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LGBTQ事情#1 女の子なんだから。

 私は小さい頃、自分のことを「オイラ」と言っていた。

 女の子なんだから、自分のことはワタシと呼びなさい。足を閉じて座りなさい。スカートをはきなさい。「女の子なんだから。」

 どうして、人は性別に私を当てはめようとするんだろう。女の子だけど、ズボンや黒い服が好きだし、足を広げて座りたい。それではいけないのだろうか?

 「女だから」とか「男だから」と口癖のように言う人には、つい反発してしまう。最近は、心の中で押しとどめられるようになったけれど、小さい頃は「男」「女」というワードに敏感だった。思いをうまく言葉にできず、涙を流して、ただ相手をにらみつける事しかできなかった記憶がある。

 私は「女」だ。だけど、「女」だと言われるのはすごく嫌だ。でも、どうやら「男」でもない。私は、一体何なんだろう。当たり前にみんなが当てはまる「性別」という二つの選択肢に違和感がある事は、誰にも言えずにいた。

 それでも、「女の子らしく」をやるために、勇気を出して、学校にスカートをはいていったことがある。不思議と足は内股で、女の子みたいな動きになった。新しい感覚は嫌ではなく、「女も悪くないかな」とその時は思った。しかし、教室に入った途端、仲良しの友達が、言った。
 「スカート似合わない!いつもの方がいいのに」。

 私は、自分の「女の子」への挑戦をへし折られた悔しさと恥ずかしさで、大泣きして抗議した。今思うと、その友達は私を「女」ではなく、一人の人間として見てくれていたから、スカート姿に違和感があったのだろう。本当はお礼を言わなければいけなかったのに。

 「女」か、「男」か。はっきりしないとスムーズに生きられない。ちょっとしたことで、いちいちつまずく。アンケートの性別欄もそうだ。結局、「男性・女性」の真ん中の点にいつも丸をしていた。

 胸が大きくなった時は、心の準備をしていたつもりだったけれど、大きなショックを受けた。やっぱり、私は「女」なんだと。ブラジャーを初めて身につけた時の屈辱は忘れられない。

 だけど、今思い返してみると...。あの時の友達は私が女っぽくしようとすると、変だと笑っていた。友達は私に女っぽさなんてひとつも求めていなかった。いつも、ガニ股で、泥だらけになって男の子と競争し、ケンカをする「オイラ」を、友達は受け入れてくれていたのだ。

 あの時の友達に、今なら自分の話ができそうな気がする。でもきっと、「だから何?お前はお前じゃん」と言って笑われそうな気がする。私の友達はいいやつだった。

2020年6月2日火曜日
山陰中央新報 掲載分
写真 いしとびさおり

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