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フリーライターが学生アシスタントに逆取材してもらったら色んなことに気づけた

私は昨年度より、学生のアシスタントを雇用している。

主な理由は以下。

・インタビューの文字起こしを外注することで、執筆や企画に費やす時間を増やしたい

・若い世代に執筆業や出版業に興味を持ってもらいたい

・自分の考えや仕事のノウハウを他者に共有するスキルを身につけたい

・年齢的に、後進を動かす/育てる経験をしてないのはヤバいと思った

今年度は2人の学生アシスタントに仕事をお願いしている。その一人の福田さんは、体育会バスケ部に所属しケーキ屋でバイトをしながら、それでも「何かお手伝いがしたい」と手を上げてくれたアシスタント1期生。週1回とか2週間に1回、うちの近所のカフェでインタビュー音源の文字起こしをしてもらい、その合間に仕事のこととかバスケのことをおしゃべりした。自宅作業とせずわざわざ通勤してもらったのは、同じ空間で作業することで感じ取れるものもあるだろうと思ったからだ。

就活や集大成となる部活のためのお休み期間を経て、再び作業の時間がとれるという連絡が来た時、ふと思った。「この子には文字起こしとは別のことをやってもらおう」。

学生アシスタントに取材をしてもらった理由

福田さんが春から就職するのは、ウェブメディアの企画運営も行う会社。企画→取材→執筆→編集というコンテンツ作りの経験は就職後に役立つのでは…と思ったのである。

加えて、そのころ私は、自分の考えを他者に話すスキルのなさに絶望していた。もともと人の話を聞くのが好きだという自覚があったし、飲み会でももっぱら聞き役だし、今となっては聞くことを生業にしているが、「己のことを話せないというのは、自分で仕事を引っ張ってこなければならない個人事業主にとって死活問題ではなかろうか」と思い始めていた。

仕事場=自宅の私は、日によっては10時間くらい誰とも話さないことがある。出勤という概念がなくなって10年近くが経ち、声を媒介した即時的なコミュニケーション力は落ちるばかり。なんとかこの状況を変えなければ…という危機感は、相当に強かった。

当初福田さんには、彼女の関心領域である教育やデータ解析に明るい、鈴木良和さん(ERTLUC)や恩塚亨さん(東京医療保健大)を取材してもらおうと考えていた。しかし、コロナ禍となり、対面インタビューをお願いしづらい状況になったことを受け、上記のような個人的な危機感もあいまって、大変申し訳ないと思いつつ「私」を題材にしてもらうことにした。

企画テーマの設定、質問事項のリストアップといった前段階の準備から始まり、書き上がった原稿の修正(話し言葉を「読み言葉」に変換したり、スムーズに読んでもらえるようトピックの順番を入れ替えたり)、タイトル、見出し、リード文、執筆後記の挿入を経て完成したのが以下の記事。

人は案外伝えたいことを話せていない

いつもは人の話を聞いて記事を書いてる人間が、インタビューを受け、記事を書いてもらう。いつも真逆の経験は非常に新鮮なものだった。

絶賛コミュ障進行中の私であっても、聞かれれば案外言葉がペラペラ出てくるものだなあ。そんなことを思いながら取材を受けていたが、取材から間が空き、いざ文字になった自分の言葉を見てみると、自分が本当に伝えたかったことを言葉にできていないところが多々あることに気づいた。以下に少し列挙してみる。

ライターさんの取材に同席して、色んな人と会って話を聞いてる中で、「あ、なんかこういうの自分でも書いてみたいな」っていうのもあったんだけど、時々やらせてもらってはいたけれど、たくさんはできなかったっていうのがあったので。ちょっとつまんないなって思っていたんだけど(笑)。

「ちょっとつまんないな」は、正確に表現すると「少し物足りなさがあった」。

あとは、個人の名前で仕事をすることの責任感とか、やり甲斐は強く感じます。特に最近は、「ブランド力」とか言うけど、個人の、一人の人としての価値が凄く上がってるなって感じるしね(笑)。

最後の「(笑)」。たぶん照れ隠しみたいな感じで笑ったんだろうけど、まるで「個の価値が上がってる」という状況を小馬鹿にしているようなニュアンスを感じさせる。

やっぱり会社にいると、会社の力が強いから、新聞社とかにいても、その記者じゃなくて新聞社の力が強いわけ。会社の力が強いっていうのは、イコール個人の力がそんなに強くならない。会社が強くて個人が薄くなるっていう。まあそれぞれ違うんだけど。そういうのがあるね。

ここに至っては、頭の整理ができてないまま話しているのが丸わかり。意味不明すぎる(笑)

我々フリーっていうのは、「このテーマで記事を出さなきゃいけない」っていう仕事の仕方じゃないというか。いろんなものをたくさん見た上で、その蓄積で何かの成果物を出すみたいなこともあるわけですね。だから、この記事を見て「何も記事を書いていないから仕事をしていない」って言われたら、それは凄い不本意というか、、、(笑)。そういうのは、すごくあって、もどかしいところがある。だから、例えば私が会社にいた時は、自分が実質的に記事を書くわけじゃないけれど、Wリーグの試合もNBLリーグの試合も、なんの制約もなくオールパスで入れて。実際私はライターじゃないから、記事を書くことはないけれど、別に何かそれで言われる訳でもなかったというか。そういうのがあったんですよね。すごく私自身が恩恵を受けてきたから、フリーになって「ダメです」とか、「書かないのに来るな」とか言われると、「そういう人いっぱいいるのにな」と思うからさ。

これはあくまでBリーグ以前の牧歌的な(要は人気のない)時代の話で、取材が殺到するようになった現状にはそぐわない。特にコロナ禍で取材人数が制限されている今は、第一報を確実に出す、より大きな影響力のある媒体を主催側が優先する論理もよく理解できる。そんな言葉を加えておくべきだったなと思った。

ライブコミュニケーションをいかに正しい情報として落とし込むか

私は常々、取材対象者の発した言葉を至上のものとして記事を書いている。ある1つのコメントに大きな意味を感じ、それをフックとして書くこともよくあるし、話者が話した言葉は絶対に正しいと思い込むところもある。が、今回の逆取材を経て、「あの言葉は本当に大きな意味を持つものなのだろうか」「この言葉はあの人の本意をどれくらい表しているんだろうか」と、1つひとつの言葉をより精査しなければならないことに気づいた。あわせて、その人の本意を汲んだ意訳の大切さについても再確認した。

媒体によっては、先方の原稿確認を行わないという方針を設けているところもある。某媒体の編集長に「報道の自由を守るためだ」と説明されて一理あるな〜と思ったけど、記事や媒体のポリシーにまで介入する・不都合な事実をもみ消す的なことは別として、「確かにその場ではそう言ったかもしれないけど、本当はこういうことを伝えたかったんだ」という取材対象者に寄り添うための事前確認は、それを本人を代理して伝える立場として絶対に必要なことではなかろうか。

たくさんの方がもどかしい思いを経験されたのかと思うと、心が痛くなった。

相手との関係性で大きく印象が変わるインタビュー記事

余談ではあるが、実は同じくらいの時期に、別のサイトからも取材を受けた(取材してくれたティアンドエイチの塚本さんはとても美しく優しく、一生懸命でていねいな方だった)。

初めてお会いした塚本さんの記事と、そこそこ関係値を築いてきた学生の福田さんの記事は、似たようなことを話しているにも関わらず、印象が全然違うものになった。塚本さんは、かなりていねいに意訳をして記事化してくださったので「おぉ、私もいっぱしのライターに見えるな」と少し面映い気持ちになり、話し言葉をほぼ再現した福田さんの記事には「私ってこんなにおばさんみたいな喋り方なのか」と愕然としつつ、背伸びせず、ラフに楽しく読めるなーと思った。

書き手の人柄や属性によってインタビュー記事の内容は変わる。書き手として大いに意識しているつもりではあったが、改めて自分ごととして経験してみると、非常におもしろかった。

最近、ラジオやYoutubeへの出演依頼をちょこちょこいただくようになった。動画や音声コンテンツの影響力が強まってきた昨今、話す能力の向上は必要不可欠だといっそう感じている。こういった機会を上手に活用しつつ、まずはたるみきった腹筋を鍛え、腹から声を出すことを心がけている今日このごろである。

【追伸】
福田さんは春から社会人になるので、新たにお仕事を手伝ってもらえる学生アシスタントを募集します。改めて詳しいことをまとめる予定ですが、ご興味ある方がいたら、ぜひコンタクトください。

100円から任意の金額を設定することができます。原稿料としてありがたく頂戴いたします。