期待しないができない

人や物事に期待しない。
こうすることによって自分を守ことができる。
例えば、何かに失敗した時もはなから期待していなければ自分がそこまで落ち込むこともない。
人にだって使える。
誰かに期待しなければその人が予想外のことをしてきた時の自分へのダメージは小さい。
この事から「期待しない」という事は自分へのダメージを最小限に抑える防衛術である。
でも、これができない人はどうだろうか。

僕は「期待しない」ができない。
何か物事を始めた時も効果を期待して始める。人にもそうだ。誰かに何かを頼んだ時に期待して頼むので予想外のことや忘れられると本当にショックになる。
最近でいえば就活。
就活でいい感じでステップアップした時もどっかで期待しているので落とされると本当にへこむ。何で「期待しない」ができないのだろうか。期待することは悪いことではないとは思うが、生き方が下手な気がする。期待するということは外部要因によっていつでも僕の心はズタズタになる。何が悪かったんだろうとか考えるし、後悔ばかりする。信じてたのにとか思うし、勝手に裏切られた気持ちになる。本当にめんどくさい。

僕は意外と純粋なのかもしれない。人のことを信用している。流石に初対面の人は信用しないけど。でも、ある程度の関係性までいったら信用してしまう。将来が心配だ。
何故、期待しないができないのか考えた時に、物事の良い面しか見ていないからなのかもしれない。明るい未来しか妄想していないからなのかもしれない。こういった現実逃避に近い妄想をしていると何だか何でもできるような気がしてくる。これが根拠のない自信というやつで、これが厄介。本当に自分は将来何でも出来るように思えてくる。しかし、実際は特に誰とも変わらないただの大学生である。自分はこれをしたいとか、こうなりたいとかいう目標がある程度ある。だからこそ、そうなっている自分を妄想してしまって自分に期待する。大した事ないことは分かっているのに、それを認識してしまうことが怖いのかもしれない。
今一番怖い事は自分が勝負している環境で自分を否定されることだ。
多分こうなった時も自分を守るためにあいつが分かってないとか思うのだろう。
しかし、一度否定されたことは僕の心からは消えずに半永久的に僕の体内を彷徨う。

僕の兄は「期待しない」が出来る人だ。
これが羨ましい。兄はとてつもない環境で勝負していて、結果を残してきた。そんな人間が期待しないことで自分を守っているのだ。おそらく、兄の仕事は結果が出なかった時に兄そのものが否定されるという重荷を背負っている。
だからこそ、期待などしていたら心がもたないのだろう。
兄と世界を繋ぐ方法がそれしかないのだから。

僕は「期待しない」ができない。
これはこれからも続くだろう。毎回期待しては落ち込み、期待しては裏切られた気持ちになるのだろう。
でも、僕の強みは切り替えが早いことだ。
何かに期待して、思い通りにいかなくて落ち込む。そして、寝る。
この落ち込みや後悔が消えない訳ではない。無理やり押し殺し、私怨に変え活力にする。見返してやるとか、今に見てろ、とか。この私怨を今ままでも多く溜めてきた。
僕の体内で彷徨う否定してきた(と勝手に感じている)奴への私怨で、今日も明日も生きる。

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