「余白」と「空間作り」
私は「余白」という言葉が大好きです。
座右の銘にしてもいいかもしれません。
西洋画では背景を綿密に描くことで化学的な目で空間を表現することが多かったのに対し、日本画では何も描かない余白で空間の遠さや広がりを表現された。という文献もあったりします。
不完全なものこそ美しいと思いますし、侘び寂びや余白があるものにとてつもなく惹かれるのです。
限られた部屋のスペースを使って空間をうまく使っている人たちは、引き算がとても上手いという共通点に気づきました。
人だってそう。
心がいっぱいいっぱいで過ごすより、気持ちに余裕がある状態で過ごす方がいいでしょう。
完璧すぎて隙がない人よりも近づきやすいでしょう。
常に「余白」を意識して過ごしていくと、いつも見ている景色とは違う景色が広がってくるんではないでしょうか。
例えば、広い部屋に引っ越したときに、その部屋の空間の隙間を埋めようと家具や小物を買ってレイアウトするあまり、空間がぎゅうぎゅうになってしまって「余白」からはずいぶん離れた部屋になってしまったとか。
(多くの物に囲まれた空間の方が落ち着くという気持ちもわかりますが、ここでは省略)
そんな部屋でずっと暮らしていくと、情報過多で少し疲れるかもしれませんね...。
頭の中をスッキリさせるためにも、情報は少ない方が良いです。
社会人になり実家から離れて、ライフスタイルの自由度も増して選択肢がグッと広がりました。最近、建築家の設計デザインや身近なSNSでこの人のライフスタイル素敵だな...と思ったら真似できるものはないか、など、空間の「創り方」「過ごし方」「使い方」を隅々まで見て、今の生活水準とも照らし合わせながら落とし込めるものは実践し、トライアンドエラーを繰り返しています。
最近では、横山大観などの「日本画」や千利休などが活躍した時代の「茶室」が作られた時代の文献や資料も参考にしています。実際に、日本画が展示されている美術館などに行き、その人の生い立ちや考えまで深掘りすると結構面白いです。
一見「絵」と「暮らし」はかけ離れていそうですが、絵画も真っ白なキャンパスを全て埋めるのではなく、メインはどこに書こうか、どこに余白を作ろうか、などの足し引は共通するものがあると思っています。
作りたい空間がマンネリ化したり、思い詰まったら、違うジャンルのものから取り入れると意外な発見があるかもしれません。
空間作りにおいて何が正解などはありませんが、家にずっと居たくなるような部屋は理想であり、目標です。
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