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同じ言葉でも、コミュニティによってとらえ方が変わる話。

このまま何もせずに死ぬんかな

今週、私が職場で喋った中で一番インパクトがあった言葉です。

とくにめちゃめちゃ落ち込んでいたり、大失敗をやらかしたわけでもないんですが、久しぶりに突っ込んだ話ができる人から内線電話があり、「最近どう?」なんて話から、そんな言葉が飛び出ていました。
言った自分もビックリです。
(相手はもっとビックリしとるわ)

案の定、気軽に聞いたはずの電話相手があわててまして、なにかあったのかと問いただされましたが、すぐそばにいる上司と仕事でやりあって突発性難聴と不眠とうつ病を併発して1年半がすぎたところだとは一応言えないので(一応なのか)、どう返事するか頭をこねくり回していたら、明後日な言葉がやってきました。

心配すんなよ、いつか妻と離婚したら結婚してやるから

なんだろ、猛烈に多方面からモヤモヤする励ましだな、と。
冗談で言ってるのはわかっているので、セクハラだとかは思いませんが、いやなんで上からだよ、と。
さらに、私をわかってるつもりになってこの発言なのか、とカチンときたので「そういうことじゃない」と強めに言っておきました。

電話を切った後、仕事をしながら今の会話を無意識に反芻して、ふと気づきました。
独身アラフォー女性の悩み=結婚、出産、寂しさだ、と思うんだと。

うちは保守of the 保守の職場だから、きちんと仕事をしている男性から見れば、40代女性は結婚しているのが普通なんでしょうね。
女性の正職員さんたちは、結婚・出産しても辞めることはなく、1年くらいの産休で戻ってきます。
そして、着実に仕事でも家庭でもキャリアを積んで、確かな社会の歯車になっています。(社会の歯車って、今は悪い言葉じゃないですね)

私はその歯車からはずれた存在なんだと、改めて言われた気がしました。
でも、私が口をついて出た「このまま何もせずに死ぬんかな」という言葉は、妻でも母でもバリキャリ女子でもない自分に凹んで出た言葉ではありません。(バリキャリじゃない、はあるか)

今の仕事も「(仮)」なのにもう16年目になって、自分が勉強してきたデザインやコピーがからんだ仕事も少しできて、仕事をしている実感がありました。
周りも、私が生き生きしていると感じていたと思います。
大っ嫌いな電話対応と抱き合わせだったけど、それを我慢できるくらい楽しめる仕事でした。

じゃぁ、それが本当にやりたいことだったかというと、違います。
私は文章で自分を食わせていきたい、という子供の頃からの野望があったはず。
それを職場の人にはほとんど話していないし、興味があるようなフリもしていなかったな、と思いました。
だから、「このまま何もせずに死ぬんかな」という私のつぶやきが、自分のやりたいことを仕事にしないまま死ぬんかな、だとは電話の相手は思わなかったんですね。
なんか変な方向に反省しました。

このつぶやきを私が所属する古本市のスタッフ仲間たちに言ったらどうだったでしょう。
具体的にどうしたらいいかとか、こんな勉強方法もあるとか、そのつぶやきを文章化や物語化しなさいよとか、ボスや仲間たちから仕事や生き方についてのアドバイスが飛んできたんじゃないかなと思います。
(※うちの古本市スタッフは、主宰をボスと呼んでいます・笑)
何となくですが、このつぶやきで「結婚・出産」には結びつかなかったと思うのです。

自分が身を置く場所で、ちょっとしたつぶやきでも返事が変わってくるんだろうな、とハッとしたので、思わずnoteに記録してしまいました。
誰に何を話し、どこで本来の自分を出すのか、自分が窮屈ではないコミュニティをどうしたら増やせるのかを考える必要がありそうです。

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