政治家と国家権力

政治家はほとんど全員が国民から選挙で選ばれる。これは単に人気投票して一番の人を選んでいるのではない。国民の代表を選んでいるのだ。民主国家では国民主権というのが原則だが、つまり政治家の権力の源泉は国民から出ているということだ。主権者である国民の代表だから、政治家に権力を委ねているわけだ。

一方、国家の統治機構にはどのような権力があるのだろう。一番に思い浮かぶのは警察だろう。検察や裁判を含めて司法権力は国民の権利を制限したり、奪ったりすることができる強力な権力だ。これは犯罪や身体生命の危険から国民を守るという条件の下、抑制的に発動すべき権力というべきだろう。国民の人権を守るのが大前提だからだ。

しかし日本では国家に対する依存的な信頼感が古くからあり、お上のいうことなら間違いなかろう的な甘さがぬぐえない。
また、権力者の側にも不正を糾すという強力な正義感を身に帯びて、逆に冤罪や不当な権力行使に走りこむ傾向が以前から問題とされてきた。

政治家の政治資金の不正問題が取りざたされているが、いくら疑いが濃くても、また記載漏れがあったとしても、政治活動費に使う予定だったと言い張れば、起訴するのは難しいというのが現在の政治資金規正法の限界らしい。つまり法の建付けが不完全で政治家の言い逃れを許しているのだが、一方警察権力にもそのグレーな部分につけ入る余地を与えている。

法律を改正することは、不正を防止する解決策の一つかもしれないが、もう一つ重要な視点は、警察権力に政治への影響力を持たせないということだ。警察権力を含めて国家の様々な機構は選挙による国民の審判をうけていない。国民からは独立したような権力である。国家権力は本来、政治家を通して国民の監視下に置かなければいけないものなのに、不正を糾すという名目のためにいたずらに政治に干渉するのは本末転倒であり、国民主権が脅かされる危惧を感じる。

警察権力につけ入る隙を与えないような、単純明瞭は法改正を望む。