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コーヒーと白湯、そして対立する世界

私は味がついた飲み物をあまり好まないので、よく白湯を飲む。コーヒーも好きだが、最近は年を取ったことっもあり睡眠に気を使っているため、夕方以降にカフェインを取ることを控えている。夕方以降に飲むものとしては、ハーブティーか白湯、要はお湯である。
人の家に呼ばれ、コーヒーと紅茶どちらが良いと聞かれた時に、お湯でと答えると、大体びっくりされるのだけども、ある時に白湯は健康にいいんだよねそんな記事を見たよという会話に繋がった。ただその記事では、白湯なんかで健康になるはずがないという反論のコメントも激しくついていたようで、人間はどうして何でも対立の構造に持ち込むんだねとそんな話をしていた。

お湯を飲むことはほぼコストもかからないし誰も傷つけるような行為ではないけれど、そこを激しく批判をする人もいる。おかしいよねとも思うがもしかすると健康食品を売ろうとしている人などにとっては、誰もが概ねコストかからず手に入れることができるお湯というものが健康に良い、なんて言われると、商売に関わってしまうのかもしれない。そんな風にも思った。

さらに思考を進めると、もっとこれに反論したくなる人の存在に気がついた。それはコストをかけて健康を維持してきた人たちである。コスト・お金・労力をかけた健康法を用いて健康を維持し続けてきて、そのコストのおかげで今自分が健康であると自負している人にとっては、白湯なんかで健康が維持できるという理屈には、我慢がならないのではないだろうか。
正しいとか正しくないとかそういう次元ではなく、自分がコストを払って今の状態を獲得した、そう信じている人にとっては新しく出てきた知識、それが手軽でシンプルであればあるほど、その理論に噛みつきたくなるのではないだろうか。そこまで 思うと 世の中の対立構造って、そういうことが多い気がする。

自分が獲得したものとその手段が正しいと信じて、それが広がることが良いことだと信じすぎてしまうと、違う側面の知識事実に腹が立ってしまう。私自身にも、そういうことがあるのかも。

とりあえず、私は飲み物を選ぶ時にただのお湯を選ぶことが多いけれども、別にそれで誰かと喧嘩をしたいとは全く思っていないので、皆さんよろしくね。

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