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浜村温泉で映画をつくる記録〈8〉シナリオは難しい。

シナリオは誰かに任せようと思っている。

映画のシナリオを一度勉強し、書いてみたことがあり、それを元に映画にもした。だけど、シナリオは、もう本当に技術職だと思った。つまり私には難しい。

専門でシナリオに没頭するのもありだと思う。でも私は映画をつくりたいのであってシナリオを書きたいのではない。シナリオを書きたい人がいるなら喜んで任せたい。書きたい人いないなら、書きたいと思わせる物語にすればいい。それに、私は誰にでもわかるような言葉を選ぶのがとても苦手。もうただのコミュニケーションでも、勘違いさせる事や真逆に伝わることが多い。私の意図を正しく汲み取ってくれる人って本当に稀なんです。なんて偉そうに言いますが、私の発言意味不明で多方に迷惑かけまくってます、すみません。

というわけでシナリオは、映画を作る上での設計図だと私は認識している。みんなが、シナリオから読み取れる要素を拾い上げて、現場で仕事をしていく。

その設計図は、私には作れない。私の書いた物語を、シナリオ化してくれる人が必要。その人に任せるのがいい。だけど、責任者は私だから、監督なりプロデューサーなり、呼び名はなんでもいいからとにかく責任は私が取る。

だから、シナリオを書いてくれる人は、私の気持ちを汲み取ってくれる信頼関係が必要。その人に、私が明確な物語を伝えられるようにしないといけない。

だから、私は物語を書かないといけない。頭に流れては消える映像を書き留めておかなきゃ。物語もこのマガジンの中でオープンにしてしまおうと思う。

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