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ショートショート013『それは世界に3人だけのマスターズ・ブレンド』(2杯目)

「大ちゃん、マスターズ・ブレンド、まだ?」
開店前だというのに、子供の頃のニックネームで私を呼んで、催促してくる。ここではマスターと呼んで欲しいのに、困った友人だ。
「お。大ちゃん、資格取れたんだ! おめでとう」
うむ、と私は返事の代わりにうなづいた。
「大ちゃんはさぁ、これだけコーヒーに詳しかったら、モテるよね」
友人がカウンターにだらしなく寄りかかりながら、見上げてくる。
しかし、コーヒーでモテるって、なんだ?
「なぁ、大ちゃん。モテるコーヒー出してよ」
私は友人を見つめてから、思い切り眉をしかめた。
「お、怒るなよ。だってさぁ、ぜーんぜんカノジョできなんだよ」
ハーっと声にならない声を出し始めた友人は放っておいて、私はマスターズ・ブレンドを淹れることにした。

バットの豆に目を落とす。すると……
ぐわっと焙煎の時よりも強い香りが広がった。バットの中の豆から漂っている。
私は無意識に豆を拾い上げ、挽き、マスターズ・ブレンドを淹れた。
めそめそしている友人の前に差し出す。
「ありがと」
友人はカップに口をつけると、一瞬目を大きく見開いてから、一気に飲みきった。
先ほどの女性と同じようだ。
「なんか、すげー旨い! 前よりもめっちゃ旨い!」
語彙力が無ぇと嘆きながら、友人はカップを置いた。
「やっぱり資格取ると、格段に違うのかな? 大ちゃん、すげえな!」
とキラキラした目でこちらを見つめてくる。
だから、ブレンドはいつもと一緒の豆なんだよ。そのはず、なんだが……。

ふいに、友人のスマホが鳴った。
何度も何度も鳴っている。LINEのようだ。
「あれ、ミナからだ。カナコからも来てる。アイちゃんからも。おぉ⁉︎ 超絶美女のカオルさんからもメシのお誘いが! なんだこれ?」
友人がまた私の顔をまじまじと見つめてくる。私に聞かれても困る。

私が友人に手を振ると、ものすごく真面目な顔をして一つうなづいた。
彼はスマホを握りしめて店を飛び出していった。
あ、しまった。代金もらってないじゃないか。
次に来た時は、資格取得のお祝い代も追加して会計してやろう。

数日後。
友人が満面の笑みでやってきた。
「いやぁ、ありがとう。あのコーヒー飲んだ瞬間、めっちゃモテ出して、今度またメシ行く約束したんだ。ミナとカナコとアイちゃんとカオルさん、それぞれと」
最後にハートマークが見えそうな話しぶりだった。
「すげえよ、大ちゃん。やっぱり資格持つと、そんなこともできるんだな!」
そんなわけない。
「そんな渋い顔すんなよ〜。あれだろ、大ちゃんも自分で入れて飲んでるんだろ?」
友人は、ニマニマと悪い顔をしている。
彼にコーヒーかすを塗ったくってやりたくなったが、私はふうっと一息吐いて、マスターズ・ブレンドの豆の選別に取りかかった。
友人はいつまでも幸せそうにニヤニヤニマニマしていた。

私がこのブレンドを飲んでるかって?
飲んでいないさ。
なぜなら、私は豆の香りは世界一好きだが、コーヒーの味は苦手だからね。

< 了 >


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