「あのとき」の5,000円

この前、かわいいなって思ったTシャツがあって。値段を見たら5,000円だった。その気になれば、いや、ならなくても手に入るくらいの価格帯である「5,000円」。これは私にとってちょっと特別な金額だったりする。

今日は、そんな「あのとき」の5,000円の話。

小学校1.2年くらいの頃だろうか。ママが泣いた後であろう顔をむけながら「今から家でるから」と言ってきた。当時はもうパパはおらず、おばあちゃんとおじいちゃんと暮らしていた。

「家を出る」といっても「ちょっと出かける」くらいのノリかなって思っていたけど、雰囲気的にどうやら違うらしい。いわゆるマジもんの家出。直前までママとおばあちゃんは何やら言い争っていたから、それが原因だろう。子どもながらに理由をしつこく聞くのはマズいと感じていたから、空気を読んで何も言わずに支度をした。

ママが運転する車の助手席に座る。ちょうど夕飯どきだったから、何か食べ物を買おうかとスーパーに立ち寄った。

そのときママは
「今、お財布に5,000円あるからね」
と言ってきた。

今でも鮮明に覚えている。ちょっと無理して笑顔を作りながら、確かにそう言った。そしてこれはおそらく、ママの全財産だった。

「5,000円もあるの!?何食べよっかなー」
と恥ずかしくなるくらいめでたい考えの私。たしか500円くらいのカツ丼にした気がする。私としてはかなりの豪遊だった。

ご飯を食べ終え、眠たくなってくる。どっかに泊まるのかなーなんて考えていたけど、ふと、気づいた。

5,000円じゃどこも泊まれない…?

正確には夜ご飯代を抜いて4,000円もないくらい。なんだか急に現実へと戻された気がした。

超ボロい安宿なら泊まれるかもしれないが、それだと明日にはご飯も買えない。宿をとるか、飯をとるか。まさに人類にとって究極の選択である。お金がないことがこんなにも苦しいのか、と胸がギュッとなる寂しさを覚えたと同時に、まだお金も稼げない子どもなのにも関わらず、なぜか悔しいという感情が込み上げた瞬間だった。

今思えば、ママはわたしに「5,000円あるからね」とは言ったものの、「5,000円しかないからね」とは言っていない。「これしかお金がないんだ」と子どもに思わせない優しさともとれなくはないが、私はその厳しい現実を隠される残酷さの方を強く感じた。

結局、その日は家の近くのデカい公園の駐車場で車中泊した。そして翌朝には家に帰るという、家出と言っていいのかくらいのプチ家出は終了したのだ。(どうやっておばあちゃんと和解したかは不明)。

私はこの出来事で、
「生きていくにはそこそこのお金が必要なこと」
「お金は自分だけじゃなく、大切な人を守る手段になること」
「子どもにもお金の価値や家の経済状況は伝えるべきであること(あくまで個人的な意見です)」
を身をもって実感したし、大人になったら絶対にたくさん稼いでやろうと思った。

現在はフリーランスになり、ありがたいことに多くのお仕事をいただいている。結婚して、子どもが2人いても自分たちの理想の暮らしができるくらいにはなれた。そうやって5,000円くらいのものはぽんっと変えるようになっても、「あのとき」の5,000円で感じたなんともいえない寂しさと悔しさは忘れたことがない。

よく「お金よりも大切なものがある」というけど、それは満足するくらいのお金を稼げてから初めて思えること。私も今でこそお金よりも大切なものはあると思っているけど、高校生くらいまでは本気でお金が全てだと思っていたし。

そんなこんなで、「あのとき」の5,000円があったから、今の自分があるのかもなぁ。なんて考えると、縁を切った親にも少しは感謝できるかもしれない。

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