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教育に関わろうとするなら”過去の自分の穴埋め”から脱却した方がいいという話

キャリア教育支援人材養成講座と銘打って10年ほど講座を開講しています。なんらかのカタチで教育に関わりたい、という人たちが集まってくるわけなのですが、その動機に、けっこうな割合で「自分は子ども時代に〇〇な経験が足りなかったから」というのがあります。今回は、教育に関わろうとするのであれば、この「過去の自分の穴埋め」という動機からは、さっさと脱却した方がいいよ、という話をします。

かくいう私の「教育との出会い」は成り行きだった

じゃあ、オマエはどうだったんだ、という話です。ちょっと長いですが、私のキャリアを少しご紹介しておこうと思います。

まず、シューカツで失敗しました。地方在住だったので都会で働くイメージがもてず、地元に帰ることにしたものの、シューカツのお作法や波にはうまく乗れず、たまたま内定が出たところに行くことにしてしまいました。ですが、まあ、合うわけがなく。4ヶ月めに退職届を提出し、半年で退職。そのときにたまたま新聞に出ていた求人広告を母が見つけ、応募したらなんだか受かってしまった、というのが、大手通信教育会社B社でした。1度目の転職活動にも関わらず、1社しか受けてないんです。これが教育との出会い。完全に人任せの成り行き。

そもそもは広告クリエイターに興味があったので、B社でも制作職を希望して入ったものの、配属先は進研ゼミの赤ペン先生の採用・研修・組織マネジメント部門でした。ですが、これが意外とおもしろくて。広告は「物を売るためにコミュニケーションのアイデアを考えてカタチにする」なのですが、研修とか教材は「わかった!とかやる気になる!ためにコミュニケーションのアイデアを考えてカタチにする」なので、思考フレームが全く同じなんです。同じ思考フレームなら、物を売るより、人がやる気になったり学習したりというベクトルの方がおもしろいじゃん!と思ってしまったところが、現在にもつながっています。

そんなわけで、教育に興味があったわけでも、熱い想いがあったわけでもなく、ましてや「教育改革」なんて興味がない。この点はいまも変わっていないのですが、じゃあ、どこで、いまのような学校教育に関わるキャリア教育コーディネーターになっていったのか・・・というと、きっかけは、B社から転職した先の、人材派遣会社A社での出来事でした。

人事部で新人研修や中途入社の受け入れ研修を担当していました。ここで出会った新入社員たち。年齢的には、私がB社時代に中学生・高校生=進研ゼミのお客様だった世代です。彼らはいい子たちでした。素直にいうことは聞く、言われたことはきちんとできる。でも、ある日のこと、「今日は席は自由です」と言ったところ、「決めてくれないと困ります」と衝撃のひとこと・・・このときに思いました。言われたことができるということは、自分で考えることができない子たちだったのではないか、と。私がB社でやってきた仕事は、もしかしたら間違っていたんじゃないだろうか?と疑問に思いました。そしてこれが「私は将来の同僚を育てている、と胸を張って言える仕事をしないといけないのでは?」と、キャリア教育へ軸足を変えることを決めた瞬間でした。

・・・・そう、この動機。完全に過去の自分の穴埋めです。ですが、のちに、これがどれほど思い上がった発想だったかを思い知ります。


人は「自分の受けてきた教育」しか見えていない

そんな動機から3度目の転職活動を始め、運良く、小さなコンサル会社にすべりこみます。ここで学校や教育委員会と関わることになり、自分が見えていた「教育」が、とてもとても狭いものであったという事実をつきつけられます。私が仕事で扱っていたのは「通信教育」。家庭学習にすぎません。ですが、子どもたちの生活は学校があって、もちろん学校=授業や教科学習だけではなく、日々の生活があり、友人関係があり、部活があり・・・要するに、通信教育だけが彼らの成長を支えているわけではない。自分のやってきたことの影響なんて、大きいわけがないんです。でも、自分は子どもたちに影響を与えてきていた気になっていた。これ、完全に思い上がりだったんです。

そして学校には、先生がいて、先生ひとりひとりにも人生があって、学校の仕組みの背景には教育委員会があり、学校を取り巻く地域社会があり、保護者がかかわったりもしていて、地域や学校によって特色が全く違って・・・こういうもの全部全部が「教育」という一言の中に含まれていたのです。でも、そんなこと、全くわかってなかった。「教育に興味があります」って、教育のどの側面フォーカスして考えていたのかを、全くわからずに語っていたのです。

これは・・・これを仕事として取り組むのであれば、かなりヤバイことだと思いました。自分は無知であることを認めるしかない。これまでの言葉は通用しないのであれば、いかにその世界の言葉に多く触れるかを考えなくては・・・先生たちが読んでいると思われる雑誌や新聞を購読するってことも、この時に始めました。文部科学省のWEBサイトのメール配信サービスに登録してみたりも。

そして、経済産業省事業としてキャリア教育コーディネーター育成に取り組むようになり、「教育に興味がある」という、かつての自分と同じような「自分の過去の穴埋め」に囚われた魑魅魍魎にうんざりするようになります。学校って、ほとんどの人が体験してきた共通の体験だからこそ、誰もが学校や教育について語ることができる。教育に興味がある、と言っても、自分の体験してきた角度・側面でしか見えていないことに、なかなか気づけないんです。

動機はなんでもいい。さっさと次に進めばいいから。

教育、とくに「キャリア教育」に関わりたい、という動機として、わりと多く聞かれるのはこんな動機。

・大学生の就活支援をしていて、もっと早い段階から「働くこと」について教える必要性を感じている。
・就職してから勉強だけじゃダメだと気づいて、もっといろいろな経験を子どものうちにできたらいいと思った。

・・・乱暴に言えば。

いまの大学生の課題は過去の子ども時代に遡っての解決はできないので、目の前の大学生とちゃんと向き合ってくださいって話です。自分に足りないと思う経験は、大人になったいまからでも経験すればいいんじゃないでしょうか。始めるのに遅すぎるなんてことは一ミリもない!

そのエネルギーを、子どもや学校に向ける気持ちもわからなくはないです。でも、なぜこの人々が魑魅魍魎に見えたかというと、このスタンスで学校に行っても迷惑だからです。キャリア教育コーディネーターは学校を支援する人材ですから、こんな、上から目線では学校と信頼関係は築けない。そして、自分の過去の穴埋めをしようとしている人は、その行為の目的が「自分のため」になりがちで、サービス提供者として対象(子どもたち)の姿に目が行きづらい傾向もあります。仕事としてこれは致命的です。養成講座開講にあたって、こんな人たちばっかり集まったら超絶困るなー、というのが、当時の正直な気持ちでした。

ですが、次第に動機=入り口はなんでもいいとも思うようになりました。だって、自分だって完全に思い上がってましたもん!要は、この呪縛からさっさと抜け出して、自分の無知を知るというスタートラインに立つこと。知らないことを知らないと認めて、知りに行けばいいんです。それこそ、始めるのに遅すぎるなんてことはない!

そうして、結果的にこの部分が、10年続けている講座の、隠れた「コアメッセージ」にもなりました。

まずは、とにかく、
教育の世界を「色眼鏡をかけることなく」知ってください。
知らないことは、きっと山ほどあります。

もしも、学校や教育に先入観があるなら、
それは一度捨ててみてください・・・

そして、できることなら、ワクワクすること・立ち位置で関わっていただけたら、さらにうれしい。

大人は子どもの未来の姿です。
私たち大人がシアワセじゃないと、子どもたちは未来に希望を持てないです。
だから、子どもたちに過去の自分の穴埋めを求めてはいけないんです


松倉由紀
キャリア教育コーディネーター・教育研修プランナー。1975年長野県上田市生まれ。静岡大学人文学部卒業。地元での就職に失敗(4か月めで退職届!)ののち、大手通信教育会社、人材派遣会社、コンサルティングファームを経て現職。キャリア教育の領域で教育プログラム開発と「しくみ作り」をする「企画屋」「クリエイター」であり「風呂敷たたみ屋」。2016年4月個人事業主から法人成り(株)ax-factory(https://ax-factory.wixsite.com/corporate)を設立。2020年京都造形芸術大学通信教育部(グラフィックデザイン)を卒業。デザインで学びをおもしろくします。
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