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計画引退説。

書かなきゃいけないものはどんどんたまっていくのだけど、なかなか向き合えない時間が、だんだんと長くなっていく。これはいわゆるお年ごろの症状だと思われるのだけど、昔よりも難しくて、長い原稿が多いので、腰が重いと言うか、筆が重いと言うか、心が重いと言うか。書くのが嫌なわけじゃない。書くのは好きだけど、書くまでが重い。こんな日が来るとは、去年まで思いもしないことだった。コロナで立ち止まったせいかもしれない。冷静に見て、私って幸せか?とか。

そんな時は音楽の力に頼って、なんとか気持ちを軽くする。のだけど、土日の日中はそれもなかなか難しい。いわゆる休日だし、休めばいいじゃんモードに支配されて、PCに向かうも、別の、すぐ片付くことを処理したくなる。日が暮れてようやく身辺整理ができて、音楽が心を軽くしてくれたら、気が向いてくる。とはいえ、そんな時間からやってたら間に合わないだろう。朝6時に起きてしまったら、絶望するって言ってた人がいた。その人は4時に起きないと、一日の仕事が間に合わないらしい。そんな気分も少し分かる気がする。

年齢のせい、として片づけるのもよくないし、悪くもない。
頑張ったらできる、として精神論だけで片付けるのも、よくないし、悪くもない。

そんな感じの自分と向き合いながら、調整しながら、生きていくのが人間なんだと思って、年を重ねていることに、むしろ感謝さえして。どんな年寄りになっていこうかと、想いを巡らせて、またこうして脱線がすぎる。

体と頭が持つ限りバリバリと、それもいいかもしれないけれど、
体と頭に合わせて少しずつ、今と同じ仕事は引退するのが、私にとってはいいだろう。
そのかわり。50歳の私、60歳の私にあった「何か」を探していかなくちゃ。それもきっと楽しいと思うのですよ。きっと書くことだと思うけれど。

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