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タイムマシンがあったら、アインシュタインにありがとうを言いたい

言葉に人生を動かされた瞬間は数知れない。わたしにとってそのひとつは、かの有名な物理学者、アインシュタインが残したこの言葉だ。

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」

ガチガチの「常識」に囚われすぎて、非常に狭い世界を生きていた私は、23歳の頃に出会ったこの言葉に救われたといっても過言ではない。自分の常識が文字通りぶっ壊れたことで、かなり生きやすくなった。新しい自分が開放されたような感じだ。

だれも興味がないかもしれないが、私の「18歳までに身につけた偏見のコレクション」と人生激変エピソードを2つ紹介したい。

①何があっても親(身内)は助けるもの

私は、実親と縁を切っている。精神的支配と金銭面でのいざこざが原因なのだけど、この決断をするまでかなり苦しんだ。「親は見捨てちゃダメ」「身内は助けるもの」という考えに囚われ過ぎていたのだ。結婚後も誰かに生き方を支配されているような窮屈さを感じていた。

でも、「親(身内)でも助けたいと思わなければ助けなくて良いし、自分の人生は自分のもの」という認識に変わったのは本当に良かったと思う。誰に冷たいと後ろ指を刺されようが、この決断を後悔したことはない。

同じように親や身内の支配に苦しむ人に届けば良いなと思い、ひとつめに挙げてみた。

②大学は出ておくもの

これはちょっと語弊があるのだけど、「高卒でもオッケー!」って大学に行くことを否定しているわけではない。「特に勉強したいこともないけど、大学は出ておくべきだから行く」とか「大学在学中に別のことがやりたくなったけど、もったいないからとりあえず卒業する」とかはちょっと違うなって話(あくまで個人的に)

私は卒業2ヶ月前に大学を電撃中退している(電撃中退ってなんだ)。卒業後の未来が「なんか違うな」って思ってから、浪人してまで行った大学を急に辞めたくなった。というか、辞めなきゃと思った。そして、他にやりたいこともできた。周囲は「もったいない」とか「なんで今」って言っていたけど、やりたくないことをして生きるほど私の人生は暇じゃないなって思って。

そこからは一瞬。「違うな」って思ってからわずか1週間で、私は大学を辞めた。そこから時代もライフスタイルも家族体系も変化したけど、結果的にめちゃくちゃ幸せだ。私にとって大学中退は、「人生最大にして最高の選択」だと胸を張って言える。

「大学は出ておくべき」という常識から解放されたおかげ。もちろん、大学に行くことを否定しないし、私もめちゃくちゃ学んで専門性を身につけたいことがあれば何歳になっても行きたいと思っている。


常識=ただの偏見という、「たしかにぃ〜!」感満載の名言を残してくれたアインシュタインと、この2大偏見コレクションを打ち砕いた自分の決断に感謝したい。

ありがとう、アインシュタイン。
ありがとう、あのときの自分。

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