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ショートショート:「苗字」

 「地名」。
 これが私の苗字だ。日本に10人しかいないらしい。
 読み方は「ちな」。私はこの苗字に飽き飽きしていた。学生の頃は、この苗字のおかげで友達を作ることに苦労しなかったので気に入っていた。しかし、「ちな」を30年も続けると、さすがに嫌気がさしてくる。取引先に名刺を渡す時に、名刺を貰った相手は必ず訝しげな顔をする。最近は若者が「ちなみに」という接続語を「ちな」と略すので、その度に自分の名前を呼ばれた気がしてビクッとする。私はビビリなので、これが今でも慣れない。
 この苗字をつけたご先祖に文句を言いたいところだが、生憎、タイムマシンは開発されそうにない。せめて、この苗字だけでも変えたい。

 僕は漫画やアニメが大好きで、ヒーローに憧れた。市民を助けるヒーロー。僕は将来そんなかっこいい存在になることを夢見た。
 しかし、僕の夢は小学生にして打ちひしがれた。同じ苗字が僕以外に3人もいたのだ。
 僕の名前は「佐藤」。
 全国で最も多い苗字と父が誇らしげに語っていたが、僕にはそんな風には思えなかった。
僕以外の佐藤さん達は何か学年で一番になれる得意分野があった。でも、僕には何もなかった。クラスのやんちゃな奴からは「佐藤界の落ちこぼれ」と言われた。
 僕が「佐藤」じゃなければ、ヒーローになれたのに。

 私は一度、姓名判断師にこの苗字の運勢を占ってもらった。普通、下の名前を占うらしいのだが、そんなの興味ない。私はこの苗字の事が知りたいのだ。
 姓名判断師は占うやいなや、「ムムム、この苗字には悪運が取り憑いている。」と言った。続けて「貴殿はこの苗字についてどう思っている?」と聞かれたので、正直に「できる事なら変えたいです。」と言った。すると、「ふん、変えるとなると家庭裁判所の許可など、色々ややこしいだろう。すぐに苗字を変えてくれる友達を紹介してやらんでもない。」と、右頬にできたニキビを触りながら言った。そんな友達がいるのかと怪しく思い、「ご、合法ですか?」と、つい質問してしまった。すると、「法律の向こう側に行くのだよ。」とよく分からない事を言った。私は恐る恐るお願いしてみた。
 「来週の日曜、この場所に15時に行け」
姓名判断師はそれだけ言って、「終了」と手を叩いた。

 学校に行かなくなって、1ヶ月が過ぎていた。
 母は心配して、父は情けないと半ば呆れているようだった。僕は佐藤さん達に劣等感を抱き、勉強、スポーツ全て上手くいかず、挙げ句の果てにやんちゃな奴らのおもちゃのように扱われるようになった。僕がヒーローだったら、あんな奴らとっくに倒しているのに。僕はヒーローではないので、そんな事はできなかった。
 家にいる間は漫画やアニメを観るか、たまに母に無理やり買い物に付き合わされるかだった。
 この生活を続けていると、元々僕はヒーローになんかなれないし、オンリーワンでもなんでもなかったのだと自覚してしまいそうになる。その気持ちをグッと抑えて、漫画やアニメを観る。僕が学校を休んでも、他の佐藤さん達が僕の存在を忘れさせているのだろうと思った。悔しいという思いも、嫉妬も何もなくなった。ただ、学校に行くことはできなかった。

 日曜になり、指定された場所に着いた。
 そこは普通のスーパーの駐輪場。ここに誰がいるのだろうか。5分くらい待っていると、ここらでは見かけないブランド物に全身を包んだマダムが元気そうにこちらに近づいてきた。
 「あなたかしら、苗字変えたいって。」
 「はい、そうです。」
 「ちな、苗字は?」
 またビクッとしてしまった。マダムも驚いた私に驚いた。
 「何?どうしたの?」
 「あ、すいません。私、「ちな」っていう苗字なんです。」
 「それで驚いてのね。ごめんね、紛らわしいことしちゃって。」
 「いえ、紛らわしいのはこっちです。」
 「じゃあ、早速だけど苗字変えようか。」
 マダムはそう言うと、スーパーの中にズンズンと入って行き、生肉コーナーの所で止まった。マダムは親子で買い物をしている客に近づき、子供の方の肩をタッチして戻ってきた。
 「さ、変えるわよ。」
 「え、どうやって。」
 「もう苗字を変える対象の子供にはタッチしてきたから、あとはあなただけ。」
 「あの子の苗字と変えるんですか?」
 「そうよ。あの子も変えたがっていたもの。」
 「なんでそんな事分かるんですか。」
 「だって、心がそう言ってたから。」
 何を言ってるんだ。急に怖くなった私はやめるように言った。
 「ダメよ。もうタッチしちゃったんだもの。変えないと、あの子の苗字がなくなっちゃう。」
 最悪だ。これも何もかも、この苗字のせいだと思った。
 「分かりました。せめて、あの子の苗字だけでも教えてくれませんか。」
 「佐藤よ。全国で一番多い苗字。あなたにピッタリでしょ。」
 確かに、私が望んだものだ。
 私はおずおずと肩を差し出した。
 「じゃ、やるわね。」
 マダムが私の肩をタッチした。特に何も変わらなかった。
 「い、今ので、私は佐藤になったんですか。」
 「正真正銘、佐藤さんよ。今まであなたと接してきた人も、あなたが元々佐藤だったように記憶が書き換えられてる。」
 「あの子もですか。」
 「そうね。あの子も元々の「佐藤」の記憶から「地名」として生きてきた記憶に書き換えられているわ。」
 本当に、本当にそんな事があるのだろうか。私は急いで免許証を確認した。すると、苗字が佐藤に変わっている。
 「あ、ありがとうございます!」
 「いいのよ。その代わり、あなたの昔の記憶も佐藤として生きた記憶に書き換えられてるからね。」
 「そんな事、もうどうでもいいです!」
 私は新たな人生がスタートした様な気分になり、意気揚々にスーパーを後にした。

 僕はクラスの人気者で、ヒーローである。
 僕の苗字を珍しがって、みんな僕の周りに集まった。それから、何をしても上手くいく。勉強もスポーツも苦手だけど、みんなと一緒に遊べば忘れられる。
 僕が好きな漫画とアニメの話をすると、みんな興味津々に聞いて、一週間後にはクラスでブームになっている。
 ある日、やんちゃな友達が「父ちゃんに聞いたんだけど、「地名」って苗字、全国に10人しかいないらしいぜ。選ばれし者だ!」と言ってくれた。
 そう、僕は選ばれし者なのだ。全国に10人の選ばれし者なのだ。
「おい、今からちなをリーダーにアベンジャーズ作ろうぜ。」
 しょうがない。作ってあげるか。僕はみんなのヒーローなのだから。

 その日は気持ちのいいまま布団に入った。
 新しい人生のスタートを切ったのだ。明日からの新生活が楽しみでたまらない。そんな気持ちで真っ暗な部屋で一人過ごした。
 しかし、段々と心が痛くなってくる感覚がした。それは学生時代の体験だった。
 「お前は佐藤の中の落ちこぼれだ!」
 クラスの男子がそう言って私を罵っていた。
 そっか、記憶が書き換えられたのだ。


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