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わたしは小学何年生?

ひさしぶりに恥ずかしかった。

小学生の頃、自分で物語をつくるという授業があった。

名前は伏せて先生がみんなの書いた物語を読み、クラスで1番面白かった物語3つと1番面白くなかった物語3つを選ぶ投票をした。あんまり浮かばず適当に描いた物語。つまらない方に選ばれ自分でもつまらないとわかっていたのに、改めてみんなからもつまらないと評価されると中途半端な自分の全てが恥ずかしく、黒板に書き出されたつまらない票の集まるタイトルを見ていた。

言葉の企画2回目、わたしの考えた企画はうわべだけのものだった。そしてこの恥ずかしささんに何十年ぶりくらいに再会してしまった。会いたくなかった。

阿部さんに会うのも気がひけるのに、当日の朝、崎陽軒付近で遭遇してしまい、勝手に気まずい。もし悔いなき企画書を出せていたら、一緒に会場まで歩けただろうに、勝手に申し訳なく、挨拶だけで精一杯。挨拶ではなく謝りたい気持ち。

求められていない状態で無茶苦茶なエネルギーを出すこと

阿部さんが見せてくれた今までの企画書や企画になるまでの道筋。求められていないのに、クリスマスも年越しもお正月も、ずっと考えていたこと。

そしてそれが形になるまで。

なんだろう、すごい狂気だった。

2014年クリープハイプの撮影でわたしは阿部さんと出会った。どんな撮影でも打ち合わせの時に企画に至る経緯を細かく聞くことはないので、なんと!こんなに!思いが巡って自分のところにやってきていたことに驚く。どうやって撮影しようかずっと考えていたことを思い出す。アイデアがひらめいた時のことを思い出す。当日のことを思いだす。色々思い出す。暑さともらった言葉を思い出す。

講義中、阿部さんが『彩さんに撮ってもらいました。』と言って目が合う。

阿部さんわたしの企画書を見てがっかりしたのにすみませんと思う。

求められた時には出せた無茶苦茶なエネルギー

求められていない時には出せなかった。

全部見せて伝えてくれたことの真意はなんだろう。


恥ずかしさは御守りにして封印したい。

阿部山登頂への道はまだまだ遠い。













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