今流行りのWell-beingって何やねん?と思っていたら自分なりの納得解が見つかったカモ
最近、あちこちで「Well-being」というワードを聞く。みんな事あるごとに「ウェルビーイングな〜」と言う。教育や地域づくり、コーチングを生業にしている私も、もれなくそんな言葉に毎日出会うし、自分も使っていたりもする。でも極力使わないようにしていたりもする。
なぜかって言うと、なんかとっても大事なことをすっとばして、何でもかんでも「Well-being」って言葉で片付けてしまっているように感じるから。
だからこのワードにとっても抵抗感を覚える。(こうしたワードが世に広まり出したことはとっても良いとは思っている)
それに「Well-being」といってもそれが何かを説明できないし、私が思うそれと、隣のあなたが思うそれと、目の前にいるあなたが思うそれが、みんな違うし、みんな言葉で表せないし、説明しようにもなんかみんなムニャムニャ言うし、、、だから一体何なの?ってずっと思っている。
とはいえ、仲間内でこれは一体何なんだ?なんて議論もよくしているが、その時間はとても楽しい。
「Well-being」は訳語として、「幸福」「幸せ」なんて言われたりもする。
そんな感じで派生して、先日、「幸せ」とは何かを仲間と話していた。
その時に妙にしっくり、ストン。と自分の中でこれだー!となった。
というか、自分の意思や思考とは関係なく(は言い過ぎだけど..勝手に)話し出していた。
その時の内容を記録しておこうと思う。
その時咄嗟にわーーーっと話していたことを要約するとこんな感じ。なんだい。「Well-being」じゃなくて「幸せ」かい。というのは置いておいて。
この時の気づきとして、
自分にとっての「幸せ」って何か大きな大それたものではなく、小さなものがたくさん集まっている感じ
どんなに幸せに感じることができても、そういう状態にあれても、それが自分1人では、感じる幸せは瞬間的で、後に孤独を感じる
幸せは分かちあえた時にそれを心から味わえる
人と共有できれば良いって訳ではなく、分かち合いたいと思う人と分かち合えるということがポイント
そしてこれを書いていて追加したくなった。
これは絶対に幸せを感じるキーワードだと思うことがある。
私が日常で、どんな状況下でも、必ず幸せを感じられるのは、自然と向き合った時。私はたいてい海に行く。空と海と太陽を見ていれば、どんなことがあっても、例えその時だけであっても、一旦幸せを手に入れることができる。その点、単純な人間で良かったなってよく思う。
何だか言語化してみると、自分を幸せにするために出来ることっていろいろある気がしてくる。また明日には言ってること変わるかもしれない。
自分にとっての幸せを探究し続けながら、気づいた時にまた記録していこう。
そして、教育や地域づくりに携わる者として、
「あなたにとっての幸せって何ですか?」を即答できる人たちを社会に増やしたい。そんな人が溢れる地域が、「Well-beingな地域」への一歩な気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?