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南砺市立福光美術館「石崎光瑤生誕140年 知られざる光瑤の横顔」展(2024)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

晩春の過日、富山県南砺市の南砺市立福光美術館において2024年3月2日から4月14日にかけて開催されておりました「石崎光瑤生誕140年 知られざる光瑤の横顔」展を拝覧して参りました。

もう終了してしまってたいへん残念・・・、とお思いのそこのあなた! (by かがくいひろし先生のまくらせんにんさま) たいへんな朗報です!!!

本年2024年には、偉大なる石崎光瑤先生の生誕140年を記念して、南砺市立福光美術館、京都文化博物館、並びに静岡県立美術館にて、石崎光瑤先生の展覧会が巡回いたします!!!

南砺市立福光美術館では2024年7月13日から9月2日にかけて、京都文化博物館では2024年9月14日から11月10日かけて、静岡県立美術館では2025年1月25日から3月23日かけて、という、全国初の巡回展になるそうです!!!

ということで、まずは南砺市立福光美術館のウェブサイトに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

石崎光瑤先生ですが、かの花鳥画の大家、偉大なる上村松篁先生にも多大な影響を及ぼしたという、京都画壇の巨匠だと思うのですが、文献でもよくお名前をお見かけするにもかかわらず、少なくとも京都を含む関西ではほとんど展覧会/企画展は開催されていない模様です。

インターネットの安直な検索によれば、光瑤先生の展覧会は、ほとんど北陸地域(富山県、石川県)での開催であり、関西で唯一確認できたのが、奈良市の松伯美術館にて2007年に開催された「熱帯花鳥へのあこがれ~石崎光搖の作品と出会って~」くらいでした。

福光美術館では、石崎光瑤先生のコレクションと、偉大なる棟方志功先生のコレクションが2本柱となっているそうです。

石崎光瑶先生は、合併して南砺市になる前の旧西礪波郡福光町のご出身ということで、光瑤先生のご遺族からの遺作の寄贈が同館の誕生のきっかけとなったそうで、これが光瑤先生のコレクションの基礎になっている模様です。

光瑤先生の過去の展覧会/企画展が北陸に集中しているのは、光瑤先生が現南砺市のご出身であり、かつ、少なくとも福光美術館のコレクションが存在していたからではないか、と弊方妄想しております。

なお、棟方志功先生は、先の戦争末期に旧福光町に疎開されて敗戦後も数年福光町に残られて、作品を制作されたそうで、これが福光美術館の志功先生のコレクションの基礎になっている模様です。

福光美術館には初めてお伺いするので、いろいろと安直にインターネットで調べましたが、関西からはほぼ丸一日を要し、交通費もかかりますので、他館とはハシゴせず、南砺市立福光美術館いっぽんに絞りました。

とはいうものの、本年秋頃に京都市内で大規模な展覧会が開催されるにも関わらず、わざわざ本展にお伺いしたのかといいますと、以前から福光美術館にお伺いしたかったことに加え、巡回展のプレ企画として本展が開催されるということは、巡回展では展示されない作品も拝見できるんとちゃうやろか! という、安もんのヲタクの妄想的希望的観測によるものです。

この弊方の妄想的希望的観測が適切だったか否かは、秋頃に京都市文化博物館で開催される特別展「生誕140年記念 石崎光瑤」を拝覧したときに初めて分かることですので、楽しみにしておきたいと思います。

関西から南砺市立福光美術館にお伺いするには、特急サンダーバード(米原からなら特急しらさぎ)もしくは新快速で敦賀まで出て、敦賀から北陸新幹線で新高岡まで出て、新高岡からJR城端(じょうはな)線に乗り換えて福光駅で下車する、という経路を取ることになると思います。

ここで、新高岡駅までは円滑に到達できるのですが、新高岡駅では、JR城端線の福光駅方面(城端方面)への接続がむちゃくちゃ悪く、新幹線の到着後まもなくJR城端線の新高岡駅から城端方面行の列車が出発してしまい、その後、新高岡駅で約70分待たされるという、どないなっとんねん! どやさどやさ、御堂筋堺筋なにわ筋(by 今いくよくるよ師匠)という状態でした。

約70分でっせ! 1時間以上も、おっさんどないして時間をつぶせばえぇっちゅーねん!

弊方は、関西でもかなり田舎の方に住んでおりますので、弊方の近所と比較すれば新高岡駅周辺はめちゃくちゃ「都会の街中」なのですが、時間をつぶせそうなところはない感じでした。

弊方、じっとしていると落ち着かない動いたっきり後期中年ですので、とりあえず新高岡駅から高岡駅まで歩いてみて、30分くらい経ったら折り返して新高岡駅に戻ったらええわ、 ということで歩きました。

20分ちょっとくらいで高岡駅に到着しました。

早っ!!! まだ40分以上もあるで!!!

そういえば、高岡市と言えば、高岡大仏!!! 鋳物のまち高岡市の象徴といっても過言ではないかもしれない偉大なる存在!!!

弊方、実は今年2024年2月、まだ令和六年能登半島地震の影響が残る時期に、高岡市立博物館にお伺いしております。このときは、石川県立美術館とハシゴしましたので、高岡駅と市立博物館を往復するだけで終わり、高岡大仏さまを拝むことができませんでした。

高岡大仏さまが御座す鳳徳山大佛寺は高岡駅から近いそうなので、ぜひ高岡大仏さまにお会いしに行こう! JR城端線は高岡駅始発なので高岡駅から乗ったらええやんかいさ! どやさどやさ、御堂筋堺筋なにわ筋(by 今いくよくるよ師匠)ということで、大佛寺さまにお伺いいたしました。

ということで、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した、逆光ですが、偉大なる高岡大仏さまのお姿です。

おぉぉぉ! 阿弥陀さまじゃぁ!! 阿弥陀さまが西方浄土からご来臨なされたぁぁぁ!!! ありがたや~、ありがたや~

ちなみに高岡大仏さまの台座の下は回廊になっており、数尊の仏様が祀られ、仏画も展示されておりました。時間がなかったので詳細がわかりませんでしたが、高岡大仏さまのウェブサイトが開設されており、「高岡大仏の特徴」の「台座と回廊」というページに詳細な解説がありました。

僭越ながら高岡大仏さまのウェブサイトのトップページにリンクを張らせて頂きます。

次回、高岡市にお伺いするときには、仏画もじっくり拝見させて頂きたいと考えております。

ところで、前回の高岡市立博物館の訪問時には全く気付いていなかったのですが、高岡駅には、ナゾの萌えキャラのみなさまが神々しく掲示されておりました。僭越ながら弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

後で安直にインターネットで検索したところ、こちらの萌えキャラのみなさまは、高岡市の「観光大使」の「あみたん娘」でいらっしゃることがわかりました。

バーチャル埼玉県民にしてリアル埼玉観光大使でいらっしゃる、「令和のデジタル居初つな」こと、偉大なる Vtuber、春日部つくし先生のような存在ですね。この点については、僭越ながら弊方の下記の投稿をご参照頂けますと幸甚です。

時期的には「あみたん娘」のみなさまの方が「観光大使」としては大先輩の模様です。

こちらの「あみたん娘」は、著名なアニメーター、偉大なる松原秀典先生によるデザインとのことです。詳細については、「あみたん娘」をプロデュースされる TR@P さまのウェブサイトに僭越ながらリンクを張らせて頂きますので、こちらをご確認頂ければと思います。

結果的にかなり駆け足になってしまいましたが、念願の高岡大仏さまを有難く拝ませて頂くことができましたので、急いで高岡駅に向かいました。

高岡駅の自動券売機でJR城端線の切符を購入しようとしたところ、あいの風とやま鉄道の切符しか画面に表示されておらず、時間もないので弊方かなり慌てたのですが、左側にいくつかの路線切換えボタンがあって、その中にJR城端線があることに気付いて、なんとか切符を購入し、高岡駅始発のJR城端線の列車に乗車することができ、福光駅に到着いたしました。

福光駅から福光美術館までは、弊方、歩いてお伺いすることを選択しました。バスは出ているそうですが、本数がかなり少ないようです。

徒歩でだいたい50分くらいとのことでした。距離的には、JR播州赤穂駅から赤穂市立美術工芸館 田淵記念館に至るくらいの道行きでしょうか。弊方的には通常営業の範囲内です。

福光駅前から伸びる本通りをてくてく歩いて、小矢部川という川に掛かる福光橋という橋に到達すると、なんと絶景が広がっておりました。弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

川沿いに桜が満開でした。後から福光駅の待合室の案内でわかったのですが、「ふくみつ千本桜」という格調高いお名前をお持ちの桜並木でした。初音ミク先生の代表曲の一つを思い出してしまいました。かなり有名なようですが、弊方存じ上げておりませんでした。

写真は、福光橋から南方向の景色で、北方向にももちろん桜並木が連なっており満開でしたが、改めて見ると写真ではなんだか分かりづらいですね。実際の景色の迫力は全く伝わらない感じです。

福光駅周辺も、弊方から見れば「都会の街中」という感じでした。歩道も整備され、お店も多かったです。駅前通りを曲がってコンビニとスーパーの所在する交差点を再び曲がって、その大通りをそのままてくてく歩くと、またもや桜並木が!!! ということで、再び弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

「道の駅福光 なんといっぷく茶屋」付近で復路にて撮影した写真なのですが、やっぱりもう一つですね。実際の桜並木の存在感は全くわかりません。ガラケー的なガラホの限界もあると思いますが、弊方のセンスの無さにもあるのだと思います。申し訳ございません。

この辺りがちょうど福光美術館に至る道のりの中間地点くらいのようなのですが、長い道のりとは全く感じませんでした。

この大通りをそのまままっすぐ進むと山中に入るのですが、道路は広いままで歩道も整備されており、登坂であることを除けば歩きやすく、木々の緑も爽やかでした。

そのまま進むと左手に見えました! 福光美術館の案内が!! しかも満開の桜とともに!!! ということで、三たび弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

この雑な写真の左奥側に写る桜は「福寿桜」という有名な桜だそうです。南砺市の公的あるいは公認なのかわからないのですが、「いこまいけ南砺」というウェブサイトに「福寿桜」の紹介ページがありましたので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。なお、「いこまいけ」は「一緒に行きましょう」といった意味合いの富山ダイアレクトの模様です。

ちなみに、この「福寿桜」のすぐ傍に怖い看板がありました。四たび弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

この辺り、クマさんが出てきはりますのん?! 怖っ!!!

・・・ところで誰や! 看板から「クマ」の部分を切り取った不届き者はっ!

ちょっとビビりながら、大通りから左に伸びる側道を進むと、福光美術館の正面に到達いたしました。ということで五たび弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

ここまでの道のり、約50分!

・・・あれ?! 写真撮影でステキな道草をかなりご馳走になったので、1時間以上を要したかと思いました。普通に歩くと福光駅から40分少しくらいで到着するかもしれません。

待望の福光美術館ですが、入口から見てすぐ左手に受付とミュージアムショップがあり、左手の奥側に企画展示室かあり、右手の奥側に常設展示室があり、右手の手前側にも展示室と思しき部屋がありました。弊方がお伺いしたときには情報コーナーのようになっておりました。

入口正面は、お池とお庭が臨めるホワイエのようになっており、ミュージアムショップから見て正面側には階段があり、上がって2階にはコレクション室があり、弊方がお伺いしたときには「南砺の百景展 写真家 風間耕司のまなざし」展が開催されておりました。

本展、南砺! ではなくて何と! 写真撮影可でした。オヤジギャグで申し訳ありません。

弊方、写真撮影可とはいっても積極的に撮影しないのですが、本展に関しては図録がなかったこともあり、かなり写真を撮らせて頂きました。

本展の展示構成ですが、次のような感じでした。弊方としてはめずらしく、微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真とともに説明させて頂きます。

〈第0章〉ごあいさつと写真パネル、扁額作品の展示

本展では、「第0章」と銘打たれていたわけではありませんが、企画展示室の入口につながる回廊において、「ごあいさつ」のパネルと、光瑤先生に関する写真パネルと、馬が描かれた絵馬(扁額)作品が展示されておりました。

上記の写真が企画展示室の入口で、正面に展示されている白孔雀が描かれた絵馬(扁額)の作品「白孔雀」(作品番号⓪-6)までが「第0章」の展示作品/資料となっておりました。

雑な写真でかなりボケておりますが、たいへん迫力のある作品で、しかも写真からも多少お分かり頂けるかと思いますが、基材である絵馬の木材面が照明により金色っぽく見えて、純白の孔雀とのコントラストが美しく、たいへん迫力がありました。

〈第1章〉十代の日々

この章では、光瑤先生の生い立ちから「画人への道」まで、お父上である石崎和善氏を中心にして解説され、作品や資料が展示されておりました。上記の写真からお分かりのように、作品のほとんどは、展示ケース内ではなく露出状態で展示されているという、たいへん豪勢な展示状況でした。

上記の写真に右隻と左隻の一部が写っている屏風作品「鶴図」(作品番号①-7)は八曲一雙、すなわち、8つのパネル(扇)がつながった一つの屏風が一対になっているという、比較的めずらしい形態の作品でした。

この章では光瑤先生の師系についての解説がありました。弊方、光瑤先生が竹内栖鳳先生の門下であったことは存じ上げておりましたが、その前に、金沢におられた江戸琳派の画人、山本光一先生に教えを受けていたということは存じ上げませんでした。

光瑤先生の作品を拝見して、シロウトの一方的所感で申し訳ありませんが琳派っぽい意匠性を感じたのですが、そもそも光瑤先生は琳派を学ばれていたということなのですね。光瑤先生が伊藤若冲先生に強い興味を持たれて研究されていたという理由もなんとなくわかる気がします。

〈第2章〉山に抱かれて

この章では、光瑤先生が登山を愛好されたことについて、作品とともに解説されておりました。光瑤先生は、日本山岳会に入会されて、同会の機関誌『山岳』にも寄稿されていたそうです。この点に関しては、常設展示室でも解説がありました。写真に写っている作品群は、画帖や雑誌『山岳』を収めた展示ケースと山に関わる軸装作品の一部です。

〈第3章〉インドへ

この章では、光瑤先生が2度インドを訪問されたことについて、作品とともに解説されておりました。インドは光瑤先生の憧れの地であったそうです。

写真に写っている大きな屏風作品は、光瑤先生の代表作の一つである「燦雨」という大作です(作品番号③-1)。大正八年に帝展に出品されて特選となったそうです。

〈第4章〉後半生の歩み

この章では、光瑤先生の欧州訪問、高野山金剛峯寺への襖絵揮毫、京都市立美術専門学校(現京都市立芸術大学)の教授就任と退職、その後のご逝去について、作品とともに解説されておりました。

上記の写真の向かって右側、その一部が壁に隠れている「作品」が、「高野山金剛峯寺襖絵下絵反故」(作品番号④-5)です。「下絵反故」すなわちボツになった下絵ということですので、「資料」といってもよいのかもしれません。

ということで、この「作品」を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂きましたので、雑な写真ですが、僭越ながら掲載させて頂きます。

上記の写真からお分かり頂けるかと思いますが、本「作品」は、表具で表装されていない状態、すなわち「まくり」の状態で、しかも、壁面に複数の画鋲で固定されるという、弊方ほとんど見たことのない展示形態でした。

僭越ながら、この「高野山金剛峯寺襖絵下絵反故」の展示解説を下記の通り引用させて頂きます。

高野山金剛峰寺奥殿襖絵の揮毫は、光瑤後半生を代表する大仕事である。
この図は、そのうち未完成に終わった「渓流の間」襖絵を描こうとして破棄されたものではないかと推測される。インドの地で見た、鳶尾(いちはつ・アヤメ科)が咲き満ちる風景に着想して描かれたと思われるが、制作が相当進んだ段階で、墨で×を付けて破棄したことがわかる。自作に厳しく向き合う画家の、創造の苦悩が伝わってくる。

南砺市立福光美術館「石崎光瑤生誕140年 知られざる光瑤の横顔」展
作品番号④ー5「高野山金剛峯寺襖絵下絵反故」展示解説全文

上記の写真では、向かって右側のまくりの画面下部に描かれる「鳶尾」と、向かって左側のまくりの画面下部に描かれる側の「鳶尾」に「バッテン」がつけられております。ここでは右側の「鳶尾」のみを弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

この「作品」を拝見して、弊方たいへん思うところがありました。弊方なら、うーん、まぁしゃあないかぁ、これでええかぁ・・・、みたいな雑な対応してしまうと思いますが、これこそが光瑤先生のご自身の創作に対する「情熱」ではないかと弊方一方的に妄想いたしました。

なお、福光美術館の常設展示室は、棟方志功先生の作品を展示する常設展示室1と、光瑤先生の作品を展示する常設展示室2があり、常設展示室2でも光瑤先生の作品の展示がありました。僭越ながら常設展示室2の一部を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いた雑な写真を掲載させて頂きます。

写真ではオーディエンスがいらっしゃらないように見えますが、弊方がお伺いした時点では、かなりのオーディエンスの方々がいらっしゃいました。弊方はセコいので、元を取るべく長いこと滞在しており、その間にオーディエンスの方々にも粗密があり、粗のときを狙って撮影させて頂きました。

福光美術館も地元南砺市のみなさま方に愛される愛されミュージアムという感じでした。同館のスタッフのみなさま方も、あやしいおっさんにご丁寧なご対応を頂戴いたしました。ミュージアムショップでクリアファイルとか過去展の図録とかいろいろ購入させて頂きました。

やっぱり長くなってしまいました。いらんことをつらつらと書くからなのでしょうが、たいへん申し訳ありません。最後まで閲覧頂きありがとうございました。

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