願うこと


ずっとやってみたかったnote。
タイミングを探していたのですが、今しかないと思ったので綴ります。
どのくらいの人が読んでくださっているのかが分からないので最初に改めておきますが、ここを何か統一させるつもりはありません。好きなことも、学んだことも、人生も、日常も、沢山の日々の思いをマイペースに綴りたいと思います。
拙い文章ですが、何卒。


さて、皆さんご存知の通り(?)私には沢山の好きなもの、ことがあって、応援している人達が沢山います。私がいつもそんな人達を応援している中で感じているのは"儚くて脆くて美しいものである"ということです。
どんなに私達応援する側が"こうあってほしい"であったり"これからもずっと"などと思っていても、時にそれはとても脆いものであり、かつあまりにも無力であるということを実感させられます。永遠なんて、ないんですよね。

でもそれを、ないなんて分かっていることを、いつの日からかあると思ってしまうのが私達です。頭のどこかでは分かっているんです、きっと。いつかは終わる儚い物語であることを理解しているつもりです。でも、それでも、いつまでもこの幸せが続いて欲しいと、続くものだと、そしてそれが当たり前のことだと思い込んでしまうのです。気づかないうちに当たり前になってしまった日常が突然壊れた瞬間に、それが当たり前ではなかったことに気づくのです。
そしてその時、当たり前だと思っていたことが自分がそうであって欲しいと"願っていたこと"だと気付かされます。ただただ未来を、遠くとも近くとも叶うことを願っていたのだと。

「永遠なんてないのかもしれないけど、僕は永遠というものを信じたい」


これは私の応援するうちの1人が先日残していった言葉です。

ここまで綴ってきたように、私はやっぱり永遠なんてないなと思いますし、どれだけ当たり前だと思っていても、それを祈り、必死に願っていたとしても、それが思い通りにいくことが全てではありません。もしかしたら、むしろその理想が叶うことの方が少ないのかもしれません。

でも、それでも、やはり私達はただ願うことしか出来ないと思います。どれだけ望みが薄くても、どれだけ月日が流れようと、それが叶うようにただただ願うことしか私達に出来ることはないのです。

私達の見る彼等、彼女達(以下彼等)はきっとほんの一部です。私達が願うのと同じように彼等にも叶えたい夢や願うことがあるのは当たり前の話で、それは時の流れや活動していく中での環境・価値観の変化によって大きくなったり、変化したり、はたまた無くなったり、新しく生まれたりするはずです。それは私達には見えていたり、見えていなかったりで、見えていたとしてもそれが果たして本音なのか、建前なのか、何が真実で何が嘘なのか、それはきっと分かりません。
私達はどんなに長い間彼等のことを見ていたとしても、分かっているようで分かっていないことの方が多かったりするのかもしれないな、とも思えてきます。

だからやっぱり、私は永遠なんてないだろうなと思います。

ですが、信じていたい、と思います。

彼等の物語が終わりを告げるまで、その瞬間までは確かに"永遠が続いている"と言えるのではないか、と私は思います。物語が終わりを告げる瞬間は、勿論、寂しさや悲しさはありますし、すぐに受け入れられるものではありません。当たり前です。でも、全て跡形もなく消えてしまう訳でもありません。多くの人の記憶に、そして心の中に、残り続けるはずです。

この美しく儚い物語において私達は、物語を読む読者でもあり、物語を書く筆者でもあり、物語に出てくる登場人物でもあると思います。あくまでも主人公は彼等であり、描いていくのも彼等ですが、私達は僅かでも物語を動かす力を持っている、と言えるのではないでしょうか。

少なからず、私はその力があると思いますし、だからこそこれからも願い続けることが大切なのではないかなと思っています。

最後に。
私はやっぱり悪い思い出にしたくないし、永遠が終わった時に"楽しかったな"と思いたい。だから貴方達の言動を都合よく受け取ってしまうこともあると思うし、寧ろそう受け取ることが殆どだと思う。でも、貴方達もそうでしょ?苦しいことや難しいことが沢山あるはずなのに、いっぱい泣いてるはずなのに、伝えたくても伝えられないこともあるはずなのに、そんな部分は私達には見せずに美しい物語として描いてくれる。
でも、たまには泣いたり、愚痴言ったり、時には休んだりしてもいいからね。なんならそうして欲しい。私達は何より、物語が終わることが嫌だから。なるべく長く永遠が続いて欲しいから。だから、どうか元気で、笑っててね。
いつもありがとう。


これからも沢山の"美しく儚い物語"を見れますように。


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