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生きてこそ



今絶賛四日酔い。ようやくアルコールから解放されて身体を労ることが出来そうです。

先週末の3日間、私の働くキャバクラではハロウィンイベントが執り行われました。
店内もハロウィン仕様に装飾され雰囲気も一変します。
紫やオレンジの風船が散りばめられていて、コウモリや蜘蛛の風船がぶら下がっていて。
女の子たちも各々が好きな仮装をしていました。
OLさんやミニスカポリスやチャイナ服、女子高生や巫女さんや、他にも沢山。
普段にも増して可愛らしい姿に思わず笑顔になり、黒服さんたちのコスプレ姿にはお腹の底から笑いが溢れました。
紙皿を頭に乗せて甲羅を背負ったカッパが歩いていたり、白色の全身タイツにオムツを履いておしゃぶりを手に持つ赤ちゃんが居たり。
お客様のウケも大変良さそうでした。



しかしながらキャバクラのイベントというのは、みんなでお菓子を広げてジュースを片手に談笑するような和やかな会では決してありません。
個人の売上やシャンパンの本数が張り出され、成績として比較され、嫌でも人の輝かしい功績と自分の不甲斐なさとを突きつけられる、複雑な感情が交錯する場なのです。
お客様は来てくれるのだろうかと、1人待機席に取り残される不安や恐怖を考えるとセンチメンタルな気分にもなります。きっとイベントに苦手意識を持っているのは私だけじゃないはずです。
戦う意思も手持ちの武器もないのに戦場に駆り出されるのは心許ないのです。





そんな中で私は今回のイベントに恐らく人とは少し違う感情を持ち込んでいました。


度々noteにも書いているけれど、つい最近まで何も出来ない色のない日々を送っていた私です。
泣くか寝るか泣くか、泣くかの毎日でした。
ご飯が喉を通らない。空の青さが鬱陶しい。喜びの感情を忘れて、心まで痩せて空っぽになっていました。

わたしがまた生きることに希望を見出せたのは、ずっと寄り添い手を貸し歩いてくれたこのお店の店長が居たからです。
また働くことが出来るようになり、人と言葉を交わすことへの抵抗が無くなりました。


どれだけ救われてきたか、どれほどの恩を感じているかをひとつひとつ言葉にして並べればそれはかえって薄っぺらいものになりそうで、私のために向けられた言葉や、ぬくもりや優しさは私だけが知っていればいいじゃないかと大切にしまって開き直ることにしましたが、このお店の店長がとてつもなく人情味溢れる人だということはここに記しておきます。


いつも助けられていつも迷惑を掛けてしまう私だけど、少しずつでも恩を返していきたい。
それは店長だけではなくて、私の身を案じてくれる全てのひとにです。
計り知れないほどの恩を、返し切れるなんて到底思わないけれど、私がこのお店で働けて本当に良かったと思っているように、私を採用して良かった、大事にしてきてよかったと思ってもらいたいのです。


どうなるかと思っていたけれど、3日間全てにそれぞれ足を運んでくださるお客様たちが居ました。

少しずつ信頼関係を築いてきたお客様たちに、いつもよりわがままを言いました。
ランキングの上位に入りたいとか、目立ちたいとか、ちやほやされたいとか、そういう事ではなくて、むしろ私出来れば目立ちたくはないのですが、お客様には目立って欲しいしキラキラして欲しい。

絆が強くなっている感覚を掴んでいたから、もし仮にお願いを断られても切れることはないんだろうなと不思議と思えて、そのおかげですんなり口に出すことが出来ました。
そしてそんな私のお願いに二つ返事でいいよと返してくれました。
もちろん全員では無いのですが、全員のなんとなくの懐具合はこれまでに把握していたつもりだったので、この人なら大丈夫そう、この人は難しいかもしれないというのは事前に心得ていました。

私にとっては、それを口に出せる関係まで続いたひとたちがいるということこそが、自分の小さな成長を感じられて良かったのです。


私と出会ってキャバクラに通うようになったというお客様は、シャンパンを下ろす初体験にきっとどきどきしたはずです。
伝票を見るのが怖くなったでしょうし、明日からの節約を心に決めてくれたりもしたかもしれません。
自分の気持ちを先行させて、隣に居る人の楽しい気持ちを台無しにさせてしまっては良くないから、私も多少なりとも心配にはなりました。
けれど、その日が終わったあとにも翌日にも、返ってきた言葉は
「本当に楽しくて行って良かった」
という嬉しいものでした。

私はそれが本当に本当に嬉しかった。自分を褒めてあげてもいいような気さえしました。

ハロウィンに合わせてわざわざお菓子を手土産に持ってきてくれた方もいて、その心遣いに感動していました。
ほんとうに優しいお客様が多いね、飲み方が綺麗なお客様でしたねと周りに言われ、隣で見ている私は激しく頷くばかりです。



2日目を終えた時点の売上とシャンパンの本数が1番だったらしく、ランキングに載っていたねと声を掛けられて、すこしくすぐったい気持ちになりました。
私は何も持っていなくて、何もすごくありません。お客様がすごいです。
でも、やっぱり嬉しくてこっそり写真を撮ってしまいました。恥ずかしいです。


けれど、他の女の子のお客様が来れなかったり、色んな偶然が重なったことや、コンスタントに売上を作り続けているひとのほうが何倍も褒められるべきだということは重々承知していて、これで浮かれて舞い上がってしまうほど私は愚かじゃありません。
僅差でたまたま1番上に名前が書かれていたけれど、私はその次に書かれている人こそ1番になるべきだと思っていたので、今の自分にこの位置は似合わないなとどこかで感じていたし、その人に1番になってほしいとも願っていました。
最終日である3日目にその人がずらりとシャンパンを並べているのを見た時は本心で応援していました。
夏に浴衣のイベントがあった際に彼女は1番になっていて、ふたりになった時に
「○○さんが1番で私も嬉しかったです」と言うとおかしそうに笑っていました。
集計結果をまだ知らないけれど、恐らく今回も彼女が1番になったと思います。


ストイックにいつも数字と向き合い続けているのを知っています。自分に厳しくて、そのためにプライベートを削っていることも知っています。
私は入店してすぐの頃、彼女の接客に惚れ惚れして私もこんなふうになりたいと思ったのをよく覚えています。
周りを注意深く見ていて細かな気配りができて、持っている話題が豊富で、幅広い層の方に合わせた歌を数多く知っていますし、知らない曲があると次には覚えてきていたりします。
このnoteのタイトルは彼女から教わったKiroroの『生きてこそ』からとりました。とても大好きな曲になりました。
人の動きをみて何歩も先を読んでいて、私がしようと思ったときには全て彼女が済ませていたなんてこともありました。尊敬している人の一人です。


その人とあともう一人、1番が似合うなぁと思っている人が居て、その人はお誕生日に豪華なタワーがあったり毎月の売上上位の常連でもある人です。少ない出勤日数にも関わらずです。イベントに関係なくいつも高級シャンパンを飲んでいる圧倒的な存在感を放つお姉さんで、指名のお客様のお席に座っていることがほとんどの為、入店して間もない頃から一緒のお席に着くことは滅多になくて、はじめはどんな人なのか分からずただ遠目にすごい人がいるなぁと見ているだけでした。

今年の夏頃に系列の店舗も含めたBBQに行った際にゆっくり話す機会があって距離が近くなりました。
強い人だと思っていた彼女は実は繊細で触れると壊れてしまいそうな人でした。きっと彼女も色んな想いを抱えながら生きているのだろうなと最近思います。
お酒を飲まないと話せない口下手な面があることや、少し暗い歌詞に共感してしまうことも、勝手に自分を重ねて親近感が湧きました。



私が今回のイベントを頑張ろうと思えたのには、2人の影響を多分に受けています。

私はここ数ヶ月の間で、その尊敬しているお姉さんたちそれぞれのお客様の席で追加指名を頂けるようになりました。
私がお席に着いていないのを見かけると呼んでくれるのです。
アフターに一緒に連れて行ってくださることもあります。
2人とも毎回終わってから「いつもありがとうごめんね」と言ってくれるのですが、私こそいつも本当にありがとうございますと思っています。
お姉さんたちにも、当然お姉さんたちのお客様にも。


待機席に座っていると、自分が何も出来ていない現実を見つめなければならずおセンチな気持ちになりやすいです。
お席に呼んで頂けるようになり始めた時期は、ちょうど私が少しずつまた歩きだそうとしていた時期と重なります。
自分が少しでもなにか役に立てる機会をもらっていたようなものであり、そのおかげで必要以上に自分で自分を苦しめる時間が減り、余計な涙を流さずに済んだりもしました。


自然とお席以外で話す機会も増えて、ふたりの苦労を耳にする機会も増えました。


安定した結果の裏には、それ相応のお客様との人付き合いの積み重ねや配慮や時間があったのだと知りました。
それを側で見ていて、負けたくないと上を見続ける姿を見て、密かに心を震わせていたし色んなことを学んでいました。お手本のようなかっこいい背中をいつも見せてくれているふたりに心から感謝しています。



最近は少しずつまた長い時間働ける日が続いていて、イベント中も遅くまで出勤できました。
毎日酔っていてしっかり潰れてしんどかった日もあったけれど、有難いことだなと思っていました。


人生の価値が死ぬときに分かるのだとしたら、私のキャバクラ生活の価値も、最後の出勤日まで分からないはず、と思いたいです。
最後の日に、納得して自分を褒めてあげられるようにこれからも頑張りたいななんて、働くことそのものを目標としていた日々から、少しずつまた数字を見つめる気持ちが湧き上がり、きっと私なりに前進しているのだと思います。
自信は全くありません。いいことが続かないのもよく知っています。次はダメかもしれない。でも、手探りで覚束無いけれど、誰かのためだと思うと頑張れる気持ちを教えてくれた今の私の居場所に、感謝を形にして返していけたらいいな。












































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