前述のNHK杯では、鍵山選手だけでなく、宇野さんにも同じ問いを投げかけていました。
返ってきた答えは、まるで禅問答のよう。
表現が何なのかっていうのは僕もわかってないし、表現はジャンプなどと違って正解とされるものが人によって違う。だからこそ1人1人の個性があって、それぞれの良さがある。本来その点数をつけるっていうのもすごく難しい部分だと思っている。

なにをしたら表現力があると評価されるのか。そのことを中心に考え続けていたわたしにとっては、ある意味、金言でした。
確かに答えはないし、好みも個性もある。それぞれがどのように感じてもいいし、それを否定されることもない。
当たり前だけど、大事なことに気付かされた返答でした。

さて、こうやって表現力について考え続け、実際の記事でどう活かされたのか、はたまた活かされなかったのか。
選手の皆さんから学んだことをどう反映させたのかを次の記事でご紹介します!


参考

↑↑この回で宇野さん、鍵山選手に質問したときのことを語っています。

↑↑この回の最後の方で山本草太選手との質問の中で得た「能面」の例えを語っています。

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