ハッピー人間とは程遠い話

今年も、ハッピーで楽しい一年になりますように!

そうインスタの今年の投稿には書いた。
プロフィールには、カラフルでワクワクな毎日を!なんて書いてある。

資本主義は労働者と資本家って構造にしかならない。
これは父に言われた言葉。

特定技能ナントカで、外国人を安く雇って労働力にしようとする社会を目の当たりにしている。その人たちはただ必死に生きているだけなのに、と私は少し悲しくなった。

世界中のみんなが幸せになればいいのにな。

ずっと、もう本当にずっと思っていることだ。
世の中、苦しんでいる人が多すぎる。みんな等しく幸せになる権利があるはずなのに、誰かのせいで死んだり、あるいは、死にたくなったり。

多分これは、小学生の時に祖父母の影響もあって調べた戦争の体験談が根本にあるのだろう。苦しくて、貧しくて、死と隣り合わせで、恐怖に包まれて、幸せとは程遠かった時代。
いや、これも私の印象論だ。些細な幸せはあったのかもしれないが、それでも、あの戦争で、誰が幸せになたのだろう。幸せになったのは多分、ごく一部の人たちだけだし、あとはみんな巻き込まれ事故。

だから、誰かの人生を踏み潰すことなく、不必要に競走することなく、みんなが幸せになれればいいのに。

現実はそう甘くはない。

そういえば、少し前、全く互いを知らないところから仲良くなった人に、もっとハッピー人間でお花畑な人だと思ってたけど、思ったよりテンション低いね、と言われたことがある。

確かに、表向きはハッピーでいたい。いつでも明るく元気よく、そんな私でいたい。

でも、それはそんな表面的で、自分だけのものではなくて。
私の周囲の人たち、そして世界中の人たちが、心の底から幸せでありますように。
そんな都合のいいことが弱肉強食な社会で起きないのもわかってるから、せめて、私は、誰かを苦しませたり、幸せを奪ったりすることがありませんように。

ただただ、平和で、幸せで、誰もが満ち足りた世界であって欲しいだけ。

そういう気持ちがどこかにあるのかもしれない。
そう考えると、ある意味ではお花畑の思考であり、でもハッピー人間とは程遠い。

私は、ただ、理想を求めているだけの人間である。

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