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ショートショート002『ビブリオマンシー』

「びぶりおまんしー?」
普段よりワントーン高い声で、サトルが聞き返した。
「そう、ビブリオマンシー。書物占いのことでね、パッとページを開いたときに書かれている文章を見て、今日一日のこととか、これからのこととかを占うの」
「へー。カオルって意外と乙女なんだな」
「バリキャリだって、ちょっとしたことは占いに頼りたくなる時があるわよ。サトルだって大きな手術の時は、神棚にお祈りするじゃない?」
サトルは、そうだけどさーと独りごちながら、読み古されていそうな分厚い本を棚に戻した。

ふと焙煎した豆の香りが漂ってきた。カオルがコーヒーをドリップしている。いつもながら、いい香りだ。
(……いや、いつもと違う、か?)
カオルが白磁のコーヒーカップを2つ置いた。
スンスンと鼻をひくつかせて、サトルが言った。
「豆変えた?」
「豆? あぁ、そうなの。コーヒー豆のサブスクみたいなのがあって、3ヶ月ごとにブレンドが変わるのよ。今回は、えーとなんだったかなー」
カオルが立ち上がって、キッチンへ消えた。豆の袋を取りに行ったらしい。

サトルは手持ち無沙汰になって、もう一度カオルの本棚からビブリオマンシーを取り出した。
ペラペラと開いてみる。
版画のような絵柄に、短い詩のような文章だったり、格言のような言葉だったりが書かれている。
ここからカオルは何を読み取っているのだろう。
何度かチャレンジしてみると、癖になっているのか、3回に1回くらいの割合で同じページが開く。
きっとカオルはこのページに書かれていることを大事にしているんだろう。
「乙女なカオルを覗いてやれ」

『三月(みつき)に一度くらい、新しいことにチャレンジしてみてごらん。ガラリと自分が変わって、新しい魅力が開花するよ』

「だからコーヒー豆のサブスクか」
ニヤリと笑って、サトルがカップに口をつける。
「お。前のよりも美味しいかも」
サトルはあっという間に飲み干してしまった。そして、気づくと、コーヒーカップを倒し、自分もソファーに倒れていた。
(視界が……ぼやける。なんだ? 脳梗塞か?)

紗のかかった視界をめぐらすと、カオルがコーヒー豆の袋を手に見下ろしていた。
ゆっくり袋を床に置くと、今度は開かれたビブリオマンシーを手に取った。
「あぁ、見つけたのか」
その声はカオルの美しい声ではなかった。低く、はっきりとした、男でも憧れる甘い声だった。
「このページ、一番大事にしてるんだ、子供の頃から」
「ど、どういうことなん、だ。男、だったの、か? この3ヶ月、ずっと騙して、い、いたのか⁉︎」
ゆっくりなら声も出るようだ。脳梗塞ではないが、何を入れられたのか。サトルは医者だが、それはわからなかった。
「ねぇ、サトル」
重い頭を上げて、カオルを見た。低く甘い声でカオルが言う。
「三月(みつき)に一度くらい、新しいことにチャレンジしてみてごらん。ガラリと自分が変わって、新しい魅力が開花するよ。……ねぇ、サトル。わたし、開花したかしら?」
はっきり見えないはずなのに、サトルの目に映る彼女のような彼は、海に映る月の道のように、そのままで美しかった。

<了>

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