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アダルトチルドレンである自分の、代替対決~はじめに~

書こうと思った理由は、自分の中の思いや記憶を整理するためもあるんだと思います。

現在46歳の私は、今に至るまで、きちんとこの件に向き合うことができなかったからです。
こうして書いている今も、何かに追われるように指は動くのに、鼻水たらして、泣きながら書いているんです。吐き気もすごくて、唾を飲み込みながら。

20年以上前ですが、カウンセリングを受けたこともあります。
ですが、「次はお母様と一緒に来てください」と言われて、もう行けなくなりました。

母に怒られるのが怖かったからです。

精神科「なんか」に行く弱い私を知られたくなかったからです。

「なんか」というのは、母が口癖のように言う言葉で、私はこの言葉が大嫌いです。
友達なんか、学歴なんか、女なんか、勉強なんか、化粧なんか……。
「そんなものなんか何の価値があるんだ」
母は自分の認める以外の価値観を受け入れないだけでなく、尤もらしい理由をつけて悪し様に罵る人でした。
そして幼い私に言うのです。
「お前もそう思うでしょう?」と。
そのほとんどが、私が大事に思うものばかりだったというのに。

子供にとって母親の影響力は、神のごとき絶対感があります。
今はもう、母はあの言葉たちを、羽のごとき軽さで私になげかけていたのだろうと理解しています。
私はその一つ一つを、大岩のような重さとして受け止めていたのですが。

それの証拠に、最近は真逆のことを言っては「前から私はこういう意見だから」と胸を張るのですから。

だから今ここに書くことは、つまりは46年間私が言うことのできなかった、母への一方的な恨み節なのです。

つい先日まで、私は母への思いを、自分の二人の子供たちとだけしか共有できませんでした。
私と子供たちにとって、母のことは、外へ出してはいけない秘密として、大事に抱え込んできた傷だったのです。

私の子供たちも母の被害者となっていました。

しつけ、愛情、教育。
良かれと思っていれば、親であれば、この言葉の下に正当化されるとばかりに、それは家庭という密室内で堂々となされてきたのです。

「この子たちの将来を思ったら、少しぐらい厳しくしないとね。私は恨まれてもいいのよ」
他人にそう言ってからりと笑う母の言葉を、私がどんな思いで聞いていたのか、母は今も知らないのです。
「いいお母さんね」
と言われるたびに、吐き気を抑えながら、私は言うのです。
「両親を尊敬しています」

嘘ではありませんが、本心でもありませんでした。

母は、外では完璧な良妻賢母で、主婦の鑑として評判だったのですから。
外で評価されている母に、日々心を殺され続ける私は……私のほうが「悪い子」なのです。
そんな素晴らしい母を断罪するなんてできませんでした。
母を傷つけることもできませんでした。
どんな目にあっても、母を憎めない子供の業なのでしょうか。
そもそも私に反抗するという選択肢がなかったのです。

私はこれを書くことで、私から母を自立させようと思っています。
一人っ子の私に、母が多分に依存していることも、考えることを放棄した私が、そんな母の言葉たちに依存していたことも、今では理解しています。
年老いた母を見て、やっと母からの影響力が弱まったことを実感できた私は、ようやく母を個人として切り離そうと思うことができたのです。

母の意向で、ずっとすぐ近くで暮らし、母の望むように人生を選びつつ、こそこそ隠れて自分のやりたいことをして、なんとか自分を保ってきました。

選んだのは私。それも間違いありません。

この年になっても人のせいにするのかと思われもするでしょう。
ですが、この呪縛はそれほど強く重く、私を苛んできたのです。

これから書くであろう数々のエピソードの中には、フィクションを疑う方もおられるでしょう。
その時の私の心情を、大げさだ、甘えだ、考えすぎだ、逃げればいいじゃないかと思われるかもしれません。
でも私は、この「逃げる」という選択肢すら、つい数週間前に子供たちと、とある方たちのおかげで、やっと学べたばかりでして。

結果この逃げるという選択肢に気づけたことが、今こうして私に「書く」戦いへの勇気につながりました。

これは直接母と対決することを望まない私の、代替対決なのです。
おそらくゆっくりなペースでしょうが、もしよろしければ、文字の上で戦う私を、見守っていただければと思います。

私の実体験ではあるものの、内容がちょっと過激なものが多いので、有料記事にさせてもらいます。
全て実際に会ったことではありますが、いくつかはほとんど事件なので…。

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綾子
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