見出し画像

自由民権サロン・上田家の醤油事業がなぜダメになったのか。。。自由主義✨を貫こうとしたから?!。。。ふるさと探求講座に参加してR5.1.14

以前から溝の口の自由民権家、上田忠一郎氏のことは本などで調べたりしていた。

史跡散歩ツアーなども企画した。だけど、明治初期、隆盛を極めた上田家の醤油事業がなぜその後、廃業に追い込まれたのか、については調べようがなく、分からなかった。

そんな折、地元の大山街道ふるさと館で開催された「ふるさと探求講座」第4回「明示時代、上田家の醤油醸造業」講師 落合功 氏 (青山学院大学)に参加した。落合氏は塩の歴史の専門家。川崎市の小学校をご出身のご縁が。

受講して、様々な疑問がかなり明らかになった気がした。

落合氏は、経済の面から醤油醸造業の歴史や、業界の仕組みなどを解説され、その中で上田家の醤油事業がどのように対処していったか、をお話してくださった。

私の感想をざっくりまとめると、次のようになる。

①醤油業界の歴史。特に東京において。


調味料として欠かせない醤油は、塩のように専売にはならなかったが、組合※1と会社※2と個人商店※3のそれぞれの思惑があり、時代が求める商売(流通)が成功の道を作っていった。醤油業界は、現在も、大手だけでなく、地場醤油(例:群馬 正田醤油)も根強い。
 ※1 東京醤油問屋組合=価格、販売網、小売店加盟
 ※2 東京醤油会社=野田組が旗振り。問屋組合と製造業者との仲介役
 ※3 上田家の醤油=江戸(東京府)の小売店と直接商売する
 

②上田家の醤油は、個人商店としての自由な販売網、料金設定などにこだわった。

 神奈川県人でありながら東京(江戸)に近いという利点を生かした。それで逆に、横浜などの協力は得られにくかった。また、上田家は、忠一郎氏自身は家業を継いではいないが、自由民権家のサロンでもあったので、当時としては改革的なエネルギーが満ちていて、保守的な組織にはなじまなかったのかもしれない。

③醤油事業の歴史を、現代にあてはめて聞いた。


江戸から明治にかけては、ある程度の規制や価格統制などを行う組合が、醤油業界を広げつつ、バランサーを務める必要性があったのだろう。
上田家は個人商店の自由な商売を、この時代に合わせて転換しきれなかったのだろう。
1960年代のダイエーの流通革命、は、昭和の高度経済成長時に、規制がいまほどではなく、大成功を収めた。
しかし、バブル崩壊後、平成にかけて失われた30年は規制が増え続け、増税が続き、経済が低迷している。
今こそ、上田家の醤油事業がそうだったように、傑出した個人事業主や中小企業の自由な経済活動が盛んになることが、経済が活性化する時代になったのではないだろうか。

質疑応答タイム🎤


講師の落合先生に、自由経済と統制経済、どっちがよいか?とい
うムチャぶりな質問をしてみた笑

先生は、日本に合ったバランスが大事だ、とのこと。

先生は、塩事業センター(元専売公社)でアドバイザーをされている。
であれば、全面的に自由主義経済を推さないだろうとは思っていた。
「アメリカは自由経済といいながら、日本企業の台頭を許さなかったりして、保護主義的なことをやったりしている」
「あまり自由過ぎて過剰な農薬が入らないようにコントロールすることが大事だ」
参政党の方が聞いたら喜びそうだなぁ笑
「自由」の意味が、アメリカの例にしろ、農薬の例にしろ、
誤解を生む言葉として捉えられているお話だなぁと思った。
自由主義経済陣営が主張する「自由」が、なるべく誤解少なく、伝わる説明の仕方がないかなぁと思う。
とりあえず、商人道「三方良し」のことだよ、というところかなぁ。。。

上田家の醤油事業がダメになったのは、「時代の最先端を行き過ぎていて、時代に合わすことができなかったからだと思いました」と申し上げたところ、先生が初めて「上田家は自由民権家でしたから、そういうこともあったかもしれません」と仰いました。そのとき、参加者の中から一部、「おお!」というどよめきが起きました。

落合先生には、会終了後もそれ以上はご質問することはなく、
そのまま会場をあとにしました。
貴重なレジュメと資料もゲットしました!とても勉強になりました!
ふわふわ感謝です💕

減税あやさん💛


よろしければサポートをお願いいたします!行政研究、地域の活動へ生かして参ります💕