友情を育む

うちの子は、小さな頃は人見知りなく2、3歳くらいまでは活発にしていましたが

自我が芽生え、よく知らない人や場所には緊張感があるのか、3歳児検診の時は会場で発した語は「アンパンマン」だけでした。

さっそく役場から発達支援センターへの通所をと連絡がきたくらい。

人見知りを覚えたうちの子は、それのおかげか心許せる気のおけないお友達をみつけるのが上手な子になりました。

0歳児から就学前までお世話になった保育園では、進級する度に、クラス替えで仲良しのお友だちがいなくなったクラスに慣れるのに、時間を費やしていましたが

誰と仲良くしていいのかわからないという不安の中で、できる友達や友情は確かなものだったようで、この子なりのお友だちの見極めや仲良くなる過程のようなことを味わっているように思いました。

年長さんのクラスで仲良くなった子は小学校にあがり、別の学校だったけれど、たまに遊ぶことができて、そうしてパパの転勤で遠くに引っ越してしまいました。

それでもあの不安な年長さんのクラスで、少しづつ距離を縮めて仲良くなった二人には絆ができていたのだと思います。

その子がパパの用事もあり、少しだけこちらに帰ってきたとき、もっと遊びたかったと。春休みになったらいこうねという約束を、今日果たしてきました。

片道車で5時間程かかる遠距離。ママの仕事の都合で日帰りでしたが、数時間遊ぶことができて、お別れはやはり辛いものになりました。

離れていても、心の通う友の存在は格別です。それは大人のわたしたちだってそう。

たまにしか会えないけれど、信頼ある友の存在は力をくれる。



最近思うのは、大人も子どももマインドは一緒。そこを基軸に成長曲線を描く。

マインドの部分は軸となってあり、そこに何か重なりあう人と出会ってはぐくまれるのが友情なのかもしれない。

無理をしたり合わせたりして作られるものではないのかもしれない。

そして、ある先生がおっしゃっていたのが、辛かや悲しみが同じという共通項のある人と共鳴したり思いが重なるという関係性があるともいう。


悲しみの共通項、それは立派に共鳴するのかもしれない。



小さな可愛い7歳さんたちに育まれた友情は、普段身近にいるお友だちもありつつで、これからも育まれてゆくのだと思いますし、そうしてあげたいと思います。

二人がどのような会話をし、思いがあるのかはすでに大人のわたしにも想像がつきませんが、二人のことを縁を切らずに結んでいてあげたいと思うのです。


それはたぶん、お友だちのママの大きな優しさの眼差しのおかげ。

子どもをとおして、こんな優しい人と接することができるわたしも幸せを感じます。


育む。種をまき水をやりお世話をする。人間関係にもそれは言える。

仲良くしようと思うから仲良くなれる。全ての人ではなく、大事と思う人に向けて育みたい関係を作る。


それは全員じゃなくていい。仲良くするということと好かれたいということは、違う。子どものほうがそれは純粋にみてとれる。

子どもが大事にと思う関係をママも大事にしてあげよう。




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