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MY FIRST SLAM DUNK

小学2年生だか3年生のころ、同じクラスにコシヤマくんという子がいた。

遠い昔のことすぎて記憶が定かでないが、コシヤマくんはクラスの「怖い系男子」に属する少年だった。

彼とつるんでいたコエダくんが、乱暴でガラの悪い「ザ・怖い男子」だったのに対し、コシヤマくんは別のベクトルで怖い男子だった。物静かで、大人びていて、やたらと腹がすわっていた。コエダくんとは取っ組み合いのケンカをするような関係だったが、コシヤマくんにはほとんど近づかなかった。子供ながらに自分の底の浅さを見透かされそうで怖かったのだと思う。

私は小4のときに兵庫から埼玉に引っ越したため、当時の同級生たちとの交友は以来ぷっつり途切れている。うっすい関係だったコシヤマくんとの思い出も当然一つも更新されていないが、10年経っても20年経っても強烈に覚えていることがある。

コシヤマくんがめちゃくちゃ『スラムダンク』が好きだったことだ。

少し年の離れたお兄ちゃんがいたコシヤマくんは、コロコロやボンボンでなく少年ジャンプを愛読していて、当時連載真っ最中だったスラムダンクにドハマりしていた。

コシヤマくんの自由帳には、井上先生のタッチを真似たイラストがたくさん書かれていた。カマボコ板を2つつなげてそこに絵を書くというよくわからない図工の課題では、ダンクに持ち込もうとしている流川の絵を、当時の『スラムダンク』の単行本の表紙と同じような重い色彩で書いていた。どれもとてもかっこよくて、大人っぽくて、ドキドキした。

カマボコ板の絵を書いた後、それに付随する詩を書くという課題も出た。

コシヤマくんの詩の題名は「ダンク」だった。

コシヤマくんはいつも一人で、学校のグラウンド脇にあるゴールでドリブルやシュートの練習をしていた。練習の合間にはダンクにも挑戦してみた。でもできない。何度も失敗を繰り返し、それでもダンクをあきらめきれなかったコシヤマくんは、大胆な策を講じた。グラウンドに置かれた巨大なタイヤを一人でゴール下まで運び、何個か重ね、その上からダンクを試み、見事成功させた。

非常にうろ覚えだが、そういう情景をもっと素敵に綴った詩とコシヤマくんの行動力に、私は大変感動した。

当時、スラムダンクはまだアニメ化されておらず、私はスラムダンクどころかバスケの「バ」の字も知らなかった。だけど、クールで怖くて、ちょっと他の子と違うコシヤマくんがこれだけ入れ込んでいるんだから、この漫画もバスケもきっとすごく面白いんだろう。そう当たり前のように受け入れていた。

これが私の、バスケとスラムダンクとの出会いだ。

あれからもうすぐ30年が経とうとしている。私はその後すぐにアニメ化されたスラムダンクにはまり、漫画のスラムダンクにハマり、大変ひょんなきっかけからリアルの高校バスケにもハマり、紆余曲折を経てバスケを書くことでごはんを食べられるようになった。

スラムダンクの作者である井上雄彦先生を取材させていただく機会に二度も恵まれ、井上先生の連載に添えられた企画ページでも何度か記事を書かせていただいた。

※下記は井上先生に取材した喜びを綴った記事です

そして今年、長い時を経てスラムダンクが新たに映画化された。

38歳になったコシヤマくんは、今、何をしているだろうか。
今もバスケが好きだろうか。
映画はもう見に行っただろうか。
見たとしたらどんなことを感じただろうか。

たぶんもう会うことはないと思うけれど、私にスラムダンクを教えてくれた、ほっぺたが赤くて、細っこくて、花道のような伸びた坊主頭だったコシヤマくんのことは一生忘れないと思う。

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