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浜村温泉で映画をつくる記録〈7〉3つのキーワードの関連性。

まったく関連しないように見える①田中古代子②桃井かおり③ホームレス、この3つのキーワードをどう関連づけるか。それが問題なのですが。なにより、私の心がときめき続けているということが何よりもの強い関連性なのでそこに迷いはない。

それをどう客観的に、人に納得してもらえるように繋げるか、ということをしなければならない。それが難しい。でもやってみる。

一言で言えば、『自分を探す』というテーマになるのでは?と思ってる。

田中古代子の「私は女だ、家庭に於ける人の妻であり、幼児の母であり、又老母には一人娘であり、一人の弟には一人の姉である、けれども人妻に即せず、母親たるに傾かず、尚又娘であり、姉であるに限られない処に、それ以上の処に、私は自分の存在価値を知りたいのだ」というこの一文でも古代子は自分を探してる。私はそこにいたく共感した。

自分の居場所がなく自分が分からなくなり、苦しくなったら桃井さんの芝居や文字を見て、なんとか生きてきた。桃井さんに近づけばきっとこの苦しみから解放されるヒントが見つかる、そう思って桃井さんと共演することを夢見て女優続けてきた。

そんななんとか無理にでも前を向く桃井さんからもらった気持ち、エネルギーだな、それを、あのホームレスのおっちゃんからも同じようにもらえた気がする。桃井さんには失礼かもしれない。だけどこんなこと言ったらホームレスのおっちゃんにも失礼かもしれない。どちらにせよ失礼かもしれないが、私は、同じくらいにとてつもなく大尊敬していて。桃井さんがホームレスのおっちゃんとリンクしてるのが見えてしまったので。

私にとっては、桃井さん出てくれないなら、この映画はつくらないし、おっちゃんの役を登場させないなら、この企画は進まない。

切っても切れない関係です。

田中古代子のように迷い苦しむ私という存在が、桃井かおりさんやホームレスのおっちゃんの発する光に近づこうとする、そんな感じかな。

これって客観的になってるのか?ただ、主観を文字数増やして説明してるだけ?

今はこんな程度でしか説明できないかもしれないな。


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