私の「音楽論」
少し厳しい話になります。
「強い持論」「信念」を展開しますので、
ご了承の上、お読みください。
どうしても、「言語を勉強せずに音楽をやる」という感覚が分かりません。
ミュージシャンとして尊敬することができませんし、
ブラジル音楽に限らず「この人の音楽は聴けない」と感じてしまいます。
単純に「歌詞の意味を調べる」ということではありません。
言語がもたらす音楽への影響をどうして考えないのか。
それが原因でご自身の才能が発揮できない可能性もありますし、
間違った音楽を届けてしまうかもしれないし、
多くのリスクを含んでいます。
ミュージシャンであれば、全ての可能性を取り入れるはずですし、
その上で、その音楽ジャンルに没頭していくはずです。
(例えば「サンバ風」など、「〜風」の場合はまた別です。)
発音の綺麗さに関しても、
音楽以前に発音の修正が必要な方をたくさん見てきました。
(発音を直せば音楽が激変するのに、というジレンマを抱えながら。)
「英語の発音が綺麗な日本人の歌」
を聴くと感心しますし、感動します。
「英語ときちんと向き合っているんだな」と感じ、信頼できます。
どうしてポルトガル語ではその必然性を感じないのか、とても不思議に思います。
「音楽のために言語を学ばないといけないことを知らなかった、気付かなかった」
そういう方は、これから向き合っていくといいと思います。
「知らないことは罪」という言葉がありますが、知った後も放置する方が重罪だと考えます。
「言葉を学ぶ必要がない」
そう思っている方は、どうしてそう考えるのでしょう。
・音楽には必要ないから
・言葉を学ぶ時間を音楽に費やしたいから
・ブラジル音楽の場合は間違っていても気づく人は少ないから
様々な可能性が考えられますが、
音楽のことを蔑ろにしているように感じます。
これらは、「自分たちが一番」というスタンスです。
・歌や演奏をやっている/上手な自分を見てほしい
・音楽をやっているとかっこいい
・珍しいジャンルだとライバルがいないし目立つ
心の奥底に隠れている本心にこのような言葉があるのであれば、
音楽は、自分の欲求を満たすための道具です。
自分が上で、音楽は下です。
「才能を表現するツールだ」
そうかもしれません。
でしたら、「自分の才能を使うために音楽を使わせていただいている」という気持ちにはならないのでしょうか。
自分自身、この身ひとつだけでは、才能を発揮することはできません。
しかし、音楽があれば、自分を輝かせることができます。
音楽がなければ、ただの「人」です。
音楽のおかげで自分を輝かせることができ、幸せな気持ちになり、
たくさんの人にも楽しみを与えてあげることができるのです。
これは「自分の力」ではなく、「音楽の力」です。
そこに「自分の才能」や「情熱」を注ぐことによって、「音楽の力」が増したり、個性が加わって更に魅力的になったりするのです。
これが「才能を表現するツール」である音楽の本質だと思います。
その音楽に携わるのであれば、隅から隅まで知りたくてウズウズするはずです。
それが「音楽が大好き」「音を楽しむ」ということではないでしょうか。
私はミュージシャンではありませんが、
言語学や音声学に関する資料や記事があれば、
無意識に血眼で飛びつきます。
本屋さんでは興奮して、いつも汗だくです。
新しい発見があって驚くこともありますし、読んでいてとても楽しいです。
「プロ」は、そういう資質が根底にある方がなっていくものだと思いますし、
そういう情熱が見つけられないのであれば、もう一度向き合うことが必要だと感じます。
♡ ••┈いいね♡コメントいつもありがとうございます┈•• ♡
私のレッスンでは、
・発音矯正
・音声学に基づいた「日本語のクセ」と「ポル語の特徴」の解説
・「ポル語グルーヴ」のブラジル音楽への落とし込み方
などを教えています。
YouTubeでミニ講座を投稿している他、オンライン無料レッスンも行っています。
ご興味がある方は是非YouTubeチャンネルやHPをご覧ください.*˚✩
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꧁愛マリアンジェラ꧂
著書
『日常ポルトガル語会話ネイティブ表現』(出版: 語研)
※共著
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