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僕が教育業界で働く意味

お久しぶりです。ヨシバです。

今回の記事は、divのマコ社長の考えを参考にしながら、「自分が働く意味」を深く考えてみたいと思います。

いろんな経験をしてきた中で、自分が考える働く意味は、「多様な答えを認め合う世の中への貢献」だと考えています。

まず自分の価値観を話す上で、「幸せ」とはなにかというテーマは避けて通れないので、ここから話させてください。

「幸せ」の正体

さっそく、「幸せ」について具体的に話していきたいんですけど、そもそもこの言葉の抽象度高すぎて、考えれば考えるほど、混乱しますよね。僕も答えは出ませんでした。

探しに探しまくった結果、僕が思う「幸せ」の結論は

人は生きているだけで幸せ

ということです。

ま、考えればそうですよね。「幸せ」は感じ方の問題なんですから、完璧に定義なんてできるわけがないですよね。

しかし、現実…みなさん満たされていますか?
人は生きているだけで幸せのはずなのに、私たちの多くの人が幸せを実感できてないのはなぜなのでしょうか。

「幸せ」の邪魔をする本能

私が思うに、その原因は「執着」です。こう聞くと「執着」は悪いように聞こえますが、もうこれは歴史的に考えたら人が生き延びるための本能なんで仕方ないことなんです。群れから嫌われないように生きるためには、承認や評価を気にすることは当然です。

で、なにがここで言いたいかというと、
必ずしも「本能と幸せは結びつかない」ということです。
ですから、幸せに生きるためには、この執着をいかに減らすか、ということが課題となります。

執着を減らす「希望」と「人間関係」

執着を減らすもの、それは、①希望(信念となる軸)②良質な人間関係です。

なぜこの2つなのか、それは「今の自分の目線を向けてくれるもの」だからです。とはいっても、完璧に本能を100%シャットダウンするのは無理ですから、今の自分を自分自身が認めてあげる「自己承認」と「他人からの承認」をバランスよく得ることが大事だと思います。

変化した「幸せ」の価値観

ここで少しだけ、幸せの価値観が変化したという話をさせてください。この令和の時代において、幸せの価値観は「量的な幸せ」から「質的な幸せ」へと比重が変化しています。

一世代前の人々は、働けば働くほど生活や社会が豊かになり、満たされていく快感を実感することができた時代でした。雑にまとめると、働くことに意味がありました。しかし、ミレニアル世代やZ世代と呼ばれる若い人々は既に豊かな社会の中で生きているため、稼ぎたい欲ではなく、「働く意味」や「誰と働くか」という価値観を大事にします。

つまり、「質的な幸せ」を追求する時代とは、「希望」や「人間関係」を追求する時代と言い換えることができるのです。ここらへんは、詳しくはモチベーション革命という本を参照していただければ詳しく書いてあります。

教育は誰の何のためか

少し、過激発言をさせてください。

「量的な幸せ」を追求してきた親や教師は、「質的な幸せ」を追求する子どもたちを理解できない恐れがあります。

子どもたちに良い大学に行かせたいのも、一流企業に就職させたいのも、それは子供の幸せを願ってこその「愛」だということは分かっています。ただ「高給や名声」は今の子どもたちの幸せではなくなっている、ということは重々理解する必要があると思います。

教育は子供の幸せのためです。

本当に子どもの幸せを願うのであれば、自分の価値観を押し付けるのではなく、彼らの「希望」に寄り添ってあげることが重要なのではないでしょうか。

ここで、私が大学の教授から教えてもらった素敵な言葉を紹介させてください。

春にタンポポ、秋にコスモスが咲くように、一人ひとりの子どもは「個性」という「花」を咲かせます。個々の子どもの能力に「違い」はあっても、「間違い」はないのです。

「希望」と「良質な人間関係」を生み出すために

この2つを生み出すために必要なものは、「多様な答えを認め合う教育機会」だと私は考えています。なぜなら、違いを認めなくして、「希望」や「良質な人間関係」を生み出すことは無理です。自分は他人と違っていいんです。人はありのままで十分に価値があって美しいと気づけた時、きっと「執着」は自然と消え去るのではないでしょうか。


では。


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